ちょうど、2日の日だと思う。元日は、いえの中か、せいぜい10mくらいを歩いた程度だ。
2日の日は、たしか出してないハガキを急いで書いて、郵便ポストまで歩いた。違っているかも知れないが。
それはよくあること。でもこの郵便ポストへの、小さな旅の帰り、道は左右に分けて、またもとに戻るものだが
右か左かで、右を選んだ。車の多いほうである。このとき、黄色い花を見た。菜の花かな。
たとえば畑のムギの生長なども見る。ムギなので畑と書いているが、イネなら田んぼで、この辺は
大体、イネ、ムギ、ダイズで、循環している。よくはわからない。米は、もちろんイネの種子のことだが
むかし輸入米で騒いだことがあった。ガイマイ、そんなもの喰えるかというわけだが、嘘のような話しである。
でもイネにいろいろで、いや米だったか。値段も、普通の小売店だと、10kgで5000円近くはする。
スーパーでも、いまはもう車でゆかないといけない僻地といっていいいようなところに店を展開しているが、
ときどき、特売品として、10kg、3000円くらいで売っているようだが。
私のご先祖様は、もともとはやはり米を作っている。この辺りの人であるのは間違いはない。もちろん、相続関係の
書類を探し出して、父が亡くなったあと、大いに慌ててでも昔の書類を見つけて、新しいものを作った。
しかし、やっているのはそこまでである。この話はときどき書いているが、私の父方の祖父母は、養子でここの家を
継いでいる。ただ、祖母が、ここのいえのご先祖様と血のつながりはあって、女性ゆえ、他家に嫁いで、そこで
生まれた女の子、がここに戻ってきたというわけである。いわば、ご先祖様の孫が、幼女になっている。
祖父は、いえは近くだが、血のつながりとしてはよくはわからないがないといっていい。父の母の血が、
ご先祖様のものである。
そこまではわかる。その私の祖母、父の母は、明治35年生まれである。
父はよく明治33年生まれだといっていた。むかしの謄本は、もうかすれていて、しかも人の手で書かれていて
これがまだ市役所に残っているかどうか。死後80年くらいは、保存されている。司法書士の若い女性は言われた。
もう少し単純にいうと、ここのいえに、田んぼがあってということで、私も30くらいのときに、このときは
ここにはいないが、そこが本当にここのいえの田んぼかもわからないが、殺虫剤か、除草剤を撒くのを
手伝った。
ビニルで出来た、消防車のポンプから出ているホースに似ているが、ものとしては、すぐに穴が開きそうな
ホースで、ただ実際に使うとなると、けっこう大変なものだ。除草剤にしろ、殺虫剤にしろ、どちらも
もちろん人体に害のあるものに間違いはない。マスクのようなものをしたと思う。
抗生物質なども撒いているようだったが、これは人間用のものではないので、これまた人にとっていいような
ものではないはずである。
まだ父が生きていたころに、こうゆう作業は、もう作物を作る専門家、完全に農業だけでは、恐らく経営は
成り立たないと思うが、その人に任せた。いま、小作料として、どの程度のお金が入るか、あるいは農地を
どうゆうわけか相続している人が、農地の固定資産税は別として、それ以外にどのくらいの経費を支払って
いるか、知らない人は一度聞いてみるといい。小作料から、そういったものを引くと、まずは所得は、プラスに
なればよく、・・・。この税関系は私が計算して、申告をしていたが、赤字になることもあった記憶がある。
お米、この列島の国に住む人間の、主食でもありエネルギー源でもある米の値段が、なぜこんなに安いのか。
作っている人に聞いてみて、唖然とするが、これでは作る人がいなくなるのは、当たり前だとなる。
当然、ただ農地を相続したという人に支払われる金額も、いかに少なくなるか。嫌なら、契約は破棄しますと
なる。前々から思ってはいたが、こんなことになるのなら、農地を持っていること自体、負債。
これがなかったら、相続に関しても、もっと楽に出来たのにと。いまは恨み言になっている。
これがいまの政府の政策なので、唖然ともする。ま、この辺でやめるのが無難か。
暖冬になったとして、まずは考えられることは、虫が増えることである。害虫。また庭木などに虫が大量
発生する。これを退治するに、また農薬が使われる。暖かい冬ゆえ、チョウなども数は増えるだろうが、
害虫に、あるいはよろしくはない微生物なども、出やすくなるかも知れない。
私は菜の花を見た、それが頭に残っていて、あれは何の花かなと、考えていた。きれいな黄色で、色も濃
かった。どうゆうわけか、米の話になって。それにしても、食べ物は、近くで取れるものを食べるのが
一番だと思うけど。
それでこれは、3日の日の、日の出の様子のその後と、あとは出た青空である。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
単純に、作物を生産している人に補助を、ということはいえないだろうが、多くのたとえばヨーロッパの国
などでも、自国で食べものの多くを作っているところは多い。競争だけの問題ではなく安全性なども含めて、
保護しているところは多いはずである。そうでないと、元気は出ない。
