パンダ イン・マイ・ライフ

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良寛 1/3

2019-03-17 | book
2018年11月29日、樹木希林の新聞記事に良寛の2句があった。「うらを見せおもてを見せてちるもみじ」「散る桜 残る桜も 散る桜」だ。良寛の句は108句。「定本良寛全集第3巻書簡集 法華転・法華讃 2007年3月初版 2008年10月4版」を見た。

前句81。貞心尼に付き添われ臨終の床で読んだ辞世の句。紅葉が裏を見せ表を見せてひらひらと散るように、私も喜びと悲しみ、長所と短所など、さまざまな裏と表の人生を世間にさらけ出しながら、死んでいくことだ。

後句24.桜の花びらがしきりに散っている。だが木の枝には、まだかなりの花がついている。しかしそれも、やがては散ってしまう。桜の花びらは、まことにはかないものだ。

水上勉の「良寛」を読んだ。昭和49年に雑誌連載された。図書館で全集第18巻を借りた。昭和52年4月刊行。(写真は、中公文庫の水上勉「良寛」だ。昭和59年4月発刊、昭和58年1月から12月まで雑誌発表に加筆訂正)

良寛は、1758宝暦8年、越後の出雲崎、佐渡を結ぶ唯一の港。そこの庄屋、神官の山本家橘屋の長男に生まれる。幼名を栄蔵。1775安永4年、18歳で遁世し、近くの尼瀬(あまぜ)の光照寺の和尚の徒弟となり、剃髪して良寛と号した。田沼意次の時代と文化文政時代と呼応する。
詩歌、書道などを能くし、74歳、1831天保2年に島崎村(新潟県長岡市)能登屋で没した。

和歌、漢詩は多く残した。俳句もある。しかし、その生涯は詳らかではない。

良寛は、庄屋の長男。家督を継ぐ身だったのにもかかわらず、出家し、寺に入る。庄屋同士の確執と実家の没落、父の死、栄蔵の性格など、栄えた港町出雲崎を時代の背景とともに語る。

実家の檀家は、出雲崎の真言宗円明院だが、光照寺は曹洞宗であった1779安永8年、光照寺に西国備中玉島円通寺の国仙和尚が滞留する。その国仙が玉島へ帰るのに、良寛は弟子として随行する。22歳の時だ。しかし、倉敷市玉島の円通寺に国仙、良寛の資料はないという。うららかな瀬戸内の町で、良寛は12年の修行の歳月を過ごす。ここで良寛は変わったと水上はいう。
この国仙の死をきっかけに良寛は円通寺を出て、放浪の旅に出る。





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