ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

サマーウォーズ@MOVIX京都

2009-10-20 19:50:43 | 映画感想
痛快!!!

一言で言えばそうなんだけれど、それだけじゃないな。

仇討ち、という合戦ものであり、
家族愛の物語でもある。

ぱっと最初に見た感じは、陳腐な感じのアニメだなーという印象。

仮想世界と現実世界のリンク、仮想世界の混乱によって脅かされる現実というモチーフは、もう一般的なものになってしまったけれども、だからこそ逆にリアリティーを感じるのかもしれないなぁ。パソコンや携帯、ゲーム機で接続するネットコミュニティーはまさにリアルなものだし、ふだんは家族という生身の人間関係でありながら、実はみんなネット世界でのアバターもフツーに持っているという自然さも今となってはリアルだ。
ストーリー展開的にも決して突飛な感じじゃないけど、逆にそれは裏切らない安心感と爽快感にもつながるのかも。

いや、しかしホンマ、この映画が泣くような映画だとは思っていなかったのよ。そもそもね。
<最近アンタ何見ても泣いてやしないかい?、という皆様の声が聞こえます。

えーと泣き所は次の3箇所です。
(言ってもいいのか!?)

「おばあちゃんが亡くなるところ」
「遺言」
「世界中の人がアカウントを預ける」

大家族に君臨するおばぁちゃん。

単に普通のおばあちゃんじゃない。凛としたその振る舞いと何もかも見通しているかのようなたたずまい。おばあちゃんというよりも当に武家の頭領です。このおばあちゃんの下に一族が結集するのは必然だね。アニメなのに、そんなにじみ出る人柄がキチンと表現できているのが凄い。
おばあちゃんの号令で団結する家族。こういう感じ、なんだかあこがれます。おばあちゃんの道義心で繋がっている安心感とでも言おうか。なんと、声は富司純子さんではありまへぬか!エンドロールで気づいた。
だから、おばあちゃんが亡くなってからラブマシーンに立ち向かっていく過程は、人類を救うという目的の為、というよりはさながら仇討。近世の弔い合戦を見ているかのようなそんな感じなのだ(もちろん意図していると思うんだけど。)

もちろんただの弔い合戦では私戦でしかない。だから、家族だけでラブマシーンに立ち向かう(花札で♪)。
けれどもこの戦いが人類の行く末を決めるのだよねー。天地人じゃないけれど、義を持って戦う家族に世界中が見方する。それまで負けたキングカズマに罵声を浴びせたり、無責任な発言をしたりと、身勝手にふるまっていたネット社会の住人がようやく一つになる。強大な共通の敵が現れなければまとまることのできない人間の弱さは致し方ない、でもみんなの願いが一つになってそれが力になった時の感動はでかい。
(まぁ、ちょっとした錯覚ではあるけどねー)

しかし、なんともいいのは勝負は花札ってとこだな。そもそも敵を自分たちのテリトリーに誘い込むってのは戦のセオリーだよね。「昔は家族でよく花札したものだけど。。。」花札での勝負のバックには、きちんとおばあちゃんがついてくれているのだ。ほんでもって世界中の人たちがそれにシンクロして「コイコイ!」と叫ぶ。コイコイがこんなに感動的なものになるとはっ!。もしかして任天堂がスポンサーでついていたのだろうか?

最初、さほどのインパクトを感じなかった理由が、絵の感じがおとなしいと言うかスッキリしすぎているというか。まぁ、この変は好みの問題なんだろうけど。
好みの問題といえば、OZの世界観。オープニングで早速この仮想空間OZが紹介されます。
 まるっきり村上隆のDOB君じゃん!違うの?あの感じはわくわくするにゃ。好き。OZの守り神の2頭はジョンとヨーコ。なぜカイ君とユウちゃんぢゃないのだ?(C)海遊館

もう一つのリアルとしては、やっぱりネット社会の怖さだな。
便利であるが故、それに依存する。依存すればそれにトラブルがあったときには弱くなる。
物語では完全な「OZ」という仮想社会が出てくるわけだけど、全てがリンクする方向に進まざるを得ない、今の世界的な流れの中で、この教訓は持ち続けていないと怖いね。やっぱり。
今の学校できちんと情報教育なんか出来ているのでしょうかね?