2日の日は、たしか出してないハガキを急いで書いて、郵便ポストまで歩いた。違っているかも知れないが。
それはよくあること。でもこの郵便ポストへの、小さな旅の帰り、道は左右に分けて、またもとに戻るものだが
右か左かで、右を選んだ。車の多いほうである。このとき、黄色い花を見た。菜の花かな。
たとえば畑のムギの生長なども見る。ムギなので畑と書いているが、イネなら田んぼで、この辺は
大体、イネ、ムギ、ダイズで、循環している。よくはわからない。米は、もちろんイネの種子のことだが
むかし輸入米で騒いだことがあった。ガイマイ、そんなもの喰えるかというわけだが、嘘のような話しである。
でもイネにいろいろで、いや米だったか。値段も、普通の小売店だと、10kgで5000円近くはする。
スーパーでも、いまはもう車でゆかないといけない僻地といっていいいようなところに店を展開しているが、
ときどき、特売品として、10kg、3000円くらいで売っているようだが。
私のご先祖様は、もともとはやはり米を作っている。この辺りの人であるのは間違いはない。もちろん、相続関係の
書類を探し出して、父が亡くなったあと、大いに慌ててでも昔の書類を見つけて、新しいものを作った。
しかし、やっているのはそこまでである。この話はときどき書いているが、私の父方の祖父母は、養子でここの家を
継いでいる。ただ、祖母が、ここのいえのご先祖様と血のつながりはあって、女性ゆえ、他家に嫁いで、そこで
生まれた女の子、がここに戻ってきたというわけである。いわば、ご先祖様の孫が、幼女になっている。
祖父は、いえは近くだが、血のつながりとしてはよくはわからないがないといっていい。父の母の血が、
ご先祖様のものである。
そこまではわかる。その私の祖母、父の母は、明治35年生まれである。
父はよく明治33年生まれだといっていた。むかしの謄本は、もうかすれていて、しかも人の手で書かれていて
これがまだ市役所に残っているかどうか。死後80年くらいは、保存されている。司法書士の若い女性は言われた。
もう少し単純にいうと、ここのいえに、田んぼがあってということで、私も30くらいのときに、このときは
ここにはいないが、そこが本当にここのいえの田んぼかもわからないが、殺虫剤か、除草剤を撒くのを
手伝った。
ビニルで出来た、消防車のポンプから出ているホースに似ているが、ものとしては、すぐに穴が開きそうな
ホースで、ただ実際に使うとなると、けっこう大変なものだ。除草剤にしろ、殺虫剤にしろ、どちらも
もちろん人体に害のあるものに間違いはない。マスクのようなものをしたと思う。
抗生物質なども撒いているようだったが、これは人間用のものではないので、これまた人にとっていいような
ものではないはずである。
まだ父が生きていたころに、こうゆう作業は、もう作物を作る専門家、完全に農業だけでは、恐らく経営は
成り立たないと思うが、その人に任せた。いま、小作料として、どの程度のお金が入るか、あるいは農地を
どうゆうわけか相続している人が、農地の固定資産税は別として、それ以外にどのくらいの経費を支払って
いるか、知らない人は一度聞いてみるといい。小作料から、そういったものを引くと、まずは所得は、プラスに
なればよく、・・・。この税関系は私が計算して、申告をしていたが、赤字になることもあった記憶がある。
お米、この列島の国に住む人間の、主食でもありエネルギー源でもある米の値段が、なぜこんなに安いのか。
作っている人に聞いてみて、唖然とするが、これでは作る人がいなくなるのは、当たり前だとなる。
当然、ただ農地を相続したという人に支払われる金額も、いかに少なくなるか。嫌なら、契約は破棄しますと
なる。前々から思ってはいたが、こんなことになるのなら、農地を持っていること自体、負債。
これがなかったら、相続に関しても、もっと楽に出来たのにと。いまは恨み言になっている。
これがいまの政府の政策なので、唖然ともする。ま、この辺でやめるのが無難か。
暖冬になったとして、まずは考えられることは、虫が増えることである。害虫。また庭木などに虫が大量
発生する。これを退治するに、また農薬が使われる。暖かい冬ゆえ、チョウなども数は増えるだろうが、
害虫に、あるいはよろしくはない微生物なども、出やすくなるかも知れない。
私は菜の花を見た、それが頭に残っていて、あれは何の花かなと、考えていた。きれいな黄色で、色も濃
かった。どうゆうわけか、米の話になって。それにしても、食べ物は、近くで取れるものを食べるのが
一番だと思うけど。
それでこれは、3日の日の、日の出の様子のその後と、あとは出た青空である。
その一。
その二。
その三。
その四。
その五。
その六。
その七。
その八。
その九。
単純に、作物を生産している人に補助を、ということはいえないだろうが、多くのたとえばヨーロッパの国
などでも、自国で食べものの多くを作っているところは多い。競争だけの問題ではなく安全性なども含めて、
保護しているところは多いはずである。そうでないと、元気は出ない。
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