このところ、びっくりするような雪はない。
でも暖かいとはもちろんいえない。
今日は少し日が出そうな感じはあるが、まだ感じだけで、晴れたというところまではゆかない。
この時間が時刻かが何かを左右する、あるいは支配的になる。やる気が出なくもなるかのようで、
それでもあまりに明るすぎる条件は、今は私の目にはよくはない。
今の室温でこれだけあればと思う温度は、10℃以上であって、12℃くらいがいいかな。
で、灯油ヒータの設定温度も、12℃にしている。
今日は、こられるかと思っていた使用電気量メータの検針の係りの人は、来ていない。
明日かも知れない。
人の生活で適温というのはどのくらいか、これがむつかしい。この値を維持するに金がかかりすぎては
本末転倒で、でも今は冬でもあるので、寒さに耐えられる身体でないといけない。
そうゆうこともある。
気が緩むこともある。
勘違いというか、身体のほうが鈍感になっていて、コタツで温まり過ぎた身体は、それこそ魚の
干物のようで、朝も少し書いたがそのせいかあまり元気はない。
それでも、ごろごろはなるべくないように、とも思っている。
先週金曜日、どうゆうわけかいい天気になって、これが一番の要因だが、たまに来てくれる姪っ子も
それを感じたのか、やって来た。
いつでも、気が向いたら来たらいいよとはいうが、概して明日ゆくと聞くと、いろいろ考えること、
準備することも多くなるような気もして、連絡なしで来てくれるのが一番と、すでに言ってある。
だが、さすがに心の準備も出来てもいなくて、まだ雪は残る1月でもあって、特別暇を持て余すという
こともないはずだから、まったく来る可能性はないと私は判断していて・・・。
それで下のほうで音が聞こえて、ようやく、あれもしかしてと気が付いた。
ここは笑ってニコニコするしかないが、一つは、居間の掃除も怠りがちになる。でも格別すごく汚いこともない。
逆に、予想しているわけでなく、今日は掃除をしないとと思ってやった翌日か翌々日、来るときが多く、
話の最初は、「きのうここの部屋は掃除したので、そんなには汚れていないよ」、で始まったりした。
今回は結構掃除の後の時間がたっていて、まずかったかなとも思った。
下にもコタツはあって、そのスイッチはいつも切ってある。つけているのは、灯油ヒータ。
で、一言、コタツというので、ハイハイと、プラグをコンセントへ。
ここはオトナらしく、相手はまだ子供、ちっちゃいまま、という感覚だが、年齢はもちろん時間とともに
増えるのは当然である。
痩せている、という。私を見てである。本人はもっと痩せているのだ。でもこの痩せているに意味はあって
お父さんがわりと、体格よく、大柄でもあること。弟も、そうゆう風な体躯になって、それに比べて、私の場合
ここ10年で上半身の肉は落ちたので、そう見えるのだろう。これは医師にも言われた。
でも肉が落ちただけで、お腹はさらに出っ張っている。
ここの重さを合わせると、体重は微増、でお腹は自分でも見たくない。
最近筋肉が見直されている。というかこれも流行りもので、昔はそんなことは言われなかったが、老化の一番
よくないのは筋肉がなくなることとか。
最も私の父は痩身で、母はそれなりに歳を重ねて出るところはでたが、似たのは母の体格かなー。
いずれでもないかも。
父の母も、痩せていて、どうもこれは明らかに遺伝である。父はいくら食べても、太ることはなかった。
最も認知症になり、これもひどくなると、自分の思うとおりのことも出来なくなって、痩身かつ筋肉も
落ちたようだ。身体のバランスもとれなくなる。やっぱり認知症は、脳の病気なのだなー。
父は、2008年に、杉谷にある、富山大の付属病院で亡くなった。そのとき、もう痩せ切っていて、今日が最後に
なるかも知れないという日、見舞いにいったが、医師は何か言うこともないらしく、黙っていた。
私は小心者で、朝から晩まで父の様子を見ていることは出来ず、亡くなったら、電話してくれと頼んだ。
電話は2回あって、こんなことは詳しく書くこともないが、やはりその日に帰らぬ人となった。
でももう覚悟は出来ていて、すぐに車を手配した。
夜で、昼間だと結構長いと思えるその道ではあるが、車も走っていない夜、タクシーの速度は
上がった。
