風はさほど。
それでも人それそれで、ずいぶんと薄いと思える格好をしていても、悠然としている。その方と少し
立ち話をした。お元気ですねではなく、「柚子の実はどう」とか、柿は分けてもらったが、みな
渋柿で、それでも、皮をむいて糸で吊るされて、白い粉が吹くのを待っているとのこと。
そうゆう方法で、簡単に渋柿が、あの甘い懐かしい、私の感覚では、竹か何かに刺してあるものだが、
干し柿になるのかなと思うのだが、実際にほかでもそうゆうことをやられているのを見ているので
間違いはない。柿の渋は渋で、これはこれで需要のあるもので、よくあーゆうものだけを分離
する技術を開発されたものだと思うのだが、それがいかにもむつかしいものに思えるのは、
当然ということになるが、それも今の年齢になってということにもなる。
お茶碗がどうの。というのは、骨董というものがあるということを知り、骨董商という商売がある
ことを知ったからだが、でもかなり昔から、自然界からの貴重な贈り物をいろいろなものに
利用するということをやって来ている。これまた驚きで、
でもあまりに驚いてばかりもいられないもので、それは昔むかしから生きてきた、この列島の国の
人々を評価していないというか、その間に蓄積された技術と知識を自分が知らなすぎる
ということを明白にしているのに等しい。実際そうなのだが、改めて、あるいは感心もなくなって
いるなど、妙にまたまた神妙になった。TVみるとかPCしか触っていない。本も読まなくなったとなると
そうなるのも当たり前だが。
この前、シャツのボタンが取れたので、これはいかんと、針と糸を用意した。でもこれも初めて
知ったのだが、どこでとはわざと書かないが、糸を針に通すのではなく、糸は固定し、針を動かすと
たしかに簡単に糸を通すことが出来るのはわかった。だが問題はここからである。
ボタン一個糸で留めるにどれだけの時間がかかるか。一個目はなんとか。糸目を作るにクルクルと
針に糸を巻いて針を最後に抜くのが昔からヘタだが、なんとかなった。一回だけ、ちくっと指差した
が血は出なかった。
ほかも取れている。ボタンくらいあるだろう。これを探すに、でも思いのほか数は少ない。
気が付けば、机の引き出しとかに、がない。母が残している裁縫道具入れ、ただの箱だ、にボタンは
いくつか入っていたが、本当はもっとあっていいと思うが、他にである、結局二個だけしか
使えそうにない。その二個をシャツに縫い付けるに、一個目よりさらに時間がかかった。
何もかもがよろよろフニャフニャである、で、目もよく見えない。それでも三つ付けて
でも満足はしていない。もう少し早く出来るだろう。何しろ、簡単に糸を針に通す方法を
伝授してもらったのだから。
柚子も、それこそ若いとき、あるいはいい加減にくたびれた歳になっても、食べたいと思わな
かった。だが、
その立ち話をしている方に、うちにも柚子がありますよといったら、何しろ去年は豊作だった、
あの大きな棘もうまく避けて、枝ごと切り落とされた。大部分はその方へ差し上げて、ここまで書いて
去年もこの話を書いたことを思い出した。一部、2、3個だけは置いていってもらったが、
それを食べたら、何だか知らないが、うまい。それに元気も出たようで、柚子はすごいな。
ご都合主義であるが、そう思った。すぐ近くに、ものすごくきれいに柚子がなっているが
私も知っているが、その方もご存知で、話が合ったが、だが持ち主は今は不在である。
その方も、あの柚子はすごいねとおっしゃっていた。
柚子など、まったく気にもしないし、食べもしなかった。でも今はもらえば、それは食べる。
柚子の木も見るが今のところ、まだ緑が多い。黄色くならないといけない。もっとも一番は
生でも食べられることで、味も多少はよろしくないといけない。
柚子の木は大きくなる。これに少し驚いた。何か、理由があるのか。
しかし今年は、ここのいえの柚子はだめなようだ。惜しいけど。もっとも、取るのは
その切ったり取ったりが上手な人でないといけない。
危険この上ないものでもある。
青空に映える、葉の落ちた柿の実から。
その一。これは、910 ISで撮っている。2007年かに購入したもの。何度か危機的状況に
あって、でもなんとかまだ。CCDのゴミも掃除機で取れた。
その二。空がこんな青いか、いかにも嘘っぽい青さだが、これでいい。
その三。この柿はちょっと小さめ。
その四。違うところで。背も低い、でも実も大きい。迫力が出た。これは画像のほうが
見た感じはいい。
その五。
その六。
その七。もう一枚、迫力のあるところ。小さい木だが、実はもっとなるときがある。
ちょうど、二つのものがうまく葉が落ちていて、実がうまく目立った。
ナンテン。この画像はまたなぜか、新鮮さがある。
その八。緑もきれい。赤い色と調和だが、なんか色で関係があったかな。
その九。
その十。お正月は今は、もっとも寂しいときだが、昔、味わったきりっとした時間が
よみがえる。
明日はどの程度冷えるか、上がったり下がったりだと、気温も株価も同じだな。外為もあるけど。
暖冬とかいう情報も出てきた。
ということは簡単に言い直すと、この辺では雪は普通に降ることに。
じぇじぇじぇーーー。
