朝から雨、雨もひどくなり、これでは少しかなわない。
やってなかった風呂掃除をやり、もしかしたら新たに灯油ヒータに油を入れないといけないかもと思うが、それは止めた。風呂掃除もどってことないようで、気も使うもので、満点とか自分でも付けられない。50点がいいところ。途中、別個に洗っている、フィルタなどこすっていると、今度は排水の方がうまくない。水があふれて、下に引いていたタオルまで、濡れてしまった。
お風呂の排水溝。これは止めておいた方がいいか、あまりにきれいではなさ過ぎて。しばし鼻をつまむ気分。
それを忘れて、雨も激しく降る中、時おり外の空気を入れたりもする。雨が斜めに降り、止まる鳥もどこかに隠れていない。それから目も、その瞳孔も開くと、緑の明るさというものがよくわかる。きのうから今日の雨で、少しだけか、それともかなりの水を植物は吸い上げてくれて、特に水溜りも出来ない。で、葉っぱは水もぽたぽた垂れるくらいで、もしかしたら、今は新緑は水っぽいかも知れない。
新緑の濃さにいろいろあって、薄い黄色、草色のものが、今また目立ち始める。一日にどのくらい大きくなるのだろうか、あっという間にというのはかなり大袈裟だけど、そんな感じで、これまでは空気があったところに、ニョキニョキ新芽の空間が広がって、それでなんだか世間も狭くなった感じはある。
昔のここのことを思うと、ものすごく断片的であって、しかし木そのものはもっといくらでもあって、またそれを不思議と思わなかった。それだけ辺りに木々も多く、また緑全体も多く、道の幅はというと今の半分以下で、それこそ考えてみると極楽に近い状態が広がっていて、しかしそれは今はほとんどない。
さらに時間はたって、ここの木々というのもどんどんと切り取られて、一つは手に負えなくなったものがある。これは記憶にはあるが、切り取られるときはいなかったので、知らない。結構大変だったようだ。
いくつか、断片的ながら最近であるが台風とかで、木が倒れてということもあって、急速に木がなくなってゆく。これもしょうがないかと思うものもある。木々は管理される、というかそれでうまく育つものでもあるらしい。そうかも知れないなー。大きくなって、それを神様のように思われる木々は残るだろうが、手に負えないというものは、どうなのだろうか。管理される里山、それと自然林というか、原生林がある。今の時代、生き残るのは人の方だけど、つまりは木々とは協調的ではあり得ない。そんなことも思う、雨の一日であって、そういえば忘れていたが、
防風林だの、防砂林など、ペケペケ林などの木々の働きは、最近はそうゆう言葉も聞かない。木々の持つ、貯水能力とかも聞かない。これも今の生活では忘れ去られるものの一つなのだろう。
世界の「旅紀行」などは最近TVで見ることもなくなった。TVそのものを見なくなった。でもときどき、ちらっとだが、いけない世界一周の旅の少しをそれで満たそうとする気持ちもなくはない。そういえば旅の話や、日本一周の旅やら、世界食べ歩き紀行などの、書き込みをやられる人もおられるから、これはネットの方がより細かい世界歩きを出来るかも知れない。もっとも、誰も知らないような、そうゆうところというのは、これはそうは易々とは出ないようだ。
今頃ふと思い出すのが、この近くの枯れ木で、これももう少し時間がたつが、枯れ木の大木があって、この2、3年、枯れたままで、この木もそのうちに倒壊する恐れがあるかと思っていた。回りに影響はというと、全体が倒れるとこれはあるようだが、枝くらいの一つは大丈夫そうで、しかしツルツルの枝で、折れそうで折れない。その木の一部に、なんだかはっきりしない新緑が見える。枯れ木に纏わり付いた、蔓性の植物か、その脇にある木の芽かと思ったが、
木そのものからちゃんと枝が出て、その枝から新芽が出ているように見えた。ただ少し離れている。離れているけど、木そのものから枝が一つ二つ出て、その先に新緑がわかるくらいに生長していた。これはごく普通にあり得るのか、あるいは特殊か、よくはわからないが、簡単に枯れ木ともいえないものだ、と思いを新たにした。しかし、大木を支えるには、あまりに小さい枝で、しばらくしたら、また見にゆこうと思っている。
雨の日の、カエデで、これはかなり時間がたっている。きょうなどは、暗すぎてこのようには写らないと思う。
もう一枚。雨の日のカエデ。
枯れ木ではない大木であって、この木にもようやく新芽が出てきた。少し遅く出てくる。それが特徴というと、特徴かも知れない。
近くで見ることが出来る、密林のようなところはここくらいしかない。決して密林ではなく、「ような」なのである。こうゆうところが他にもあったらなーという気持ちは大きい。
新芽の妙、きっちりとしていて、規則的であって、対称的ではない?。感じでいうと、しかし少しギスギスしている、妙。
少し引いてみる。何度か登場する、よくはわからない木。もう少しグニャグニャに曲がらないか、とも思わせるものがある。
