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あの日 ~福島は生きている~ @京都シネマ

2013-03-04 22:19:09 | 映画感想
各地での上映はまだこれから、というところが多いようなので、極力内容には触れずに。
#と言っても限界はありますが。。。(ドキュメンタリーなのにあまり意味ないかもしれんけど)

さて、
ほとんど事前情報なしに見に行ったのですよ、映画を。

箭内さんが作った映画で、LIVE福島ドキュメンタリー。ほんでこのポスター。それだけかな、前知識は。

うん、前半。
映画を間違えたのかと思った(苦笑)。
全編「LIVE福島」のドキュメンタリーなのかと思っていたけど、趣旨はちょっと違う。
映画のホームページの中で是枝裕和監督が
「音楽ライブのドキュメンタリーでなく、きっかけとしてのLIVE福島、その場に参加した人たちの “その後” を映画にしたい。」
と仰っているように、メインになるのは7人(世帯)のLIVE福島参加者(観客)であり、そのライブ当日の事よりも、ライブの事を通してその後を切り取るという内容。
あの日の一年後とそこに見える日常と非日常。

ふむそうか。
日常が日常でなくなってしまったこの場所で、また日常を求める人たち。そして、そのキッカケとしての「LIVE福島」。

あの日以降、ある人は差別を感じ、ある人は予定を中断し、ある人は日常に行き詰まりを感じる。また、ある人は故郷を発見し、家族に気づく。
そして、「LIVE福島」というキッカケのおかげで止まってしまった、止まってしまいそうな日常をまた取り戻し、気持ちを新たにする。取り戻した日常はしかし、一年前と別の(願わくばよりポジティブな)日常なのだと。

言葉にすると大変チープで恐縮だけれどもそういう事かな。

わかりやすい。
わかりやすいけれども、福島から離れ、普段あまり放射能の影響を考えずに生活をすることができる儂等には、なかなかイメージしにくい非日常という日常の景色がそこに横たわっていて驚く。
全く普通の、ちょっとオシャレな作りの家の玄関を開けた外にあるのは、津波の為に家が歯抜けのようになった町であり、何気ない会話をしている部屋の中にかかっているのは外に干されることのない洗濯物であり、こどもの遊びの中にまで出てくる「放射能」という言葉であり、居酒屋での話題は東京電力賠償金の振込の話だったりする(最後のはアフタートークでの監督の話)
同じくアフタートークで渡辺俊美さんが、関西の方に来ると食べ物(の放射能汚染)を気にしなくていいので嬉しい、みたいなことをおっしゃっていたが、儂にはなんとも言葉がない。

原発事故のあと、そんな場所になってしまった福島で開催されたこのビッグイベントが、どれだけ多くの人の気持ちをポジティブにさせたか、想像にあまりある。

そして、映画の中でキッカケとして出てくるもう一つは、何と言っても猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」。まず、儂が「映画間違えたか?」と思った前半から転換するきっかけとして使われているのだけれど、ベタベタにこの曲の歌詞「僕らはふくしまが好き」が後半の映画の情景にはまるのだ。

いや、おそらく出演している人のほとんどは福島が好きなのだ。別にそんな風にはっきりと口に出して言うわけではないけれど観ていたらそんな感じがひしひしと伝わってくる。もしかしたら映画の意図にはまっているのかもしれないが、そう見えたのだから仕方が無い。
故郷なんて、必ずしも最初から好きだと意識するものではないだろう。事故に前後して都会から戻った人もいる、震災の時も今も東京から故郷を見つめている人もいる。もちろん、ずっとこの地に根付いている人もいる。事故以降、少なくともそれまでよりは強く「故郷福島」を意識するようにはなったのではないだろうか?

想像するに、
2年前に「福島が好きですか?」と聞かれて恥ずかしげも無く「好きです」という人はそう多くはいなかったかもしれない。好きだけどおおっぴらには言いにくいっていう人の他に、意識の上では「ふん、こんなど田舎嫌いだね」って思っていた人だって多かっただろう。
しかし、皮肉な事に、それまで当たり前にあった福島を奪った、2年前のあの事故とその後を通じておそらく多くの人たちは自分が福島のことが好きだという事に気づいてしまうのだ。失ってはじめて気づく自分の中心にある気持ち。いや、ほんとは分かっていたけど表現しにくかった気持ち。
ちょうど、猪苗代湖ズのバンド内バンド、ままどおるズがかつて「東京が好き大好き(福島も本当は好きなんだけど)福島には帰らない」と歌っていたのに、今は「I love you ふくしま」と何憚ることなく歌っているのと同じように。

けど、それはけっして福島に限った事ではない。
日本中の多くのふるさとを持つ人にとって、ふるさとを思う(愛憎の念が入り混じった)気持ちというのはおそらくあるのであって、福島の人たちだけが特に強く持っているものだとは決して思わない。

#儂は転勤族で自分のふるさとと呼べるような土地を持っていないから実はわからないんだけど

「明日から何かがはじまるよ、君のことだよ」
「明日から新しい日々だよ、君の日々だよ」
の言葉に背中を押される人もいる。

「ふくしまで愛したいんだ本当の君を」
「ふくしまで君が素晴らしいって事を確かめさせて」
君とは、恋人はもちろん、家族であり、故郷であり、何より自分本人のことかもしれない。

なんだよ、コミックバンドじゃなかったのかよ、猪苗代湖ズは。(^^;)
2年たってもこの歌に泣かされる。

是枝監督は言う「静かな映画です。きっと誰にでも訪れる日常として。」

福島のリアルは、日本全国にいる、誰にでも訪れる日常なのだ。
福島だけが特別なのではない。ひとたび事故がおこれば、どこでも同じ。

この映画を、福島だけの話だと思って見ているならそれはきっと十分じゃないと思うんだな。
自分たちの話かもしれない、と感じる事がどれだけできるか。そこが大事だと思う。

と、儂は感じたのだけれど、映画はそこまで押し付けたりはしていない。

最後に一つ。儂が気になった事。
音楽が好きな人間は、音楽に救われたり、音楽に心を動かされたり、音楽に背中を押してもらったりできるので、ついつい音楽の力を過信してしまう。
しかし、実のところそういう人間はむしろ少数派だ。

「LIVE福島」は確かにインパクトのある大きなイベントで多くの人に影響を与えたと思うけれど、音楽によって救われない人たちも確かにいるのだ。
#たとえば、「昔から変な魚なんて揚がっているよ」と言っちゃうような人とか(これもアフタートークより)
そういう人たちにとっては何が救いになるのだろう?

「『LIVE福島』、よかったね」、だけでは見逃してしまう現実にも敏感でありたい。

追記;
個人的にはあんべ光俊の「FUKUSHIMA TOWN」を入れて欲しかった。。。

あの日 ~福島は生きている~ @京都シネマの画像



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