光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

一瞬の早春の感じがあったのかな

2015-01-25 07:10:13 | 散策
  体感というのは、そのときの身体の調子もあるし、気分の問題も。


  特に雨とか湿気の多いとき、神経に障ることは多いようで、自分の体で天気予報が出来る、

  というTVを、NHKの立川志の輔師匠の、ガッテンで見ていたが、

  これもときによって混乱する条件がある、ということ。


  そこに冷たい雨が当たっていなくても、感覚器がそれを感じて、あーなんか雨が当たった、

  と思うときがある。第一、雨は降っていないときもある。

  体を動かしただけで、刺激になるものは多いということだが、脳は勘違いをするか、

  機能的に一部壊れている。


  年齢もあるし、それが起こって特に今は混乱はないが、要らぬ刺激だけは避けたいもの。


  私の父は寒がりの程度が強かった。父の父、つまり祖父は、夏、寒い寒いといって、これはもちろん晩年に

  近いときだが、父は苦労したようだ。

  しかし、こうゆうものも眠っているときはなんとも感じないのかも知れない。


  きのうはいいお天気のように思えて、午後も3時を過ぎると雲が多く出て、夕方には完全に曇った。

  日差しはなくなった。

  でも、温度計は10℃以上をさしていて、その後は雨だから、さほど冷えることはない。

  宵の時間、コタツはいったん切っていたようだが、やけに熱く感じられて、あれスイッチ入っているのか、

  切るつもりで反対に移動させたが、余計に熱くなって、もとに戻した。

  足の感覚だけは正常なようで、それでももちろんコタツから出ると、まだ暖かいというものはない。


  そのままでしばらく時間がたったが、今度はコタツの温かみはなくなった。

  それでちょうどいいくらいで、眠るときはやはり身体はある程度体温下がっていないと

  いけないことがよくわかったが、これもさじ加減のようで、信頼に値するのは

  やはり温度計である。

 
  いずれにしろ、ややこしい問題は、歳を重ねて増えるばかりだが、

  まだ何も感じないよりはいいかも。


  日の出のいろいろ。















  今朝は雨のあとで、晴れそうな空がある。



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