光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

天気回復して現われたいろいろな雲。雲も空も変容する。

2015-07-03 14:07:17 | 散策
  晴れ、風が程ほどに吹いていて、いまは湿度も少し下がっている。

  きのうはやけに暑いような気がして、やはりいいのは冬ではないか。簡単にそう思った。

  ものも腐らないし。ずいぶんとむかし、私も若いというときがあったということだが、

  冬が好きだ、という人がいて、それほど好きでもない私は、変わった人だなと思った。

  しかし、それもものすごくむかしの話なので、いまもその人が同じ考えでいるか、どうかなと思う。


  今日は朝はというと、割と眠っていて、それでもまだ眠かった。ということは、気分は悪くはないと

  いうことで、さらに、久しぶりにネコの顔を見て、安心した。安心はしたが、食べ残していったもの

  を見ていると、寂しいものがある。でもあまり考えないことにした。ほかでも食べているのかも知れ

  ないし。

  でも痩せたのは事実である。ネコが来たときは、手帳にも書いているが、一ヶ月、いや二ヶ月前ほどは

  一日に、二回朝晩食べに来たことがあって、これが続いても困るなーと思った。でもこの悩みは

  長くは続かなかった。そんなものかも知れず、いまは2日来ない、3日来ないとなると、もうずっと

  来ないかも知れない。そう思うこともある。


  そうそう画像は、ただの雲であるが、これがなかなか奇妙というか、見方によってはだが、

  夕日に金色に近い色で輝く雲が細長くつながっていると、これはぞっとした。雲とお日様が複雑に

  絡んでいる、という状態もあまり見ないものだが、これらも7月1日のもので、雨が止んだが風が午後

  ひどくなった、そうゆうときに現われたものだ。



  フィリップ・ロスという作家がいる。朝、ふとあるタイトルを思い出して、それを探したがなかった。

  タイトルも妙なもので、ここには書かないが、もしかしたら、作者が違うのかも知れない。

  集英社文庫で出たもの。ときどきこうゆうことがあるが、それが本の探しものである場合、ないとなると

  最近はもう探せないというか、出てくることはないだろう、そう思うことが多い。


  食べ物で、いえに残るものは少ない。いっとき、富山県でレジ袋を止めようという、けったいなことがあって

  どうでもよかったのだが、まだお店があったころ、そこでは普通に出していたが、私は何度か同じ袋を使うという

  いうことをやった。いまは、通販でしか食べ物を買えない。で、一回に3、4枚の大きめのレジ袋は

  残ることになる。この成分が無毒なものか、あるいは温暖化ガスを発生しないか、よくはわからないが

  これは溜まる。欲しいという人がいるとあげることにしている。ゴミには出さない。

  生もので食べられないところ、果物の皮などは、外にポイと捨てることが出来る。これは簡単に地面に帰って

  ゆく。これをやらないと、土は減る。もう少したくさんあった方がいい。草刈りとかでも、草は残してある。


  木もかなりの嵩になるが、3、4年でおそらくもとの十分の一くらいにはなっていると思う。ただそこは、毎年

  切った枝葉の置き場になる。で、それは繰り返される。むかしの木はもう土になっているかも知れないが

  見たことはない。ただそこからも草もまた新しい小さい木も生えてくる。それでも地面の土は、水で流

  されてゆく。


  本とか雑誌とか、ほとんど買わない。ただPR誌は買っていて、これ思いの外かさばる。これをゴミとして

  なかなか出せない。新聞は、この前久しぶりに、もっていってもらえた。うまくいったほうだなと思う。

  それでも、ここのいえに、たとえば薬のビンとかはどうしても溜まる。不燃物で回収されると聞く。

  でも実際にその日に出したことはない。これがやけに目立つ。燃えるゴミは出せるのだが、出せないという感じ

  のものは多く、これは溜まる。もっとも、ビタミン剤など、普通はそんなものはいらないといったものまで

  飲んでいる。溜まるのは当然だな。こうして不要なもののあるものは、溜まってゆく。ときどき思い出す本、

  これを見つける能力もなくなった。朝は、あるメーカの粉状のインスタントコーヒーを飲んでいる。

  これも溜まる。去年まとめて出した。今年は、きれいにはしてあるが、どうもその気にならない。


  これなんかはやっぱりおかしいのではないか。そう思う。

  食べ物と薬以外に、飲み物があるが、これは配達してもらう。瓶と、キャップはもちろんお返しする。

  これは再利用は可能である。でも封してある証拠でもある金属のシールは、これまた不燃物で出せるはずだが

  溜めている。


  本は、本箱に入っている以外のものも多い。みな重ねて置いてあって、この中に、辞書とか、単行本とか

  カメラの説明書とか、年代にして40年くらい違うものが一緒になってある。なんだかんだ言いながら

  ポイ積みしてゆくと、いろいろなものがごっちゃになって、あれはと思ったときにちょっとした混乱

  状態になる。必要なものが上にあるはずだが、これが実際には、1年前くらいのものがかなり下にゆく

  場合がある。しかし、さすがに10年前のものは、綿ぼこりに包まれている。


  最近の無力感は、こうゆうところにも原因があると思う。地面に余裕のある人はいろいろなものを燃やして

  いるようである。でもそれは怖くてここでは出来ない。

  残念ながら、再生可能という状態にない。


  ここまで書いたのだから、少しは要らないとわかったら、ゴミ箱に捨てて、燃えるゴミの日に出そう。

  ただ一部、この春に、モニタの入れ替えをやって、あるものは段ボール箱に入れて、下におろした。

  でも、ものの量としては、微々たるものだな。のびのびと書いたつもりだが。どうでもいいことばかり。


  雲あれこれ。



  その一。これが7月1日の、午後の3時ころ。少し東の空が明るい。雲が見えるように。





  その二。時間はまたたって、西の空から日がこぼれた。




  その三。空の上のほうには寒気の正体か、高層の雲のようにも思えるものも。




  その四。




  その五。




  その六。総じて、最近見なかった空の様子。





  その七。さらに時間がたったか、東の空に、低いが細長い夕日を浴びる雲。この色も色だが
  長さもかなりで、長いゴボウのような雲だ。




  その八。これは反対側だが、結構違和感があったので枚数は撮っている。




  その九。立山連峰も、この色に染まった雲で覆われている。


  梅雨だからということで、これからも五月雨が続くのかな。

  星がどうのこうのに興味のない人はとは限らないと思うが、なかなかそれに関する遊び道具を

  出す機会がない。先細りするマーケットだが、買ったはいいが星は出ないとなると、これまた寂しい。

  大枚はたいているからね。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