近くにお寺がたくさんある町、そうゆう場所はある。いまとなっては、そこが公園のような感じにならないか。
この近くだと、多くはないが、東側と、それと南東の方角にある。歩いていける。お寺、数え方、思案中。
東側は、よく歩く道にあって、いまはようやく大きなケヤキが、色付いている。空間は広い。お墓もある。
木はむかしに比べて、ずいぶんと減った。葉が大量に落ちる。この使い道がない、んなことはないと思うが。
ケヤキの葉。それにイチョウの葉。これは踏ん付けて歩くためにあるようなものだが、でもツルリ事件が
あるか。私も靴ははいているが、なんだか滑りそうな気配がいつもあって、その先、ずるずると足が開いていって
などということも想像する。今朝、この靴は穴開いていない、そう思って歩いていたが、帰ってきて靴下が
わずかに湿っぽい。あーやっぱり穴開いている。靴は1年持てばいい。そうゆうものが多くなった。
それでも晴れていれば、この靴をはくしかない。そうそう長靴もはけない。靴売っている店、なーい。
このお寺には、イチョウの木もあるが、実はならない。イチョウも、銀杏の緑はおいしいが、そこまで
ゆくのが大変である。これが落ちる場所、実だらけ、歩けないし、臭いも強烈か。
毎年、秋も深まるころ、このお寺の中を歩くが、最近ではヒガンバナのときだけ。石畳で、イチョウの木があると
ずるり現象はやっぱりある。雪でもある。滑って転んで、その先は。
TVも見なくなった。でも見るときももちろんある。ときどき、気分がまーまーのとき。新聞がやけに見辛い。
紙が薄いとか、裏写りとか、裏写り、この字でよかったかな。これは本でもある。さらに字がかすれて、二重に
印刷されるときも。わずかにずれている。1mmの百分の一くらい。これは小さな悲劇である。
新聞が見辛いのは、まずは紙面が大きくて目がどこにもゆかない感じがあるから。どこ見ている、そうゆう
ことになる。あまり見出しだけ見てもしょうがなく、冒頭に肝心なことがあったりする。字面の大きな見出しは
あまりよくはない。むかしはなんとも思わなかったが。
通勤列車の中で、新聞を読んでいる。あれはやったことはない。でも丁寧に小さく折って、読んでいる人はいる。
日経。本はさすがにみない。あの乗車率200%を越す、身動きとれない中でゆうゆう本は読めない。目の前に
字があれば酔うことはないだろうが。この前久しぶりに姪っ子の車に乗ってガソリンスタンドまで行った。
大体は見当付くが、念のため地図見ていたら、一遍に平衡感覚がおかしくなった。もともと、バランスは悪い。
かなりむかしの話になるが、携帯などはもちろんないが、シャカシャカという、イヤフォンからの漏れ音は
あった。あれも、気になる場合は多い。でも、一駅止まれば、また大量の会社人間が入ってくる、そのたびに
中へと押し込まれる。聞く余裕あるの。
最後は、電車の減速を利用して、加速の反対だけど、加速といってもおかしくはないかな。
符号はマイナス。そのとき、中にいる人は前へと押し出される。これを利用する。睨まれて降りる。うしろ見た
ことないけど。でもそれでも、なんともなかったのだから。
TVもあまり見る気はない。新聞は見辛いものとなった。でも、あの形は変わらないだろう。冊子には出来ない
理由はある。残る文字は何か。軽い本の文字、これに限る。ごろんと寝転がって。
新書がやたら出たときがあるが、いまでも出ているようだが、一回の印刷部数は少ないはずだ。あの大きさ。
重さ、字の大きさ。よろしいとなるが、これを1ページ読むのに、時間かかる。先いかない。途中で、ぽい。
むかしからこうだ。
新書、文庫でも言いが、あれだと2時間で読める。ちょうどいい。なるほど、読書家の言うことは違う。
この話にもちろん「うそ」はなく、学校で使う教科書など、1冊を1日あれば、みな読める感じがする。
この違いはどこから。私の場合、絵本でもそうはいかないだろう。
本のことについてあまりいい印象はなく、もともと読む力がない。しかし、新聞も見辛く、TVも見るもの少なく
