朝は明るい。夜と比べて、夜明け前と比べて。
それで時間的にも、明るくなる時刻は早くなっている。
それでも夏と比べて、まだ遅い。早起きでもないが
そこに星空もあってもいい。それが今はない。
晴れれば放射冷却が待っていて、せいぜい明けの明星を
見るくらい。
ずっと雪のようで、まだきのうまで晴れ間というのが続いてあった。
今日はなかった。
朝の明るさというより、春の明るさ、春の光、反対で光の春か。
きのうの朝は、もちろん晴れ間はない。明るいのは、蛍光灯のせい?。
午後は太陽の明るさ。
きのうも冷えたけれど、でも窓ガラスはどうだったか。きのう凍ったと
書いたかも知れないが。
これも朝、で、太陽のように見えるのは蛍光灯の反射像。自分でも太陽
かと思ったのだが、時刻は7時台だ。
窓ガラスは凍っていないようだ。
上を見ると、木々のそれの雪は落ちる。屋根の雪も落ちるところはある。
でも平均はしない。落ちないところがある。落ちる雪がたまる。そのたま
る雪に、さらに落ちてきた雪が当たって、これがかなり飛び散る。雪球が
あればガラスも割れる。
そうゆう状態にある。
じりじり雪は増える。屋根の雪も恐ろしいほどある。ここは遠景で焦点
を出して、いろいろ思うこと。
もう一度、あまり雪のない上の方の木の雪、と太陽像のような、蛍光灯の
反射光。
夕方、朝来た新聞を見ていると、一面のトップが、除雪費がもう足りな
いか、赤字でという泣き言。何いっているのかねー。これかれだがにー。
あれだけ、今年の冬は厳しく!なるって、シロウトの人だって思ってい
たのに。去年もひどかったけど、今年もひどいというのわからんのかね。
それで、きのうの午後の太陽が出たとき。もう少しこの太陽が出ていれ
ば、
同じようなパターンで、午後、これはきのうの午後3時過ぎか、太陽は出
て来た。
屋根の雪山。南で溶けやすい。この雪山が今日はまた新しく20cmほど雪
を載せた。
冬至から、一ヶ月以上たった。それにしてはか細い太陽の光。
これからまた雪が降り始めた。夜型、あるいは朝方の降雪。
もったいない明るさ、それと暖かさ。日向で手を暖める。
水滴も写る。すると窓越しである。水滴のあるところとないところの違
いか。
そこに何かいるような、そうゆう画像にも思える。
2009年暮れから、2010年春も、ものすごい雪で、全然予想だにしていなかった。その前
の大雪となると、これは2005年から2006年にかけてのときで、
このときの方が雪の量はたしかに多かったようだ。その2005年から2006年にかけての大
雪現象、というか厳冬の再来だとか。そうゆうことを自分でもよくも思うし、また書いたり
もしているけど、年々冬に対する感じ方は厳しくなる一方で、これは夏の暑さでも同じ。異常
気象は当たり前で、それで地球の温暖化も当たり前の現象らしく、それで、この冬の寒さ
も、異常気象で、温暖化の結果なのだろうか。
いかにして生き延びるか、ということが肝心なようで、サバイバル合戦ということに
なるのか。生き延びるというのが命題で、どう生きるとかというのとも次元が違うのかも知
れない。今日はあって明日は誰にもわからないものだが、たしかにその通りでいつも明日
は明日。
今日になってまだ生きていたということを思う。いろいろ生き延びるという知恵が問
題にもなるわけだが、そうゆうことは若いときほど敏感にもなって、その術の本とかを見
たり、またTVで特集があればまたそれを見た。若いから、そうゆうことにも関心はあった
ようだ。でも今はどうだろうか。
雪が降らなくても雪が少なくても、冬は寒いし、また危険と隣合わせになる。同じよう
なことは、夏でもいえるのだが。
それで生きていれば、必ず人は歳をとる。避けられない運命で、それで今頃になって
人に頼ることなかれとかいわれてもねー。なんだかお年寄りは甘えているとかとも読み取
れる、そうゆう本が紹介されていたが、どうみてもそうゆうことを書く人、いう人はそれ
なりに恵まれているようだ。
恐らく、そうゆう人でなくても同じような生き方をした人はいる。でも、それを科した
のは恐らく自分だけにで、そうゆう人だからまた、記憶にも残るものなのだけど。
