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シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト:作品 大系&詳述 2(No.2372)

2014-02-14 20:04:14 | シューベルト:作品大系&詳述

SCHUBERT : Compendium and full discussion of Composition  No.2
シューベルト:作品 大系&詳述 2



第1期(学習期) 1810.04.08 - 1814.10.16 『弦楽四重奏曲の時代』 D1 - D117 4年6ヶ月(13才 - 17才)



  この時期は 4年6ヶ月で ドイチュ番号 が 116 進むだけであり、他のいかなる時期よりも『作曲速度』が遅いことが特徴。弦楽四重奏曲 が D8A, D18, D94, D32, D36, D46, D68, D74, D87, D103, D112 と11曲にもなり、量だけでなく質もリートに比べて高く、『弦楽四重奏曲の時代』と呼ぶのがふさわしい。他の分野の傑作は、交響曲第1番ニ長調D82, ミサ曲第1番ヘ長調D105 の2曲である。
  シューベルトの弦楽四重奏曲と交響曲は、ベートーヴェン,モーツァルト,ハイドン を手本に作られており、手本の影響が強大な曲と少ない曲があり、影響微小の 弦楽四重奏曲変ホ長調D87 は、この時期では ミサ曲第1番と並ぶ名曲である。「さすらい人幻想曲」作品15 D760 で顕著になる「循環ソナタ」の原型がここにある。
 弦楽四重奏曲は「シューベルト家」で、父と兄2人とシューベルト自身で演奏された。父のパート=チェロ が簡単に作曲されているのは、兄2人やシューベルト自身に比べて、父親の演奏技巧がまずかったからである。

シューベルト第1期(学習期)の歌曲の詩人



  1. Schiller シラー 26曲


  2. Matthisson マティソン 16曲


  3. Hoelty ヘルティ 2曲


  4. Kotzebue コツェブ 2曲(内1曲はオペラ)


  5. Schuecking シュッキング 1曲


  6. Mikan ミカン 1曲


  7. Pope ポプ 1曲


  8. Rustenfeld ルステンフェルド 1曲


  9. Schaeffer シェッフェル 1曲


  10. Fouque フケ 1曲


  11. Schubert シューベルト 1曲



 以上が全てである。シラー と マティソン ばかりに曲を付けていた、と言って過言では無い。やたら長い曲が多く、「バラード」を目指していたようだ。15分を超える曲が何曲もある。

シューベルトが ヨハン・ルドルフ・ツムシュテーク(Johann Rudolf Zumsteeg, 1760年1月10日 ザクセンフルーア - 1802年1月27日 シュトゥットガルト)を手本にリート作曲を始めた


は間違い無いことだが、多くの伝記であまりにも重きを置き過ぎている。

シューベルトは、歌曲を ツムシュテーク を手本に開始したが、ベートーヴェン+モーツァルト+ハイドン手本の弦楽四重奏曲に比べて見劣りする曲しか残せなかった、の方が重要


 第1期の歌曲については、誰がどのように演奏したのか? が不明である。シューベルト自身がピアノを弾き、自ら歌った、の可能性が高い。第2期以降は、「シューベルトがピアノを弾き、シューベルティアーデの仲間たちが歌う」が定着したのだが。

シューベルト第1期:「家族で演奏する弦楽四重奏曲」の出来映え > 「弾き語り(?)だった 歌曲」の出来映え


が実態。
 尚、第1期 は「ピアノソナタ & ヴァイオリンソナタ」が1曲も作曲されなかった! も異常事態、と感じる。


 13才から17才までの4年6ヶ月の間、シューベルトは自身の音楽感性を研ぎ澄まし、目標としていた ベートーヴェン+モーツァルト+ハイドンに追いつき追い越すことを夢見ていた。どのような経緯かは全く不明だが、

ミサ曲が公開演奏されることが 1814.05.17 直前に決まった。演奏日は 1814.10.16



 ミサ曲第1番D105 は第1期の最高傑作だが、このミサ曲着手後の曲(歌曲&弦楽四重奏曲)に特に変化は現れない。だがミサ曲が公開演奏されることに拠り、大きな飛翔をもたらしたのである。
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