光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

寒空の光の中

2009-01-06 18:48:20 | 植物・花(冬)
  頭の中の様子は、夢に現われるかどうか、この辺りは、自分では、関係がないと思うが、毎日同じ夢をずっと見ていて、さすがに懲りたという感じがあった。それが今も、よみがえるが、しかしその回数はぐっと減った。なぜ、同じ内容の夢を見るのかというのも、よくはわからない。夢なら、せいぜいもう少し「まし」なものであってもいいはずだが、脳はそうゆうプレゼントをしてくれない。
  気の毒な、脳みそである。それで、自分もゆるい世界に戻れるというか、ある程度安穏と出来るが、そうではない、どっちだというと苦しい夢を見ている。それで、起きて、悪夢だなんて脳が思うものだから、あらかた、あきれるのも当たり前か。脳ももう少し自身のことを考えてくれたらと思うが、そうゆうところまでは、進展はない。子供のままでもないようだが、中途半端なところで止まっていて。しかし、これはどんなスペクタクルものよりも、すごいではないか、という劇の中継もあるから、でも、それも1年に一回あればいいほうかなー。

  朝から、まだ暗いときは星が見えた。珍しいというか、きれいなしかし一瞬に近い星空で、それは終わった。きっとすぐに忘れるだろう。その後に、太陽はきょうも忘れずに顔を出したから、安心する。このまま真っ暗だと、どうだろうか。それは夢で見たいものだ。
  不思議なことは多いし、不思議だと書いて、なにも知らないことを露呈しているが、それにしても、今日は珍しく晴れていて、なにかの誤りかと思ったがそうでもないらしい。でも、朝の天気ではなんと言っていたか、記憶をたどると、その映像は出そうである。曇りのち雨であったような気がする。無論間違っている可能性はあるが、晴れマークは、南にはあって、北方面ではなかった、と思う。それだから、少し暖かいと思うものを太陽光で感じたときは、感動する。
  気温でというものがある。まーもとをたどると、太陽のエネルギということだが、透明な空気の中にいて今日は暑い、いや暖かいと思うことは今は少ない。それが、日が出て来たものだから、ついには電気ヒータと同じようなもの、というか感じになって、背中が暑く感じられた、あるいは熱く感じられた。背中は、かなり厚めの衣服で覆われている。その背を照らす、太陽光の暖かさが、きょうはあった。

  まー暖かなときがあると、その反動でもないが、あっさりと日がかげると、気温の効果がもろで、その空気の冷たさがひしひしと感じられる。暖かいというのと、寒いというのの間、この階段はないようで、かなりある。登れでも暖かくなく、いくら降りても寒くはない。つまり、この反対のときが現われた。

  きょうは、話しはガラッと変わるが、ホウレンソウが少しだけ安かった。今どきの緑というと、ホウレンソウよりはコマツナの感じもあるが、それはどっちでもいいが、味は匂いは少し違う。どちらも好きであって、たぶん生でも食べられると思う。でも、そのホウレンソウの味はというと、昔とは違う。きょうのものは、まだっ葉っぱもピンピンしている。路地ではなく、ハウスもの、そんなの当たり前と言われそうだが、わからなかった。

  昔のホウレンソウは、ポパイも食べた。今はというと、ホウレンソウの赤い根っこの辺りが少しだけ貧弱な気もした。肝心な鉄の味だが、これはもしかしたら、その赤い根っこを取り去っているかも知れず、それだと鉄の味はしない。それ以外に、妙な匂いというか、食べた後の口中に広がる特殊な味が、残るのが特徴だと思うが、これもあまりしない。
  今、ホウレンソウを食べてもポパイにはなれない?。昔の話しだから、知らない人も多いのかも知れないが、あの鉄の味と匂いがなつかしい。

  
  わずかな、光の中。




  狙ったわけではないが、大きな光の玉が出来ていて、見ていて笑える。




  もう一つの水玉の出来やすい植物というと、それはヒメヒオウギズイセンであった。この名がなかなか出ず、ようやく出た。ヒメが付くか付かないか、は不明。




  2枚目、すぐ上、の写真のほうが、水玉がきれいに光り輝いて、それも右側の上の方に、その複雑な色合いが出ている。




  逆光のシダ。これはこの向きでしか、撮れない。




  中央は切ってしまって、先っぽだけ。

  光あっての植物だが、また大体が生き物はそれに依存している。  

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