今は、星が見えている、明日の朝も寒そうで、予報はお昼ごろより、最低も最高も、み
な1℃下がって、最低がマイナスの2℃、最高は6℃。
内陸の方だと、もっと冷えるところは、おだやかな太平洋側でも、関東でも中部でも
近畿でも、冷える。近いところで、高山、あるいは長野、松本、みな冷える。近畿でもち
ょっと山奥でも冷えるし、冷えないところ、に観測所がある。そうゆうことをもう一度、自
分の頭の中に入れる必要がある。でも寒いのは嫌だ。
朝は、気象台の値で、マイナスの1.5℃くらいまで下がった、地表だともっと下がるだ
ろう。氷は12月に張った。初氷、霜柱もあったときが。でも一々見るほど余裕はない、せい
ぜい窓から見るくらい。あー寒そう、外に出ると、それこそブルブルどころでないので、玄
関くらいしか出ない。
雪が溶けずに残る。でもきれいな雪の結晶は、こうゆうところでは出来ないのだろう。
今日の朝、つまり今朝の雪。大したことはない。あーよかった。それ
で、外はマイナス。雪は窓の金属製の物置、花でも置くためにくっ付い
ている、ところの上に積もる。薄っすらである。っここに10cmとかは積
もらない。
瓦の雪。瓦ゆえの何かがあって、金属ではない何かが起こっている。瓦
にびっしりと張り付くかのようである。
草の上だとフンワリ感はある。
金属の上の、雪。早くだと暗い。時間がたつと少しずつ変形はする。溶
けるのももちろんある。溶けないというのも。
少し大きく。
もうすこし。針のような細さ、とかは確認出来る。六角形のもっともよ
くある雪の結晶。教科書に出ているようなというのは、似ているものは
あるが、どこか違う。そうゆうものが大体、降る雪。
あー寒い。
日の出の時間もかなりすぎて、太陽が雲から出て来た。
少しずつ見える感じを、変えているが、このサイズではそれはわかりに
くい。
日が出た様子、その二。
日が出たの、その三。
日が出たの、その四。
日が出たの、その五。
日が出たの、その六。
少しずつ、調子を変えて、また方向とかも変えた。光の量が異なる。
いずれも肉眼で、というと語弊があって、太陽など肉眼でそのまま見るの
は、まったく持って推奨はされないし、やってはいけない。斜めから見
るというか、感じで見るもので、それでも、肉眼で見ているものと、カ
メラの画像は違う。結局、目玉はカメラと変わらないとすると、頭の中
で、自分の都合のいいように、そうゆう像を再構成している。そうゆうの
が人の見ている、景色かなとか、聞いたような、間違っているかも知れな
い、ことを思う。
お正月の一週間が早くも終わってしまった。あー速い。ほとんど食べて寝て、食っちゃ
寝ということで、なるほどと思う。あまり嫌な思いというのはなかったかも知れない。少し
は雪のことも心配し、きのうなどは、朝の寒いときに、お正月のゴミを捨てにいった。寒か
った。それより一瞬、あー明日ゴミの檻は、満杯で入れられないかも、っと思った。多くの
人は、前日に多分放り込んでいる。
そうゆう光景を他のところで見た。つまり、ゴミの日でもないのに、ゴミをゴミ置き場
に置いてゆく。なるほどね、私などそうゆう知恵は働かない。その時間はほぼ昼間、午後も
1時台で、なかなかそうゆうことはないだろう。多くはやはり、誰も感じない、夜だろう。
そう思う。
お正月は一回、燃えるゴミは休みがあった。だから余計心配して、それで、早くい
くのも寒い、それで、このブログを書いて、それからいった。危ないところで、ゴミの山
はゴミの檻の、手前で、どうにか崩れず、姿、形を保っていて、さてどうする。とかも
思った。
通勤電車でいうと、満員で、みな立っている、その隙間に入り込む感じで、でもやっ
ぱり通勤電車の方が込み合っていると思う。押し込まず、置くことが出来た。その後に同じ
