11月30日。
11月31日がありそうな気もする。
ブログ用のファイルに、その日の日付を入れる。昔は、たとえばチョウのキタテハの画像だと、キタテハだから
kitateha_1_14-07-25_0とファイル名を入れる。でほかのキタテハ以外の画像でも、順に並べるため
kitateha_10_14-07-25_0としている。それが、ニラの花そのものでも。
で、ちょっとほかの画像のほうがよさそう、という場合がある。そのときは、一番最後の_0を
_1にして、残す。最後に、どれを残すか決める。これが一番いいいな、と思っていた。
最近は、せいぜい頭の一文字、か二文字。このとき、やっぱりこれがいいとなると、最初のy1のあとに
y1_b_と入れる。雪の立山という意味と、bのほうがいいという意味。でも最後の、_0はやはり入れている。
明日は11月31ではない。12月01日。でも明日の朝の画像も今日に調整、その場合、ju_asa_1_14-11-30_0とする。
11月30日に、juは、たとえば木星、でその時間は、11月30日だから、その続きは14-11-30になるが
14-11-31_0となる場合が、例えばだが、最近やたらと増えた。単純に、11月からなかなか12月に、それも01日に
頭が切り替わらない、ということだけだが。
自分自身、この状態に面喰う。
きのう、もう夕方だが、ちょっとだけ調べものと思い、自分のお気に入りから、まずは本屋さん、出版社の
ホームページを久しぶりに見た。
で、自分の使っている、辞書、いちいち紙のと書かないといけないが、それが今はどうなっているか
調べてみた。
ものすごく昔のようでもあるが、本はなくならないと思ってもいる。で、最初に研究社のページ。
そこを見て、さて本を探すにどこを見ればいいか、まずはわからなかった。
次に、どうにか英語の辞書のところにいって、ざっとどの程度あるのかを示すところへと。
そこで、古いといえば古い、『新リトル英和・和英』を探した。でももうないようである。
なくなったのだな。
手元にあるのは、合本、初版で、1983年とある。いつ刷ったかは、それはわからない。
それから、これももう古くなった、岩波の『新漢語辞典』。
普通は漢和となるが、新漢語辞典で、1994年発行、1刷である。
これは、第二版が出ている。しかし、品切れであった。
そうゆうものかも知れないな。
この辞書は、字も大きめで、ものすごく詳しいという、俗にいう『大漢和云々辞典』とかではないが、
どのような表現にどの漢字を使うなども書かれている。
もっともそのことは、初版でも読めばいいが。でも新しいものに期待感はある。
漢字の書き方、つまり筆順というのも出ていて、これも少し昔などは
お正月など、他にやることがないとき、それを一から、丁寧に写したりして
でも途中でさすがに、飽きてもしまった。
品切れか、しょうがないかもと思うしかなかった。
ほか、たとえば昔はもう少し盛んだったと思う、手作りパソコン。実際は、ただはめたり、ネジ回したり
という作業の連続で、それでも、うまく入らないとかいうことも多々あって、それなりに
苦労のほうが多く、まったく動かないということももちろん。
そうゆう、PCのための構成品を眺めること。部品とかもいうが、どうもこの呼び名は途中から嫌いで
構成品に変わったが、この様変わりもひどく、
明確に、その事業の衰退も思ったよりも激しいよう。もっとも、中身がわかっていてやっているのでは
ないので、表面的なことである。
メーカーの名前も、知らないものが増えた。
他のページも見ていたが、いかにも時代の流れに追いついていけない、あるいは断絶感ひどく
途中で、PCを切った。
これほどの変化があるとは。しかし、どうも豊かになったという感覚はなく、踊らされているか
盲目的にならざるを得ない、感じが強い。
スマートフォーンも、ただのケイタイも、それからこれも縦長の、タブレットとかいう代物にも縁がない
とこーなるのだな。
気温が上がって、頭が痛くなっても来た。
画像はいつもと同じで、散ったカエデ、それと、きのう出た雲の様子だが
雲の様子はなかなかいいが、季節感はない。
その一。これは朝、なんとなくだが、気になる色。キナ臭い。個人的なものだが。
その二。
その三。散ったカエデ。一応、常緑の緑もわかるように。
以下は雲の様子。
その四。フワフワである。
その五。
その六。これを見ていると、なんだか晴れそうで、このまま晴れ間が続きそうだが
結果は違った。
その七。振り返る。
その八。
その九。
その十。
お日様が出ていて、気温の変動が激しく、ここの建物もギシギシという音、ガラスだろうか
これも妙な音をたてる。
日除けのダンボールが落ちたり、
どうも落ち着かない。
11月31日がありそうな気もする。