それで時間的にも、明るくなる時刻は早くなっている。
それでも夏と比べて、まだ遅い。早起きでもないが
そこに星空もあってもいい。それが今はない。
晴れれば放射冷却が待っていて、せいぜい明けの明星を
見るくらい。
ずっと雪のようで、まだきのうまで晴れ間というのが続いてあった。
今日はなかった。
朝の明るさというより、春の明るさ、春の光、反対で光の春か。
きのうの朝は、もちろん晴れ間はない。明るいのは、蛍光灯のせい?。
午後は太陽の明るさ。
きのうも冷えたけれど、でも窓ガラスはどうだったか。きのう凍ったと
書いたかも知れないが。
これも朝、で、太陽のように見えるのは蛍光灯の反射像。自分でも太陽
かと思ったのだが、時刻は7時台だ。
窓ガラスは凍っていないようだ。
上を見ると、木々のそれの雪は落ちる。屋根の雪も落ちるところはある。
でも平均はしない。落ちないところがある。落ちる雪がたまる。そのたま
る雪に、さらに落ちてきた雪が当たって、これがかなり飛び散る。雪球が
あればガラスも割れる。
そうゆう状態にある。
じりじり雪は増える。屋根の雪も恐ろしいほどある。ここは遠景で焦点
を出して、いろいろ思うこと。
もう一度、あまり雪のない上の方の木の雪、と太陽像のような、蛍光灯の
反射光。
夕方、朝来た新聞を見ていると、一面のトップが、除雪費がもう足りな
いか、赤字でという泣き言。何いっているのかねー。これかれだがにー。
あれだけ、今年の冬は厳しく!なるって、シロウトの人だって思ってい
たのに。去年もひどかったけど、今年もひどいというのわからんのかね。
それで、きのうの午後の太陽が出たとき。もう少しこの太陽が出ていれ
ば、
同じようなパターンで、午後、これはきのうの午後3時過ぎか、太陽は出
て来た。
屋根の雪山。南で溶けやすい。この雪山が今日はまた新しく20cmほど雪
を載せた。
冬至から、一ヶ月以上たった。それにしてはか細い太陽の光。
これからまた雪が降り始めた。夜型、あるいは朝方の降雪。
もったいない明るさ、それと暖かさ。日向で手を暖める。
水滴も写る。すると窓越しである。水滴のあるところとないところの違
いか。
そこに何かいるような、そうゆう画像にも思える。
2009年暮れから、2010年春も、ものすごい雪で、全然予想だにしていなかった。その前
の大雪となると、これは2005年から2006年にかけてのときで、
このときの方が雪の量はたしかに多かったようだ。その2005年から2006年にかけての大
雪現象、というか厳冬の再来だとか。そうゆうことを自分でもよくも思うし、また書いたり
もしているけど、年々冬に対する感じ方は厳しくなる一方で、これは夏の暑さでも同じ。異常
気象は当たり前で、それで地球の温暖化も当たり前の現象らしく、それで、この冬の寒さ
も、異常気象で、温暖化の結果なのだろうか。
いかにして生き延びるか、ということが肝心なようで、サバイバル合戦ということに
なるのか。生き延びるというのが命題で、どう生きるとかというのとも次元が違うのかも知
れない。今日はあって明日は誰にもわからないものだが、たしかにその通りでいつも明日
は明日。
今日になってまだ生きていたということを思う。いろいろ生き延びるという知恵が問
題にもなるわけだが、そうゆうことは若いときほど敏感にもなって、その術の本とかを見
たり、またTVで特集があればまたそれを見た。若いから、そうゆうことにも関心はあった
ようだ。でも今はどうだろうか。
雪が降らなくても雪が少なくても、冬は寒いし、また危険と隣合わせになる。同じよう
なことは、夏でもいえるのだが。
それで生きていれば、必ず人は歳をとる。避けられない運命で、それで今頃になって
人に頼ることなかれとかいわれてもねー。なんだかお年寄りは甘えているとかとも読み取
れる、そうゆう本が紹介されていたが、どうみてもそうゆうことを書く人、いう人はそれ
なりに恵まれているようだ。
恐らく、そうゆう人でなくても同じような生き方をした人はいる。でも、それを科した
のは恐らく自分だけにで、そうゆう人だからまた、記憶にも残るものなのだけど。