もはや人間でなくなった、父の顔は、さすがに見られるものではなく、すぐに白い布を戻した。
でも、特に狼狽ぜず、やることをやって、葬儀屋さんの車を待った。
もちろん涙もまったくでず、病院でお世話になった職員の方々に簡単にお礼を言ったことも覚えている。
あのころは冷静でもあって、ものごとテキパキはいかないがどうにか、やれることはやった。
でもその後、しばらくして、1年とちょっとか、入院時に撮っていた父の顔も、見返すことが
出来なくなった。
そのときでも、緊張感がもうないからか、こんなにひどい顔になったのかと思ったのだが、
同時に、こわいとも思うようになった。
まー情けない話を書いた。
たまに父の、死亡診断書を見る。それで、父の生年月日と命日を、思い返すことになる。
姪っ子が帰った、その日の午後、金曜の午後だが、どうゆうわけかこれではいけないと
居間の掃除をした。反対になった。
もう少し自動的に、スクッと身体が動くようにならないか。
ならないだろうな。
ニコンD300をまた出している。もうカメラは買わないという意味もある。
これを居間において暖めている。
で、その部屋から、あるいは外にでて、重いD300を持つ。最も、重いと思うようになったのは
4年ぐらい前。もうかなり時間はたった。
この画像で、今はどうゆうわけか雪のない時間でもあるが、印象的なものを少し。
その一。すべてのタオルではないが、みな父と母の名が書いてある。介護施設で使っていたもの。
黒ずむのはクロカビで、これは平気。天日干ししたい。
その二。
その三。雪、融水。水鏡面像。
その四。
その五。きれいな感じはないか。
その六。
その七。
その八。竹の切ったあとが、墓標のようにも見えるが、この竹も危ない。今朝は、コタツのコードを
コンセントに差し込んで、そこを移動しようとして、コードに足を引っ掛けた。
老化の象徴。
その九。普通の、違う機種でくっ付いていた、ニコンのセット用レンズで、厳密には
目でみないとAFは迷う。
晴れそうで晴れなく、
でも今ようやく晴れて来たが、このまま晴れるかな。
でも暖かいとはもちろんいえない。
今日は少し日が出そうな感じはあるが、まだ感じだけで、晴れたというところまではゆかない。
この時間が時刻かが何かを左右する、あるいは支配的になる。やる気が出なくもなるかのようで、
それでもあまりに明るすぎる条件は、今は私の目にはよくはない。
今の室温でこれだけあればと思う温度は、10℃以上であって、12℃くらいがいいかな。
で、灯油ヒータの設定温度も、12℃にしている。
今日は、こられるかと思っていた使用電気量メータの検針の係りの人は、来ていない。
明日かも知れない。
人の生活で適温というのはどのくらいか、これがむつかしい。この値を維持するに金がかかりすぎては
本末転倒で、でも今は冬でもあるので、寒さに耐えられる身体でないといけない。
そうゆうこともある。
気が緩むこともある。
勘違いというか、身体のほうが鈍感になっていて、コタツで温まり過ぎた身体は、それこそ魚の
干物のようで、朝も少し書いたがそのせいかあまり元気はない。
それでも、ごろごろはなるべくないように、とも思っている。
先週金曜日、どうゆうわけかいい天気になって、これが一番の要因だが、たまに来てくれる姪っ子も
それを感じたのか、やって来た。
いつでも、気が向いたら来たらいいよとはいうが、概して明日ゆくと聞くと、いろいろ考えること、
準備することも多くなるような気もして、連絡なしで来てくれるのが一番と、すでに言ってある。
だが、さすがに心の準備も出来てもいなくて、まだ雪は残る1月でもあって、特別暇を持て余すという
こともないはずだから、まったく来る可能性はないと私は判断していて・・・。
それで下のほうで音が聞こえて、ようやく、あれもしかしてと気が付いた。
ここは笑ってニコニコするしかないが、一つは、居間の掃除も怠りがちになる。でも格別すごく汚いこともない。
逆に、予想しているわけでなく、今日は掃除をしないとと思ってやった翌日か翌々日、来るときが多く、
話の最初は、「きのうここの部屋は掃除したので、そんなには汚れていないよ」、で始まったりした。
今回は結構掃除の後の時間がたっていて、まずかったかなとも思った。
