光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

晦日の夜の冷たい雨

2007-12-30 18:58:59 | 散策
  いっとき、雪が降ったが、これは記録には残らないようである。
  どうも、雪になりそうで、それで、雪が降り始めると、しばらくすると、今度は、曇り空でなくて、ほんのり明るくもなる。青空も見える。このあたり、なるべくものを正確に伝えたいという立場からいうと、かなりやりずらいものがあるが、これが、冬型の正体でもあって、ここをどう乗り切るかが問題とされるが、この先どうなるか、今のところは、何とも言えない。少し静かになったようであるが、この辺りが冷たい空気に覆われてしまえば、一種の安定した降雪のパターンにも入ったともいえるので、安心は出来ない。

  しんしんと冷えるという感じはまだないが、じっとしていると暖房を付けていてもその暖かさが伝わらない辺りは、いつも違った冷たさが感じられる。これが、建物の冷却というものだろう。まだまだ、暖かいものが残っているが、順順に冷気が忍び寄る。暖かいというものが冷たいものと混じる。それらは互いに相殺しあうようであるが、やがて冷たい物のほうが優位に立つ。こうなると、あとはさほど問題なく、冷え冷えとした環境が出来上がる。外堀は寒気で埋め尽くされて、いくら中で暖房器具を使っても、とてもその冷たさの大軍には耐えられず室温は下がってくる。
  でも、幸い、ここは、さほど寒いところとは認知されてなくて、また実際のところ、寒いといっても、外の温度でマイナスの2、3℃、それで、建物の中だと、ごくたまに零℃という場合があるが、これは最近経験していない。下がって、2℃である。これに暖房を使えば、二桁の温度になる。ずっとそうやって暮らしてきたのであって、特にガタガタいう事もない。こうゆう感じで、こんな寒さなんてへッチャラというものを自分の中に作っていく。そうか、これを忘れていた。

  冬のお天気というもののもう一つの問題点は、光の量がかなり少なくなることで、それでも、雪の日の明るさというのは、かなりあるような気がする。が、今日のような、交互に寒気が入って雨やらミゾレが降るとなると、日中でっも真っ暗になるときがあって、これがあまり気持ちのいいものではない。ほどほどの明るさだと、恐怖感というのもないが、ちょっと明るくなったかと思うと、もう西の空が真っ黒になっているのがわかって、それこそお昼なのに、電球を付けないといけなくなる。
  この明と暗が、そのコントラストが、人を傷つけるようだ。さらに、これが続くわけだから、余計に参ってしまう。せめて、明るさだけでも、一定していればと思わざるを得ない。温度、明るさ、この二つの問題をいかにコントロールするか、それをうまくやれば、ある程度快適な冬の生活も送れるようである。

  まー、しばらくすれば、いやでも、これまでの経験というものも思い出されて、それなりの対処法というのも自然に出てくるだろう。明日のことは明日になってみないとわからない。ここに来て、少しさっぱりした気持ちにもなってきた。

  何かを期待していたが、まだ今年は明日もあるので、今日はきのうも少し触れたけど、私が見ていたピラカンサの実の最後というのを出してみたい。庭木で、まだまだ真っ赤な実をたくさん付けているピラカンサはもちろんある。



  12月23日、ちょうどいいお天気だったときのピラカンサで、少しずつ実は黒くなっているのだった。でも、まだまだびっしりついている。これが、



  きのう、少し雨が降るという日、その場所にいってみると、このように、ほとんどと言っていい実が落ちていた。小枝というのか、何というのかわからないが、そのものだけが、まだ少し赤い色を残していた。見ている角度が少し違うが、他もこんな様になっている。
  この下に、実は落ちている。その数は、足し算すると一枚目のものと一致するかというと、足りないようだ。鳥が食べたのかも知れない。この実を取った人がいる、その考えも浮上してきた。

  以外にあっさりとした、ピラカンサの実の最後である。  

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