ブログ用のファイルに、その日の日付を入れる。昔は、たとえばチョウのキタテハの画像だと、キタテハだから
kitateha_1_14-07-25_0とファイル名を入れる。でほかのキタテハ以外の画像でも、順に並べるため
kitateha_10_14-07-25_0としている。それが、ニラの花そのものでも。
で、ちょっとほかの画像のほうがよさそう、という場合がある。そのときは、一番最後の_0を
_1にして、残す。最後に、どれを残すか決める。これが一番いいいな、と思っていた。
最近は、せいぜい頭の一文字、か二文字。このとき、やっぱりこれがいいとなると、最初のy1のあとに
y1_b_と入れる。雪の立山という意味と、bのほうがいいという意味。でも最後の、_0はやはり入れている。
明日は11月31ではない。12月01日。でも明日の朝の画像も今日に調整、その場合、ju_asa_1_14-11-30_0とする。
11月30日に、juは、たとえば木星、でその時間は、11月30日だから、その続きは14-11-30になるが
14-11-31_0となる場合が、例えばだが、最近やたらと増えた。単純に、11月からなかなか12月に、それも01日に
頭が切り替わらない、ということだけだが。
自分自身、この状態に面喰う。
きのう、もう夕方だが、ちょっとだけ調べものと思い、自分のお気に入りから、まずは本屋さん、出版社の
ホームページを久しぶりに見た。
で、自分の使っている、辞書、いちいち紙のと書かないといけないが、それが今はどうなっているか
調べてみた。
ものすごく昔のようでもあるが、本はなくならないと思ってもいる。で、最初に研究社のページ。
そこを見て、さて本を探すにどこを見ればいいか、まずはわからなかった。
次に、どうにか英語の辞書のところにいって、ざっとどの程度あるのかを示すところへと。
そこで、古いといえば古い、『新リトル英和・和英』を探した。でももうないようである。
なくなったのだな。
手元にあるのは、合本、初版で、1983年とある。いつ刷ったかは、それはわからない。
それから、これももう古くなった、岩波の『新漢語辞典』。
普通は漢和となるが、新漢語辞典で、1994年発行、1刷である。
これは、第二版が出ている。しかし、品切れであった。
そうゆうものかも知れないな。
この辞書は、字も大きめで、ものすごく詳しいという、俗にいう『大漢和云々辞典』とかではないが、
どのような表現にどの漢字を使うなども書かれている。
もっともそのことは、初版でも読めばいいが。でも新しいものに期待感はある。
漢字の書き方、つまり筆順というのも出ていて、これも少し昔などは
お正月など、他にやることがないとき、それを一から、丁寧に写したりして
でも途中でさすがに、飽きてもしまった。
品切れか、しょうがないかもと思うしかなかった。
ほか、たとえば昔はもう少し盛んだったと思う、手作りパソコン。実際は、ただはめたり、ネジ回したり
という作業の連続で、それでも、うまく入らないとかいうことも多々あって、それなりに
苦労のほうが多く、まったく動かないということももちろん。
そうゆう、PCのための構成品を眺めること。部品とかもいうが、どうもこの呼び名は途中から嫌いで
構成品に変わったが、この様変わりもひどく、
明確に、その事業の衰退も思ったよりも激しいよう。もっとも、中身がわかっていてやっているのでは
ないので、表面的なことである。
メーカーの名前も、知らないものが増えた。
他のページも見ていたが、いかにも時代の流れに追いついていけない、あるいは断絶感ひどく
途中で、PCを切った。
これほどの変化があるとは。しかし、どうも豊かになったという感覚はなく、踊らされているか
盲目的にならざるを得ない、感じが強い。
スマートフォーンも、ただのケイタイも、それからこれも縦長の、タブレットとかいう代物にも縁がない
とこーなるのだな。
気温が上がって、頭が痛くなっても来た。
画像はいつもと同じで、散ったカエデ、それと、きのう出た雲の様子だが
雲の様子はなかなかいいが、季節感はない。
その一。これは朝、なんとなくだが、気になる色。キナ臭い。個人的なものだが。
その二。
その三。散ったカエデ。一応、常緑の緑もわかるように。
以下は雲の様子。
その四。フワフワである。
その五。
その六。これを見ていると、なんだか晴れそうで、このまま晴れ間が続きそうだが
結果は違った。
その七。振り返る。
その八。
その九。
その十。
お日様が出ていて、気温の変動が激しく、ここの建物もギシギシという音、ガラスだろうか
これも妙な音をたてる。
日除けのダンボールが落ちたり、
どうも落ち着かない。
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