光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

すごかったかも知れない、8月14日の夕日と白い雲の競演

2015-08-16 14:05:04 | 散策
  お日様の高度がだんだんと下がってくるので、光が窓の桟まで届いて、すぐ斜め横の窓が光っている。


  もう少しちゃんとカーテンを閉めるのだったな、なるべく見ないようにしよう。

  生命はどこから、というのはなかなかむつかしい問題で、残念なことにこの謎は解けないだろうと思う。

  お盆だから思うわけではないけど。

  きのう夜、NHKのEテレを見ていて、「彗星」についての様々な謎を映像を多用して注目させようという感じの番組が

  あったが、その映像があまりに、妙で人工的なので、もちろん人が作ったものだからしょうがないが、興ざめして

  どこの国が作ったものかも見るのを忘れた。土曜日はこのシリーズが必ずあるが、高校野球が長引いて

  1週遅れになったもののようだ。もちろん途中で見るのを止めた。


  生き物というと、いまはどの程度の興味が持たれているか。私は昔むかしに戻れば戻るほど、きれい汚いはどうでもよく、

  親の存在の心強さ、あるいは外で遊ぶことの楽しみが強かったことが思い出される。自分の着ているものに、食べている

  ものに関心がなく、衛生状態もみな頼りにしていればよかった。それでも特に何かひどい病気にはならなかった。

  親がそれなりに、注意していた。これには、それ以前の、昭和も初めのころの、あるいは敗戦後も生き延びる意志の強さと、

  健康な身体があった、両親に、ということも強く思う。もっとも、そうゆうことを感じるようになるのは、幼稚園ごろでも

  あって、敗戦から15年はたっていた。


  どうゆう状態だったか、焼け野原の跡は。これは本で読むしかないが、結構うまく書かれていて、悲惨さが伝わら

  なかったか、逆にそのものを描いていて、これは読めないという感じもあったのかな。なかなか思い出すことも

  それを表現することも、いくら小説家でもむつかしかったはずだ。

  
  生き物ね、この先あとどのくらい生きられるか、いつも思う私だが、もっともな話である。これを、61年生きてきて

  考えないほうがおかしい。いつ死んでもおかしくはないということ、誰しもとはいわないが、考えている人は多い

  のではないか。


  生き物とそうでないものの違い。オパーリンというロシアの学者がいた。コアセルベート、いまとなっては何のことか

  わからないが。もっとも、学者が生きていたのは、ソビエトの時代だったかな。もう一回ここのいえの昔に戻ると、

  これは昭和も40年台から50年台だが、広い家に、それ以外にあまり見るものはなかった。広かったことは事実で、

  むかしは冠婚葬祭を、いえでやってということもあった。ほかにというと、人以外に、生き物もいて、それがネズミ

  だったりも。こうゆうことはいまでも不思議ではないようで、あーネズミね、で済んだことだ。もっと野生の生き物が

  いる「いえ」もいまもあるはずで、そこに寝泊りに行くに平気である。そうゆう人もいる。私が一番これは嫌だと思った

  のは、生きているような鶏が、米袋の中に入っていて、祖母にそれ何かわかるかと聞かれたときで、中を見て白い羽が

  あって、すぐにわかった。これはいくら、昭和の40年台でも鳥を処理するということを知っているわけがなく、

  もともと鳥はあまり好きではないので、しばらく鶏肉を見るのがいやになったことがある。


  もっともいまは平気で、ゲテモノ以外は何でも食べる。で、ネズミ捕りに引っかかったネズミは籠ごと、バケツに

  漬けられる。これもそっと見たが、見たのは籠だけである。その後、しかし学校でネズミに縁のあることをやらないと

  いけなくなって、目もちゃんと開けて簡単に書けないことをやった。

  あまり気持ちのいい話ではないが、いまでもここのいえで、つい最近だが、ゴキブリ捕獲装置に、その白い小さい

  小ネズミが干からびてくっ付いていた。このときはさすがに、60超えていても嫌な思いをしたが、それよりもなぜ

  いえの中に、というのが解せない。姪っ子はもちろん、もう立派な大人だけど、それでもこうゆうことは知らないだろう。

  電話で、何が入っていたと思うと聞いたところ、正解をさらりという。へーなかなか、怖いもの知らずだなと思ったが

  まーそうゆうところに住んでいる、ということ。で、ネズミはいまでもたまに、それこそどぶの入り口から顔を

  出して、走ってゆく。

 
  蛇などもいえの中にいて当たり前で、これがネズミを食べたかも。

  徳川の時代に、ずいぶんと有名な絵師がいるが、美人画ほかいろいろなものを描いていて、これは世界でも通用し

  多くの西洋の画家に影響を与えた。これはもっと世に知られていいものだが、おおっぴらに出来ないものも

  あるからか、静かなブーム程度のようだ。

  徳川の時代のいえは、明治の時代のいえとどのくらい変わっているか、特にこの辺りのお百姓さんのいえはどう

  だったか。いえの中にいろいろなものが出た。まずは「お化け」がある。これは明らかに死者の影響がある。

  みな子供も大人も、いえで死んでいった。あるいは野垂れ死にみたいなことも。そのまま残ってもいたのだろう。

  ここに野生の生き物も登場する。妖怪というものは、必定的に、いえのなかにいて、いえの外にもいた。

  もっともな話だな。人が亡くなれば、誰でも悲しいと思う。で昔のいえである。夜泣きするものも多い。

  音もする。雨嵐に、台風に、地震に、戦乱にとなる。お化けがいてよかったという感じかな。


  いまでもたまに本で、死者の姿を見ることも出来るが、さすがに昔むかしのものは迫力があり過ぎて

  見たいという気にはならない。現代では、運転免許を取るときに見る悲惨な事故の映像がそれに当たるかな。

  生き物の誕生もむつかしい話だが、先に死があったということ。ホラー映画は見たくもないが、もし過去にゆくことが

  出来てその時代を見たら、映画の作者も考えを変えるかも知れないなー。


  それに比べて、生き物の誕生は意外とあっさりとしているか。ただ、その謎を解いた人はいない。太陽系が出来たときと

  いうのが、いかにも情報に満ちているようだが、人がこれを再現することが出来るか。仕組みを解明できるか。

  どうかな。

  それよりも、生まれてきたという奇跡を大切にしないといけない。これもなかなか多くの人に伝わらないような

  いまの世情があるような。


  以下は夕日の画像で、なかなかよかったが、枚数見ているので、平凡かも。




  その一。8月14日。




  その二。これくらいだと、G1 X Mark IIでも、ピントが出る。




  その三。




  その四。




  その五。





  その六。この色がなかなか出ないもののようで。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。これはごろんと横になっていたけど、カメラを持ち出しました。


  室温30℃。かなり汗。



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