それでも人それそれで、ずいぶんと薄いと思える格好をしていても、悠然としている。その方と少し
立ち話をした。お元気ですねではなく、「柚子の実はどう」とか、柿は分けてもらったが、みな
渋柿で、それでも、皮をむいて糸で吊るされて、白い粉が吹くのを待っているとのこと。
そうゆう方法で、簡単に渋柿が、あの甘い懐かしい、私の感覚では、竹か何かに刺してあるものだが、
干し柿になるのかなと思うのだが、実際にほかでもそうゆうことをやられているのを見ているので
間違いはない。柿の渋は渋で、これはこれで需要のあるもので、よくあーゆうものだけを分離
する技術を開発されたものだと思うのだが、それがいかにもむつかしいものに思えるのは、
当然ということになるが、それも今の年齢になってということにもなる。
お茶碗がどうの。というのは、骨董というものがあるということを知り、骨董商という商売がある
ことを知ったからだが、でもかなり昔から、自然界からの貴重な贈り物をいろいろなものに
利用するということをやって来ている。これまた驚きで、
でもあまりに驚いてばかりもいられないもので、それは昔むかしから生きてきた、この列島の国の
人々を評価していないというか、その間に蓄積された技術と知識を自分が知らなすぎる
ということを明白にしているのに等しい。実際そうなのだが、改めて、あるいは感心もなくなって
いるなど、妙にまたまた神妙になった。TVみるとかPCしか触っていない。本も読まなくなったとなると
そうなるのも当たり前だが。
この前、シャツのボタンが取れたので、これはいかんと、針と糸を用意した。でもこれも初めて
知ったのだが、どこでとはわざと書かないが、糸を針に通すのではなく、糸は固定し、針を動かすと
たしかに簡単に糸を通すことが出来るのはわかった。だが問題はここからである。
ボタン一個糸で留めるにどれだけの時間がかかるか。一個目はなんとか。糸目を作るにクルクルと
針に糸を巻いて針を最後に抜くのが昔からヘタだが、なんとかなった。一回だけ、ちくっと指差した
が血は出なかった。
ほかも取れている。ボタンくらいあるだろう。これを探すに、でも思いのほか数は少ない。
気が付けば、机の引き出しとかに、がない。母が残している裁縫道具入れ、ただの箱だ、にボタンは
いくつか入っていたが、本当はもっとあっていいと思うが、他にである、結局二個だけしか
使えそうにない。その二個をシャツに縫い付けるに、一個目よりさらに時間がかかった。
何もかもがよろよろフニャフニャである、で、目もよく見えない。それでも三つ付けて
でも満足はしていない。もう少し早く出来るだろう。何しろ、簡単に糸を針に通す方法を
伝授してもらったのだから。
柚子も、それこそ若いとき、あるいはいい加減にくたびれた歳になっても、食べたいと思わな
かった。だが、
その立ち話をしている方に、うちにも柚子がありますよといったら、何しろ去年は豊作だった、
あの大きな棘もうまく避けて、枝ごと切り落とされた。大部分はその方へ差し上げて、ここまで書いて
去年もこの話を書いたことを思い出した。一部、2、3個だけは置いていってもらったが、
それを食べたら、何だか知らないが、うまい。それに元気も出たようで、柚子はすごいな。
ご都合主義であるが、そう思った。すぐ近くに、ものすごくきれいに柚子がなっているが
私も知っているが、その方もご存知で、話が合ったが、だが持ち主は今は不在である。
その方も、あの柚子はすごいねとおっしゃっていた。
柚子など、まったく気にもしないし、食べもしなかった。でも今はもらえば、それは食べる。
柚子の木も見るが今のところ、まだ緑が多い。黄色くならないといけない。もっとも一番は
生でも食べられることで、味も多少はよろしくないといけない。
柚子の木は大きくなる。これに少し驚いた。何か、理由があるのか。
しかし今年は、ここのいえの柚子はだめなようだ。惜しいけど。もっとも、取るのは
その切ったり取ったりが上手な人でないといけない。
危険この上ないものでもある。
青空に映える、葉の落ちた柿の実から。
その一。これは、910 ISで撮っている。2007年かに購入したもの。何度か危機的状況に
あって、でもなんとかまだ。CCDのゴミも掃除機で取れた。
その二。空がこんな青いか、いかにも嘘っぽい青さだが、これでいい。
その三。この柿はちょっと小さめ。
その四。違うところで。背も低い、でも実も大きい。迫力が出た。これは画像のほうが
見た感じはいい。
その五。
その六。
その七。もう一枚、迫力のあるところ。小さい木だが、実はもっとなるときがある。
ちょうど、二つのものがうまく葉が落ちていて、実がうまく目立った。
ナンテン。この画像はまたなぜか、新鮮さがある。
その八。緑もきれい。赤い色と調和だが、なんか色で関係があったかな。
その九。
その十。お正月は今は、もっとも寂しいときだが、昔、味わったきりっとした時間が
よみがえる。
明日はどの程度冷えるか、上がったり下がったりだと、気温も株価も同じだな。外為もあるけど。
暖冬とかいう情報も出てきた。
ということは簡単に言い直すと、この辺では雪は普通に降ることに。
じぇじぇじぇーーー。
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