ように、ゴミを持ってきた人がいて、ため息を漏らしていた。思いは同じか。
私は、このゴミもしかして、その日のうちに回収されないとか心配した。でも、それは
その後はいつかわからないが、きれいにさっぱりと、檻からなくなっていて、なんだかす
ごいなと呆れて、感心した。
そうゆう、ゴミとちょっと違うか、同じようにゴミというか、購入はしたが、読まない、
使わない、壊れた、もう要らないというものを後生大事に取ってある。置いてあって、ゴミ
だ。このゴミを見て心中穏やかならないものがあるが、しかし、なんだかものがある。多分
お金を払って、買ったものでそのときは欲しかった。それに熱を入れていたわけ、それがど
うしたことか。もう要らないとなる。勝手なものだ。
そうゆうものがどんどんと溜まって、ではものを買わないかというとときに買う。大き
いものはもう持てない。PCなら、あまりむつかしくないところで、出来たらこれが静止画で
一番いいとか言われる、そうゆうモニタを購入したい、とか思う。でも、そのもの、結構重
い。今のものとサイズは同じ、ワイドでなくて、横縦比は、4:3で、そうゆうものは限ら
れる。
高い、というのがまずは他にある。今のものも、まだ充分使える。ドット抜けも、
今のものにはない。もし、買えるとして、それを持ち上げることが出来たとして、新品なの
に、ドット抜けとかドット落ちがあったらとか思うと、やっぱし買えない。
何より、モニタは箱も大きいし、ということで、大きいものは恐らくもう買わない。小
さいというと、カメさんも、小さいのしか買う気もない。でも、今はカメはもういい。そう
ゆう話しではなく、
ゴミと化した、小さいものの中で、字の印刷してある、本とかいうもの、これに齧り付い
て読むという気力もなくなって、でも本はやっぱしゴミではないとも思ったり。
失敗した、落ちもなにも出なかった。
な1℃下がって、最低がマイナスの2℃、最高は6℃。
内陸の方だと、もっと冷えるところは、おだやかな太平洋側でも、関東でも中部でも
近畿でも、冷える。近いところで、高山、あるいは長野、松本、みな冷える。近畿でもち
ょっと山奥でも冷えるし、冷えないところ、に観測所がある。そうゆうことをもう一度、自
分の頭の中に入れる必要がある。でも寒いのは嫌だ。
朝は、気象台の値で、マイナスの1.5℃くらいまで下がった、地表だともっと下がるだ
ろう。氷は12月に張った。初氷、霜柱もあったときが。でも一々見るほど余裕はない、せい
ぜい窓から見るくらい。あー寒そう、外に出ると、それこそブルブルどころでないので、玄
関くらいしか出ない。
雪が溶けずに残る。でもきれいな雪の結晶は、こうゆうところでは出来ないのだろう。
今日の朝、つまり今朝の雪。大したことはない。あーよかった。それ
で、外はマイナス。雪は窓の金属製の物置、花でも置くためにくっ付い
ている、ところの上に積もる。薄っすらである。っここに10cmとかは積
もらない。
瓦の雪。瓦ゆえの何かがあって、金属ではない何かが起こっている。瓦
にびっしりと張り付くかのようである。
草の上だとフンワリ感はある。
金属の上の、雪。早くだと暗い。時間がたつと少しずつ変形はする。溶
けるのももちろんある。溶けないというのも。
少し大きく。
もうすこし。針のような細さ、とかは確認出来る。六角形のもっともよ
くある雪の結晶。教科書に出ているようなというのは、似ているものは
あるが、どこか違う。そうゆうものが大体、降る雪。
あー寒い。
日の出の時間もかなりすぎて、太陽が雲から出て来た。
少しずつ見える感じを、変えているが、このサイズではそれはわかりに
くい。
日が出た様子、その二。
日が出たの、その三。
