光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

泡のような、綿の切れたような雲の不思議、カエデの葉の色比べ

2014-11-23 13:43:11 | 植物・花(秋)
  お天気、回復しているようで、気温も上がって、今は晴れ間が出ている。


  地震はいつ起きても仕方のないものだが、観天望気でなく、天気図も見ていた気でいるが、

  朝の雨は全然予想外のもの。

  この先一週間のお天気も、あまりよくはないが、ただそんなにも冷えたりもしないようだ。


  長野県の北部を震源とする地震は、東日本大震災のすぐ後にも起きたような気がする。

  もっとも、長野県も広いもので、あちこちで、記憶をたどればそういえば、という大きな地震は

  起きている。

  御嶽山も、半分は長野県である。


  フォッサマグナ、という言葉も思い出す。松代はあるもので歴史的にも有名だが、

  たしかここでの群発地震というのも有名ではないか。

  ただ地震がどうゆう風にして起こるか、詳しくはわからないが、起きやすい位置に列島の国はあって

  これを避けるというのもむつかしい。また予知情報が出ても、どこかに逃げればすむものでもないので

  曰くいかんともしがたい気持ち。

  
  ただただ、大きなものが来ないことを祈るしかない。


  2011年3月11日、このときもここのいえの二階にいて、結構揺れはしたが、そのとき、ものが落ちるとか

  いうことがあったか、というと、はっきりした記憶はないので恐らくあっても、大したことはなかった。

  能登半島沖を震源とする地震も頻繁にあるようだが、これのいつのものかは書けないが、

  2005年以降に違いなく、このブログに書いた記憶はあるので、でそのときはものが倒れたり落ちたりはした。

 
  能登の、輪島だったか、結構住宅も倒壊したあの地震である。揺れ方が、いえが壊れやすい

  周期だったのが特徴、ということも言われたと思う。



  きのうの地震で、横になっていて起き上がろうとしたときに揺れが来たのか、揺れたから危ないと思って

  起き上がったのか定かではないが、横揺れのゆらゆらだけでなく、何とあのよく起きる軽い眩暈、めまい。

  それのほうが原因で、足元が不安定だったというのが正しいようだ。

  ただ、震度3の揺れにしては妙だったな、という感じはした。


  その後も、今回の長野県北部を震源とする地震の余震はあるが、ここではものすごく弱いもの。夜中にガタガタと

  戸が揺れている程度だが、多分そのせいだと思う。

  ただ距離的には、震源と富山はかなり距離的に近い。


  雨が止みそうになって、風もおさまったので、若干危険性も感じたが、あまりに眩暈のことを怖がっていても

  いいことはないので、書いたハガキを出すために、ポストまで歩いた。

  もっとも、日曜の集配というのは、通常と異なるので、明日出しても同じなのだが。

  それでも少し「よろよろ」はあったは、どうにか帰ってきた。



  そのときにきのう書いた、お寺のイチョウの木も見た。葉が半分散っていた。

  さらに、そこにあるカエデも、あまり首を大きく回さずに、それでも眺めたが、雨のせいか

  色合いは、思ったよりは精彩はなかったようなで、晴れていればまた大いに違ったに違いない。


  それで、きのうの朝、最近ときどき見る、泡のようで、それも千切れたような感じさえする

  雲が出ていて、部分部分は線状でもあり、とがってもいて、いってみれば連続性のないもので、面白いものの

  一つだと思う。

  同じきのうの朝、これも書いているが最近の画像は出ていない、巨木のカエデの葉の色の様子。


  最初は雲のほうから。




  その一。秋の終わりか冬といっていい時間だが、全然予想は外れて、季節がわからない空で
  賑やかである。




  その二。




  その三。どのような雲が出ようと、不思議はないものだが、自分の頭の中ではどうしてこうゆう風に
  なるのか疑問が涌く。宇宙の構造もこんな感じに似ていないかな。




  その四。拡大。




  その五。洗濯機の泡ではこれは出来ないが。


  それで、順々にカエデの色。



  その六。どうしてもこの白いサザンカははずせない。




  その七。いろいろなものが狭いところにある。




  その八。上のほう。




  その九。右側の赤いほうがここのいえの、カエデの葉である。




  その十。垣にもカエデはあって、色は冴えなかったが、今ごろになって、まずまずで
  接近画像もバランスで入れた。


  ほとんど青い空と白い雲になった。

  それはいいが、やっぱり地震のことは気になるねー。

  いつ何時、というのが常に頭にあるわけでなく、きのうはしかしそれがよみがえった。



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