やってなかった風呂掃除をやり、もしかしたら新たに灯油ヒータに油を入れないといけないかもと思うが、それは止めた。風呂掃除もどってことないようで、気も使うもので、満点とか自分でも付けられない。50点がいいところ。途中、別個に洗っている、フィルタなどこすっていると、今度は排水の方がうまくない。水があふれて、下に引いていたタオルまで、濡れてしまった。
お風呂の排水溝。これは止めておいた方がいいか、あまりにきれいではなさ過ぎて。しばし鼻をつまむ気分。
それを忘れて、雨も激しく降る中、時おり外の空気を入れたりもする。雨が斜めに降り、止まる鳥もどこかに隠れていない。それから目も、その瞳孔も開くと、緑の明るさというものがよくわかる。きのうから今日の雨で、少しだけか、それともかなりの水を植物は吸い上げてくれて、特に水溜りも出来ない。で、葉っぱは水もぽたぽた垂れるくらいで、もしかしたら、今は新緑は水っぽいかも知れない。
新緑の濃さにいろいろあって、薄い黄色、草色のものが、今また目立ち始める。一日にどのくらい大きくなるのだろうか、あっという間にというのはかなり大袈裟だけど、そんな感じで、これまでは空気があったところに、ニョキニョキ新芽の空間が広がって、それでなんだか世間も狭くなった感じはある。
昔のここのことを思うと、ものすごく断片的であって、しかし木そのものはもっといくらでもあって、またそれを不思議と思わなかった。それだけ辺りに木々も多く、また緑全体も多く、道の幅はというと今の半分以下で、それこそ考えてみると極楽に近い状態が広がっていて、しかしそれは今はほとんどない。
さらに時間はたって、ここの木々というのもどんどんと切り取られて、一つは手に負えなくなったものがある。これは記憶にはあるが、切り取られるときはいなかったので、知らない。結構大変だったようだ。
いくつか、断片的ながら最近であるが台風とかで、木が倒れてということもあって、急速に木がなくなってゆく。これもしょうがないかと思うものもある。木々は管理される、というかそれでうまく育つものでもあるらしい。そうかも知れないなー。大きくなって、それを神様のように思われる木々は残るだろうが、手に負えないというものは、どうなのだろうか。管理される里山、それと自然林というか、原生林がある。今の時代、生き残るのは人の方だけど、つまりは木々とは協調的ではあり得ない。そんなことも思う、雨の一日であって、そういえば忘れていたが、
防風林だの、防砂林など、ペケペケ林などの木々の働きは、最近はそうゆう言葉も聞かない。木々の持つ、貯水能力とかも聞かない。これも今の生活では忘れ去られるものの一つなのだろう。
世界の「旅紀行」などは最近TVで見ることもなくなった。TVそのものを見なくなった。でもときどき、ちらっとだが、いけない世界一周の旅の少しをそれで満たそうとする気持ちもなくはない。そういえば旅の話や、日本一周の旅やら、世界食べ歩き紀行などの、書き込みをやられる人もおられるから、これはネットの方がより細かい世界歩きを出来るかも知れない。もっとも、誰も知らないような、そうゆうところというのは、これはそうは易々とは出ないようだ。
今頃ふと思い出すのが、この近くの枯れ木で、これももう少し時間がたつが、枯れ木の大木があって、この2、3年、枯れたままで、この木もそのうちに倒壊する恐れがあるかと思っていた。回りに影響はというと、全体が倒れるとこれはあるようだが、枝くらいの一つは大丈夫そうで、しかしツルツルの枝で、折れそうで折れない。その木の一部に、なんだかはっきりしない新緑が見える。枯れ木に纏わり付いた、蔓性の植物か、その脇にある木の芽かと思ったが、
木そのものからちゃんと枝が出て、その枝から新芽が出ているように見えた。ただ少し離れている。離れているけど、木そのものから枝が一つ二つ出て、その先に新緑がわかるくらいに生長していた。これはごく普通にあり得るのか、あるいは特殊か、よくはわからないが、簡単に枯れ木ともいえないものだ、と思いを新たにした。しかし、大木を支えるには、あまりに小さい枝で、しばらくしたら、また見にゆこうと思っている。
雨の日の、カエデで、これはかなり時間がたっている。きょうなどは、暗すぎてこのようには写らないと思う。
もう一枚。雨の日のカエデ。
枯れ木ではない大木であって、この木にもようやく新芽が出てきた。少し遅く出てくる。それが特徴というと、特徴かも知れない。
近くで見ることが出来る、密林のようなところはここくらいしかない。決して密林ではなく、「ような」なのである。こうゆうところが他にもあったらなーという気持ちは大きい。
新芽の妙、きっちりとしていて、規則的であって、対称的ではない?。感じでいうと、しかし少しギスギスしている、妙。
少し引いてみる。何度か登場する、よくはわからない木。もう少しグニャグニャに曲がらないか、とも思わせるものがある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます