光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ヒルガオ、ヒャクニチソウ

2011-07-11 18:55:17 | 植物・花(夏)
  雨。雨は長続きせず、雨は止んだ。それで、梅雨明けの空が戻ってきて
  気温はでも少しだけ下がったようだ。
  でも汗。

  昼に、ヒルガオを見つけると、ユウガオかと思ったりもする。
  そりゃ干瓢(カンピョウ)じゃないか。
  ヒルガオが雑草のように咲いている。花だけ見ると、アサガオ
  より少し静かな色合いだけど、悪くはない。
  昼にこれだけ清楚だといい。
  ヒャクニチソウ。センニチコウとどっちがいい。
  ニチニチソウ、その間の10というのは、ゴロで入るものはあるかな。
  知らないことは書くのは止めよう。




  アサガオと同じように、どこからか出ていて、その根元は不明である。
  花だけ目立つ。幽鬼のようにそこにもも色の花。ただ昼は今は明る
  すぎて、美しさのほうが目立ちすぎる。




  窮屈そうな咲きかたをする。




  雑草同士で、仲良く咲いて。でなかなか、草一本が邪魔になる。




  もと画像だと色が淡いので、もも色が強く出るように補正。




  で、見た感じ、イメージの色合いは、このくらいになる。


  ヒャクニチソウ。



  咲いているヒャクニチソウ。ヒャクニチソウか、とどうしても私は思って
  しまって、でもその花をあまりは見ないが、カメラのイメージとしては残す
  ほうだ。見ていない。これがいけない。




  だがこのヒャクニチソウは、非常によく思えた。それゆえ、枚数も増えた。
  で、やっぱり目で見るというのはあまりやらなかった。モニタばかり見ていた。
  暑いというのもあったのかも。




  かなり拡大している。星型の黄色い花の繊細さ。




  いいヒャクニチソウである。そう思ってほとんど満足した。




  そのよさを画像ででも再現するとなると、それに適したと思えるものが
  なかなかないのは不思議だ。


  7月11日。特に思い浮かぶこともない日であって、今日が誕生日だという人などは
  それは、感慨あるもので、でも誕生日というものは若いときはなんだか照れくさく
  また早く歳を取りたいとかも思う。でもそう思っているうちが花だ。
  段々と人は歳を取るから、それも増えてゆく。白髪が増えるように、皺の数が
  増えるように人は歳を取ってゆく。あー、それでもうウン十年間も生きてしまっ
  て、もう歳を数えるのも面倒だと思えるときが来る。

  「いくら人生は何十歳から」

  が始まりであるとか強がりをいってもだめで、段々と疲れが激しく、生きているの
  がこんなにしんどいものかと思うようにもなる。だから、若いうちが花なのである。
  まーこんなことを書こうと思っていたのではないけれど、今日が7月の11日である
  からか、神妙にもなってしまう。

  雑誌の販売日というのがあるが、ではその原稿の締め切りの日はいつかというと
  このところのPR誌を見ていると、どうも丸2ヶ月前というのが一般的である。
  だから、5月号というと、まだ東日本・関東大震災についての記事というのは
  よっぽどのことでもない限り載らないということになる。

  それでも、いろいろな雑誌の5月号には、これの、販売日の遅い早いはあるが、
  大震災関係で、特集を組むことが出来たというものもあることがわかる。
  でも、この2ヶ月という時間は結構長い。
  いまは7月で、だいたい早くて、さらにまだ東日本・関東大震災関連の記事は
  様々な雑誌に載ることになるだろうが、それが早くても夏休み過ぎの、9月と
  いうことになる。
  7月11日の時点でわかっているということを元に記事を書いて、それが読者の
  目に届くのが、9月。
  なんだか、気の遠くなるような時間差がある。もっとも、そのときというか
  リアルタイムで進行する、TVとかその外の電子媒体による記事が的確に何かを
  伝えているか、ということなどは無論私はどうのこうのいえないが。もしかして
  9月ころになるともう残っていない。9月に9月の何かがある。これもなんだか
  そのうちに消えてしまうものと思うと、多少寒気のする現実感がある。



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