アメリカの女性詩人・小説家、メイ・サートンを知ったのは、2016年7月に刊行されたの「70歳の日記」の新聞書評であった。1912年生まれで、1995年平成7年に83歳で亡くなっている。図書館で見つけたのが1991年平成3年10月に日本で発刊された「独り居の日記」である。
解説を引用すると、「年齢を重ねるほどに、みずみずしい作品を発表したアメリカの詩人・小説家、メイ・サートン。1995年平成7年に83歳で亡くなるまで、その創作意欲は衰えをみせなかった。さかのぼって1960年代の後半、はじめて小説のなかで自分の同性愛を明らかにしたサートンは、 大学の職を追われ、折しも愛の関係のおわりと父親の死の直後で、失意の底にあった。やがて彼女は、世間の思惑を忘れ、ひたすら自分の内部を見つめることで新しい出発をしようと、まったく未知の片田舎、ニューハンプシャーの片田舎ネルソンで生活をはじめる。その頃の一年間の記録である。自然と動物たち、大切な友人との交流、詩作、読書、生と死をめぐる万感が、 無垢な感性と作家の思索をとおして文字になり、さらに、創造の時空としての孤独を見つめる穏やかな文章の水面下には、恐れ、悲しみ、喪失と、女性に禁忌とされてきた怒りの爆発を直視する「戦士」がいる」とある。
日々の独り暮らしの中で、自然、友人たち、畑、四季折々の花々。そして、心の葛藤などが赤裸々に語られる。始まりは、9月15日から翌年9月16日まである。そして、その時のサートンの年齢は1970年昭和45年、58歳の時だ。まさに自分の年齢と同様なアラウンド・シックスティなのである。現地では1973年昭和48年に発表された。偶然にも、この2016年9月に新装版が出た。図書館で注文し、数ページで購入を決めた。その感性を知り、逐次紹介することにしよう。
解説を引用すると、「年齢を重ねるほどに、みずみずしい作品を発表したアメリカの詩人・小説家、メイ・サートン。1995年平成7年に83歳で亡くなるまで、その創作意欲は衰えをみせなかった。さかのぼって1960年代の後半、はじめて小説のなかで自分の同性愛を明らかにしたサートンは、 大学の職を追われ、折しも愛の関係のおわりと父親の死の直後で、失意の底にあった。やがて彼女は、世間の思惑を忘れ、ひたすら自分の内部を見つめることで新しい出発をしようと、まったく未知の片田舎、ニューハンプシャーの片田舎ネルソンで生活をはじめる。その頃の一年間の記録である。自然と動物たち、大切な友人との交流、詩作、読書、生と死をめぐる万感が、 無垢な感性と作家の思索をとおして文字になり、さらに、創造の時空としての孤独を見つめる穏やかな文章の水面下には、恐れ、悲しみ、喪失と、女性に禁忌とされてきた怒りの爆発を直視する「戦士」がいる」とある。
日々の独り暮らしの中で、自然、友人たち、畑、四季折々の花々。そして、心の葛藤などが赤裸々に語られる。始まりは、9月15日から翌年9月16日まである。そして、その時のサートンの年齢は1970年昭和45年、58歳の時だ。まさに自分の年齢と同様なアラウンド・シックスティなのである。現地では1973年昭和48年に発表された。偶然にも、この2016年9月に新装版が出た。図書館で注文し、数ページで購入を決めた。その感性を知り、逐次紹介することにしよう。