きのうの夜も、そんな寒いということはなかった。午後も実は雨が降りそうだったが、結局降っていない。
午後3時、雨はない。風もなかった。ただ雲はあった。その後は、晴れた。ここまでは間違いないと思う。
ちょうどいいときにお腹を減らしたネコが来ていた。そこにゆくまで、いるのかいないのかわからない。
暖かいと、草と枯れ草と両方混じっている、でも少しガサガサとしたところで眠っている。眠っていると
いっても、目を閉じているだけである。そう思う。見透かされているような。
で、それ以前と言うと、一昨日の朝になる。できのうの夕方だから、何も食べていないと、気温もそうは
上がっていないので、空腹のはず。で、実際に戸を開けるとネコは寄ってきて、ニャーニャーと、回数は多いが
音量下げて鳴く。このところ、大きな声で鳴いているのを聞いたことはない。オトナのネコ。
オスネコだけど、声は比較的高い。関係ないかな。でもその大きさと顔つきと体形からは、もう少し大きな声が
出てもいいと思う。
知らないネコがときどき現われる。でもむかしよりはネコの数は減ったかな。あまり見かけない。そう
いえると思う。食べ物は温めたほうが、匂いもわかるし、また感触で食べ物だというのがわかりやすく
なっているはず。そうでなく、冷蔵庫から冷え切ったものをむかしは出していたが、あるところは食べて
あるところは「これは食べ物ではない」、そう判断したのだろう。そのままである。で、思案して
温めることをやると、ほぼ100%食べる。でも、ネコのお腹の減り具合もわからないもの。
少ないと、けっこう長く待つ。でも寒くなると、私の姿が見えなくなると、相手も消える。
普通に満足すると、何事もなかったかのように、いなくなる。これがネコ。
いまひとつ調子がでないので、まずはネコの話で。
気になることは多い。しかし、番号が記載されたものはいつ来るか、これは気にしてもしょうがない。
これが有効に機能するかどうかは話は別で、お役所だけではどう考えても、完全な管理は出来ないだろう。
もともと、民間会社の協力なくして、出来るものでもない。これは日常のお役所の仕事でもそうだけど。
でも、いっとき父と母の介護は続いたので、やたらこちらに届く様々な書類やら通知は多く、それでも
どうにか対処はした。お金はこれは個人の口座があったし、年金もあったからガタツクことはなかった。
でも取り過ぎていて、返金する、ということもある。これまた大変で、いちいち口座の番号をこちらから
知らせないといけない。それでも、その当時はどうにか問題はなかったと思う。介護保険だけでも
1年に3回くらい、いくらになるという案内から、変更があって、年度末では、過不足。でも足らない
場合はなく、それでも返してもらうのは当然で、面倒だった。
介護も介護の域を、超えてきているような。
認知症はどうなるか。この辺りでも多くの、介護施設は出来ていて、何度でも朝は、その名を冠した車の姿を
見ることが出来る。でも介護福祉士の仕事は厳しい。父のときに、近く、3軒ほど向うに住んでいる、その人の
妹さんが、父の面倒をも見ていて、直接ではないが、父はその場でどのようであったか聞くことはあった。
ただ、その方も、その仕事を離れたという。辞める人は多いようだ。その厳しさは、もちろんわから
ないわけではない。
父のケアマネージャーをやられていた方がいて、詳しい話は聞くことは少なかった。7年も前のことである。
その時点でも、かなりの利用者、あるいは御世話にならないとどうしようもない人は、増えていた。
父は入院して、もう戻って来なかったが、その「ケアマネージャー」の方はわざわざ見舞いにも行かれていて
後日この話を直接だったと思うが聞いて、御礼をいったと思う。
その後、今度は母が、2年かは間は開いて、同じところで時間を過ごせるようにお願いしてそれは可能だったが、
母はなかなかそこにゆくのをためらい、首をたてに振らなかった。このときのケアーマネージャーの方は
別の人だったが、いろいろ話し合いを進めてゆく途中、父の話にもなったのだが、このとき、父を看てくれていた
見舞いにもいってくれた人は、その職場を去ったということだった。交代したということである。
このときも、この仕事のむつかしさをいやというほど知った。
私の祖父のときのことを思い出したが、祖父は、どこかへ遊びにいっているときに体調急変した、ということで
私はここにはいなかったのでそのときの顛末は知らない。でも高齢で、最後は、ここのむかしのいえでであった。
祖母もいたが、父と父の妹二人と、母もその場にいた。しばらくの間、意識不明のままだった。
でも、これだけの人数いると、年齢もいっているので看病するものにとって、気持ち的には楽なものは
あったと思う。
今日は神妙なことを書いている。
山の様子、これは27日、雲とカエデは、きのう28日。
その一。ここは好きな場所だが、電線だけが消えない。どうしようもない。
その二。これは勘定を間違えた。空はこんなにいらなかった。
その三。登れそう?。
その四。今日は見え隠れしていたはずだが、いまは見えない。
その五。きのうの雲。これが雨を降らせる雲で、でもこのとき結局雨にならない。
その六。どこかわからない感じ。鳥はトビ。
その七。
その八。ここにいつも出る、発電所の煙突がある。西の方角。
その九。みな中途半端だが、ここのいえの北側のカエデ。葉の量はべらぼうに多い。
マラソンの一番の気掛かりは、交通規制があって多くの道、通行止めで、クルマを使う方、混乱しないかと
いうこと。
あとは天気だが、これも怪しい。