日が出たの、その四。
日が出たの、その五。
日が出たの、その六。
少しずつ、調子を変えて、また方向とかも変えた。光の量が異なる。
いずれも肉眼で、というと語弊があって、太陽など肉眼でそのまま見るの
は、まったく持って推奨はされないし、やってはいけない。斜めから見
るというか、感じで見るもので、それでも、肉眼で見ているものと、カ
メラの画像は違う。結局、目玉はカメラと変わらないとすると、頭の中
で、自分の都合のいいように、そうゆう像を再構成している。そうゆうの
が人の見ている、景色かなとか、聞いたような、間違っているかも知れな
い、ことを思う。
お正月の一週間が早くも終わってしまった。あー速い。ほとんど食べて寝て、食っちゃ
寝ということで、なるほどと思う。あまり嫌な思いというのはなかったかも知れない。少し
は雪のことも心配し、きのうなどは、朝の寒いときに、お正月のゴミを捨てにいった。寒か
った。それより一瞬、あー明日ゴミの檻は、満杯で入れられないかも、っと思った。多くの
人は、前日に多分放り込んでいる。
そうゆう光景を他のところで見た。つまり、ゴミの日でもないのに、ゴミをゴミ置き場
に置いてゆく。なるほどね、私などそうゆう知恵は働かない。その時間はほぼ昼間、午後も
1時台で、なかなかそうゆうことはないだろう。多くはやはり、誰も感じない、夜だろう。
そう思う。
お正月は一回、燃えるゴミは休みがあった。だから余計心配して、それで、早くい
くのも寒い、それで、このブログを書いて、それからいった。危ないところで、ゴミの山
はゴミの檻の、手前で、どうにか崩れず、姿、形を保っていて、さてどうする。とかも
思った。
通勤電車でいうと、満員で、みな立っている、その隙間に入り込む感じで、でもやっ
ぱり通勤電車の方が込み合っていると思う。押し込まず、置くことが出来た。その後に同じ
ように、ゴミを持ってきた人がいて、ため息を漏らしていた。思いは同じか。
私は、このゴミもしかして、その日のうちに回収されないとか心配した。でも、それは
その後はいつかわからないが、きれいにさっぱりと、檻からなくなっていて、なんだかす
ごいなと呆れて、感心した。
そうゆう、ゴミとちょっと違うか、同じようにゴミというか、購入はしたが、読まない、
使わない、壊れた、もう要らないというものを後生大事に取ってある。置いてあって、ゴミ
だ。このゴミを見て心中穏やかならないものがあるが、しかし、なんだかものがある。多分
お金を払って、買ったものでそのときは欲しかった。それに熱を入れていたわけ、それがど
うしたことか。もう要らないとなる。勝手なものだ。
そうゆうものがどんどんと溜まって、ではものを買わないかというとときに買う。大き
いものはもう持てない。PCなら、あまりむつかしくないところで、出来たらこれが静止画で
一番いいとか言われる、そうゆうモニタを購入したい、とか思う。でも、そのもの、結構重
い。今のものとサイズは同じ、ワイドでなくて、横縦比は、4:3で、そうゆうものは限ら
れる。
高い、というのがまずは他にある。今のものも、まだ充分使える。ドット抜けも、
今のものにはない。もし、買えるとして、それを持ち上げることが出来たとして、新品なの
に、ドット抜けとかドット落ちがあったらとか思うと、やっぱし買えない。
何より、モニタは箱も大きいし、ということで、大きいものは恐らくもう買わない。小
さいというと、カメさんも、小さいのしか買う気もない。でも、今はカメはもういい。そう
ゆう話しではなく、
ゴミと化した、小さいものの中で、字の印刷してある、本とかいうもの、これに齧り付い
て読むという気力もなくなって、でも本はやっぱしゴミではないとも思ったり。
失敗した、落ちもなにも出なかった。