下にもコタツはあって、そのスイッチはいつも切ってある。つけているのは、灯油ヒータ。
で、一言、コタツというので、ハイハイと、プラグをコンセントへ。
ここはオトナらしく、相手はまだ子供、ちっちゃいまま、という感覚だが、年齢はもちろん時間とともに
増えるのは当然である。
痩せている、という。私を見てである。本人はもっと痩せているのだ。でもこの痩せているに意味はあって
お父さんがわりと、体格よく、大柄でもあること。弟も、そうゆう風な体躯になって、それに比べて、私の場合
ここ10年で上半身の肉は落ちたので、そう見えるのだろう。これは医師にも言われた。
でも肉が落ちただけで、お腹はさらに出っ張っている。
ここの重さを合わせると、体重は微増、でお腹は自分でも見たくない。
最近筋肉が見直されている。というかこれも流行りもので、昔はそんなことは言われなかったが、老化の一番
よくないのは筋肉がなくなることとか。
最も私の父は痩身で、母はそれなりに歳を重ねて出るところはでたが、似たのは母の体格かなー。
いずれでもないかも。
父の母も、痩せていて、どうもこれは明らかに遺伝である。父はいくら食べても、太ることはなかった。
最も認知症になり、これもひどくなると、自分の思うとおりのことも出来なくなって、痩身かつ筋肉も
落ちたようだ。身体のバランスもとれなくなる。やっぱり認知症は、脳の病気なのだなー。
父は、2008年に、杉谷にある、富山大の付属病院で亡くなった。そのとき、もう痩せ切っていて、今日が最後に
なるかも知れないという日、見舞いにいったが、医師は何か言うこともないらしく、黙っていた。
私は小心者で、朝から晩まで父の様子を見ていることは出来ず、亡くなったら、電話してくれと頼んだ。
電話は2回あって、こんなことは詳しく書くこともないが、やはりその日に帰らぬ人となった。
でももう覚悟は出来ていて、すぐに車を手配した。
夜で、昼間だと結構長いと思えるその道ではあるが、車も走っていない夜、タクシーの速度は
上がった。
もはや人間でなくなった、父の顔は、さすがに見られるものではなく、すぐに白い布を戻した。
でも、特に狼狽ぜず、やることをやって、葬儀屋さんの車を待った。
もちろん涙もまったくでず、病院でお世話になった職員の方々に簡単にお礼を言ったことも覚えている。
あのころは冷静でもあって、ものごとテキパキはいかないがどうにか、やれることはやった。
でもその後、しばらくして、1年とちょっとか、入院時に撮っていた父の顔も、見返すことが
出来なくなった。
そのときでも、緊張感がもうないからか、こんなにひどい顔になったのかと思ったのだが、
同時に、こわいとも思うようになった。
まー情けない話を書いた。
たまに父の、死亡診断書を見る。それで、父の生年月日と命日を、思い返すことになる。
姪っ子が帰った、その日の午後、金曜の午後だが、どうゆうわけかこれではいけないと
居間の掃除をした。反対になった。
もう少し自動的に、スクッと身体が動くようにならないか。
ならないだろうな。
ニコンD300をまた出している。もうカメラは買わないという意味もある。
これを居間において暖めている。
で、その部屋から、あるいは外にでて、重いD300を持つ。最も、重いと思うようになったのは
4年ぐらい前。もうかなり時間はたった。
この画像で、今はどうゆうわけか雪のない時間でもあるが、印象的なものを少し。
その一。すべてのタオルではないが、みな父と母の名が書いてある。介護施設で使っていたもの。
黒ずむのはクロカビで、これは平気。天日干ししたい。
その二。
その三。雪、融水。水鏡面像。
その四。
その五。きれいな感じはないか。
その六。
その七。
その八。竹の切ったあとが、墓標のようにも見えるが、この竹も危ない。今朝は、コタツのコードを
コンセントに差し込んで、そこを移動しようとして、コードに足を引っ掛けた。
老化の象徴。
その九。普通の、違う機種でくっ付いていた、ニコンのセット用レンズで、厳密には
目でみないとAFは迷う。
晴れそうで晴れなく、
でも今ようやく晴れて来たが、このまま晴れるかな。
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