午後3時、雨はない。風もなかった。ただ雲はあった。その後は、晴れた。ここまでは間違いないと思う。
ちょうどいいときにお腹を減らしたネコが来ていた。そこにゆくまで、いるのかいないのかわからない。
暖かいと、草と枯れ草と両方混じっている、でも少しガサガサとしたところで眠っている。眠っていると
いっても、目を閉じているだけである。そう思う。見透かされているような。
で、それ以前と言うと、一昨日の朝になる。できのうの夕方だから、何も食べていないと、気温もそうは
上がっていないので、空腹のはず。で、実際に戸を開けるとネコは寄ってきて、ニャーニャーと、回数は多いが
音量下げて鳴く。このところ、大きな声で鳴いているのを聞いたことはない。オトナのネコ。
オスネコだけど、声は比較的高い。関係ないかな。でもその大きさと顔つきと体形からは、もう少し大きな声が
出てもいいと思う。
知らないネコがときどき現われる。でもむかしよりはネコの数は減ったかな。あまり見かけない。そう
いえると思う。食べ物は温めたほうが、匂いもわかるし、また感触で食べ物だというのがわかりやすく
なっているはず。そうでなく、冷蔵庫から冷え切ったものをむかしは出していたが、あるところは食べて
あるところは「これは食べ物ではない」、そう判断したのだろう。そのままである。で、思案して
温めることをやると、ほぼ100%食べる。でも、ネコのお腹の減り具合もわからないもの。
少ないと、けっこう長く待つ。でも寒くなると、私の姿が見えなくなると、相手も消える。
普通に満足すると、何事もなかったかのように、いなくなる。これがネコ。
いまひとつ調子がでないので、まずはネコの話で。
気になることは多い。しかし、番号が記載されたものはいつ来るか、これは気にしてもしょうがない。
これが有効に機能するかどうかは話は別で、お役所だけではどう考えても、完全な管理は出来ないだろう。
もともと、民間会社の協力なくして、出来るものでもない。これは日常のお役所の仕事でもそうだけど。
でも、いっとき父と母の介護は続いたので、やたらこちらに届く様々な書類やら通知は多く、それでも
どうにか対処はした。お金はこれは個人の口座があったし、年金もあったからガタツクことはなかった。
でも取り過ぎていて、返金する、ということもある。これまた大変で、いちいち口座の番号をこちらから
知らせないといけない。それでも、その当時はどうにか問題はなかったと思う。介護保険だけでも
1年に3回くらい、いくらになるという案内から、変更があって、年度末では、過不足。でも足らない
場合はなく、それでも返してもらうのは当然で、面倒だった。
介護も介護の域を、超えてきているような。
認知症はどうなるか。この辺りでも多くの、介護施設は出来ていて、何度でも朝は、その名を冠した車の姿を
見ることが出来る。でも介護福祉士の仕事は厳しい。父のときに、近く、3軒ほど向うに住んでいる、その人の
妹さんが、父の面倒をも見ていて、直接ではないが、父はその場でどのようであったか聞くことはあった。
ただ、その方も、その仕事を離れたという。辞める人は多いようだ。その厳しさは、もちろんわから
ないわけではない。
父のケアマネージャーをやられていた方がいて、詳しい話は聞くことは少なかった。7年も前のことである。
その時点でも、かなりの利用者、あるいは御世話にならないとどうしようもない人は、増えていた。
父は入院して、もう戻って来なかったが、その「ケアマネージャー」の方はわざわざ見舞いにも行かれていて
後日この話を直接だったと思うが聞いて、御礼をいったと思う。
その後、今度は母が、2年かは間は開いて、同じところで時間を過ごせるようにお願いしてそれは可能だったが、
母はなかなかそこにゆくのをためらい、首をたてに振らなかった。このときのケアーマネージャーの方は
別の人だったが、いろいろ話し合いを進めてゆく途中、父の話にもなったのだが、このとき、父を看てくれていた
見舞いにもいってくれた人は、その職場を去ったということだった。交代したということである。
このときも、この仕事のむつかしさをいやというほど知った。
私の祖父のときのことを思い出したが、祖父は、どこかへ遊びにいっているときに体調急変した、ということで
私はここにはいなかったのでそのときの顛末は知らない。でも高齢で、最後は、ここのむかしのいえでであった。
祖母もいたが、父と父の妹二人と、母もその場にいた。しばらくの間、意識不明のままだった。
でも、これだけの人数いると、年齢もいっているので看病するものにとって、気持ち的には楽なものは
あったと思う。
今日は神妙なことを書いている。
山の様子、これは27日、雲とカエデは、きのう28日。
その一。ここは好きな場所だが、電線だけが消えない。どうしようもない。
その二。これは勘定を間違えた。空はこんなにいらなかった。
その三。登れそう?。
その四。今日は見え隠れしていたはずだが、いまは見えない。
その五。きのうの雲。これが雨を降らせる雲で、でもこのとき結局雨にならない。
その六。どこかわからない感じ。鳥はトビ。
その七。
その八。ここにいつも出る、発電所の煙突がある。西の方角。
その九。みな中途半端だが、ここのいえの北側のカエデ。葉の量はべらぼうに多い。
マラソンの一番の気掛かりは、交通規制があって多くの道、通行止めで、クルマを使う方、混乱しないかと
いうこと。
あとは天気だが、これも怪しい。
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