頭の中すっからかん状態では、生きてはいけないので、小型の本、薄い冊子、そのほかかためて積んである。
そうゆう本を、ごろりとなるとき、10冊くらい持ってくる。どうかしている。
ここに国語、漢和辞典、外国語の辞書も欲しいが。
パラリと開く、あれ、ここ読んだかも。そうゆう本はしかし少ない。でも何とかネタ探しで、あー嫌だ。
疲労度はない、目も大丈夫なときがある。眼精疲労に効く、ビタミン剤飲んでいるから。違うな。わからない。
10冊20冊くらい下に、この前読んだ本がある、ちょっとだけ。こんなことろか、随分移動したな。
読書の秋でなく、本を移動する秋。
秋の本番はこれからだという感じなので、10月ももうおしまいだが、結局、たくさん撮ったときの残り物を探し
出すしかなかった。
その一。自分にしかわからない、ギョギョッというところである。何でこんなことに。
その二。ドウダンツツジ、記憶にこれは問題はなかった。
その三。木の葉の色、同じ日のものを、もう少し明るいもので、過去に出しているが、撮り方で
さらに赤くなる。その点、ドウダンツツジは、まだまだかな。
その四。柚子にこだわっていない。ただある。他所さんの、柚子。
その五。色もきれいだし、この時点では、いま私がいるいえの柚子は、こんな黄色くはなかった。
その六。露光補正で、明るくしているが、これは嫌味はない。
その七。いろいろ。
その八。秋の始まりの、大木。
その九。スギは一応常緑のはずだが、それでも枯れてゆく。
その十。柿ドロボーが出来そうなところにあって、これはこのときの最後のほうの画像だが。
目の前にあるので、やけに親近感がわく。
朝から雨が何回か、13時ごろ、午後の1時だが降りそうになった。でも降らない。
晴れるはずなのだが、高解像度降水ナウキャストにわずかだが、雨雲があって、これが消えない。
傘に残った雨の量はそれでも多く、水落とすために振ったら、けっこう多かった。
靴の雨漏りは直せない。
この近くだと、多くはないが、東側と、それと南東の方角にある。歩いていける。お寺、数え方、思案中。
東側は、よく歩く道にあって、いまはようやく大きなケヤキが、色付いている。空間は広い。お墓もある。
木はむかしに比べて、ずいぶんと減った。葉が大量に落ちる。この使い道がない、んなことはないと思うが。
ケヤキの葉。それにイチョウの葉。これは踏ん付けて歩くためにあるようなものだが、でもツルリ事件が
あるか。私も靴ははいているが、なんだか滑りそうな気配がいつもあって、その先、ずるずると足が開いていって
などということも想像する。今朝、この靴は穴開いていない、そう思って歩いていたが、帰ってきて靴下が
わずかに湿っぽい。あーやっぱり穴開いている。靴は1年持てばいい。そうゆうものが多くなった。
それでも晴れていれば、この靴をはくしかない。そうそう長靴もはけない。靴売っている店、なーい。
このお寺には、イチョウの木もあるが、実はならない。イチョウも、銀杏の緑はおいしいが、そこまで
ゆくのが大変である。これが落ちる場所、実だらけ、歩けないし、臭いも強烈か。
毎年、秋も深まるころ、このお寺の中を歩くが、最近ではヒガンバナのときだけ。石畳で、イチョウの木があると
ずるり現象はやっぱりある。雪でもある。滑って転んで、その先は。
TVも見なくなった。でも見るときももちろんある。ときどき、気分がまーまーのとき。新聞がやけに見辛い。
紙が薄いとか、裏写りとか、裏写り、この字でよかったかな。これは本でもある。さらに字がかすれて、二重に
印刷されるときも。わずかにずれている。1mmの百分の一くらい。これは小さな悲劇である。
新聞が見辛いのは、まずは紙面が大きくて目がどこにもゆかない感じがあるから。どこ見ている、そうゆう
ことになる。あまり見出しだけ見てもしょうがなく、冒頭に肝心なことがあったりする。字面の大きな見出しは
あまりよくはない。むかしはなんとも思わなかったが。
