光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

故郷を思うとき

2007-10-26 19:07:25 | 鉄道
  朝起きたときは何ともなかったが、寒いような、雨も降っているし、それでいて、特に放射冷却もなかったが、ある物を着ようとしたら、背骨に痛みが走る。なんじゃらほいという感じである。ぎっくり腰、本物、になったことはないし、ときどき腰に痛みが走るが、それは普通である。大体が、一回で終わってしまう。体は固いし、準備運動なんてやらない。
  それで一回痛みが走って、もう一回痛みが走るが、それでも、これは普通だろうと思うが、結構時間がたった今、インドメタシンの入った薬を塗っても、しばらくはすっとするが、ちょっと無理な、ずるい格好をすると、やはりピリッと来る。何があったか考える。重い物を持ち上げた。それもあるが、しかし、その日も翌日も、その痛みはなかった。

  ほどほどに寒いと思うのは、朝方で、14℃かだ。で、冷たい牛乳を飲み、冷蔵庫に入っているリンゴなどを食べるとやはり体が冷たくなる。春の4月の室温というのを覚えていて、それは、12℃くらい。もちろん、暖房を入れている。結局、5月の連休を過ぎるころ、たまに暖房を入れても、灯油が減ることがない。そのころまで、暖房器具は出しっぱなしである。それを、また出すときが来るが、それが今思うと、きのうだった。
  灯油ヒータを出して、さらにそのタンクに灯油を入れて、実際それがうまく動くかどうか、試してみるのは、至極簡単に思えるが、実際それだけのことを考えるといとも簡単に行えそうである。だけど、箱から出したり、灯油が入っている、これは一昨日入ったはず、ポリタンクを置いてある辺りは、ゴミだらけである。
  灯油ヒータを使えるようにすることは、面倒な大掃除をやることに似ている。ポリタンクは多少重いが、えっちら持ち上げる。サイホンの原理を利用するのは、物を持ち上げないといけない。この先は、略します。
  灯油ヒータを使えるように、ほどほど暖かいうちに、した結果、どうも腰に負担がかかって、痛みが走るようになった、としか考えられない。簡潔に書いてみた。

  お医者さんにいくというか、いった後、そのあと多少の余裕があって、ない場合もあるが、街の中央の方にゆく。一体何をしにいっているのか、本末転倒のような気がするが、その通りなのである。それで、その先に何が待っているかというと、お金の支払いである。まず、お金が転がって来る、こっちに来るということはない。出てゆく一方。
  それを済ませて、毎度のライトレールを見る。何故か心拍が上がる。やわな造りに出来ている。それで、ライトレールも通常の運行については、まーほどほどにファイルにすることが出来たし、この次は、雪のあるいは吹雪のライトレールだな、など思う。しかし、出発するものは追いかけて撮るし、次がやって来るまで、ある時間は待つ。雨のライトレールの予想をしていたがそれはなく、体に感じたのは、2、3滴の雨であった。
  ある駅に、向かった。線路の下の地下道を通る。それで、どうするか思案し、こっちというか、いっちゃん”デカイ”方へいった。



  CCDは小さいが、3倍光学ズームを有効にして、この駅に止まる電車を撮った。ここでは、初めての登場である。ほとんど広角でしか使わないが、もしかしたらいけるかと思って。ちょっと妙である。写真上に広告もあって、ここはどこなど悩むことはないようになっている。珍しい。



  列車の行き先を示す電光掲示板。20分の一秒くらいの露光。ぎりぎり。
  下に写っている、車輌が、一枚目の写真の延長上にあって、どうも車輌の切り離しをした後らしい。はっきりはわからない。



  下りがあれば上りもある。どっちがどっちか、わからないが。広告だらけになってしまった。
  
  昔の、漢字の、特急『白鷹』、たぶんこうだったと思うが、これには乗ったことがあるが、ここに出ているものは、にゃーだべ。


  追記。むかし、私が乗ったことのある、走行区間が、金沢・直江津・長岡・高崎・上野を往復する、特急は、漢字の”白鷹”であると書きましたが、これは間違いでした。お詫びします。
  雑誌『鉄道ファン』2007年12月号に、今年の9月15・16日の両日、489系の”懐かしのはくたか”号が金沢・上野間を往復したことが記載されています。これを見ると、むかしの名称も”はくたか”で、またヘッドマークも”はくたか”とあります。確かに、この写真を見ると、文字は平仮名の、はくたか、だったことが思い出されました。10月28日。 

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