通勤列車の中で、新聞を読んでいる。あれはやったことはない。でも丁寧に小さく折って、読んでいる人はいる。
日経。本はさすがにみない。あの乗車率200%を越す、身動きとれない中でゆうゆう本は読めない。目の前に
字があれば酔うことはないだろうが。この前久しぶりに姪っ子の車に乗ってガソリンスタンドまで行った。
大体は見当付くが、念のため地図見ていたら、一遍に平衡感覚がおかしくなった。もともと、バランスは悪い。
かなりむかしの話になるが、携帯などはもちろんないが、シャカシャカという、イヤフォンからの漏れ音は
あった。あれも、気になる場合は多い。でも、一駅止まれば、また大量の会社人間が入ってくる、そのたびに
中へと押し込まれる。聞く余裕あるの。
最後は、電車の減速を利用して、加速の反対だけど、加速といってもおかしくはないかな。
符号はマイナス。そのとき、中にいる人は前へと押し出される。これを利用する。睨まれて降りる。うしろ見た
ことないけど。でもそれでも、なんともなかったのだから。
TVもあまり見る気はない。新聞は見辛いものとなった。でも、あの形は変わらないだろう。冊子には出来ない
理由はある。残る文字は何か。軽い本の文字、これに限る。ごろんと寝転がって。
新書がやたら出たときがあるが、いまでも出ているようだが、一回の印刷部数は少ないはずだ。あの大きさ。
重さ、字の大きさ。よろしいとなるが、これを1ページ読むのに、時間かかる。先いかない。途中で、ぽい。
むかしからこうだ。
新書、文庫でも言いが、あれだと2時間で読める。ちょうどいい。なるほど、読書家の言うことは違う。
この話にもちろん「うそ」はなく、学校で使う教科書など、1冊を1日あれば、みな読める感じがする。
この違いはどこから。私の場合、絵本でもそうはいかないだろう。
本のことについてあまりいい印象はなく、もともと読む力がない。しかし、新聞も見辛く、TVも見るもの少なく
頭の中すっからかん状態では、生きてはいけないので、小型の本、薄い冊子、そのほかかためて積んである。
そうゆう本を、ごろりとなるとき、10冊くらい持ってくる。どうかしている。
ここに国語、漢和辞典、外国語の辞書も欲しいが。
パラリと開く、あれ、ここ読んだかも。そうゆう本はしかし少ない。でも何とかネタ探しで、あー嫌だ。
疲労度はない、目も大丈夫なときがある。眼精疲労に効く、ビタミン剤飲んでいるから。違うな。わからない。
10冊20冊くらい下に、この前読んだ本がある、ちょっとだけ。こんなことろか、随分移動したな。
読書の秋でなく、本を移動する秋。
秋の本番はこれからだという感じなので、10月ももうおしまいだが、結局、たくさん撮ったときの残り物を探し
出すしかなかった。
その一。自分にしかわからない、ギョギョッというところである。何でこんなことに。
その二。ドウダンツツジ、記憶にこれは問題はなかった。
その三。木の葉の色、同じ日のものを、もう少し明るいもので、過去に出しているが、撮り方で
さらに赤くなる。その点、ドウダンツツジは、まだまだかな。
その四。柚子にこだわっていない。ただある。他所さんの、柚子。
その五。色もきれいだし、この時点では、いま私がいるいえの柚子は、こんな黄色くはなかった。
その六。露光補正で、明るくしているが、これは嫌味はない。
その七。いろいろ。
その八。秋の始まりの、大木。
その九。スギは一応常緑のはずだが、それでも枯れてゆく。
その十。柿ドロボーが出来そうなところにあって、これはこのときの最後のほうの画像だが。
目の前にあるので、やけに親近感がわく。
朝から雨が何回か、13時ごろ、午後の1時だが降りそうになった。でも降らない。
晴れるはずなのだが、高解像度降水ナウキャストにわずかだが、雨雲があって、これが消えない。
傘に残った雨の量はそれでも多く、水落とすために振ったら、けっこう多かった。
靴の雨漏りは直せない。
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