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光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

夜で雨は終わるかと思ったが。草の生長、緑潤い。

2016-06-28 07:12:37 | 植物・花(夏)
  朝は秋じゃなくて、梅雨。


  湿度があるせいか、クシャミも出なかったし、朝方身体がやたら冷える感じもあまりない。

  ただ、5時過ぎころから弱い頭痛。


  この天気じゃ、身体はどうしてもおかしくはなる。

  新聞ちらりで、こちらもなに言っているかよくはわからない。

  NHKの「G」のほう、も6時半の頭だけ見ているが、なんともねー。

  すぐに、「E」に変えた。歌に。


  きのうの午後4時ころだろうか、あっという間に空に雲が広がって、でも雨が降りそうな雲ではなかった。

  ただ、太陽を隠す雲で、宵の時間はすでに暗くなって、蛍光灯をつけていた。

  細かい雨だと、もう降っていたような。


  雨らしい雨は夜中。

  風がないので、音はさほどしない。

  ただ、そのうち、雨漏りしそう。樋からは雨水があふれているのは、簡単に想像出来るし。

  揺れるのも心配だけど。


  朝は鳥の鳴き声も小さい。

  雨の朝はムクドリが、よく電線に止まる。移動中かな。


  これも6月26日、日曜。






  こうゆう空の色も出るわけ。




  カエデは普通に。




  

  きのうの予報では、午前中の降水確率は下がっていたけど、今日出た確率は、けっこう高い。

  どうなるか。頭の中は白いので、この言葉はよく出るようになった。



涼しい。ブルーな、アジサイ。

2016-06-24 13:44:46 | 植物・花(夏)
  選挙の話話、(話はなし)。


  もう決まっているので、まったく慌てることもない。

  今日は、朝は日は出ていたが、いまは曇り。

  雨が迫っている。


  何が起こっているのか、よくはわからないが、この列島の国での選挙のほうにいまは「関心」がない。

  一時的なものだろう。

  そのうちに、またいつもの日常が来る。そのうちにいつものでない、日常も来る。

  
  きのうの雨がまだ残っているかというと、そうゆうことはなかった。

  アジサイのブルーの色は、今日見ていると、それほど強くなく、弱いブルーである。

  ブルーの程度としては、軽症である。


  人は青くなったり赤くなったりする。青色吐息。こうゆう日本語があったかどうか。

  歳とって、自分の年齢もはっきりとしない。これもブルーな気分になる。

  こうゆうのと、ちと、違うが、緊張感というものも出る。緊張、ヤバイのではないか。

  毎日、このところ、ヤバイなと思う。


  台風だろうが、なかろうが、大雨が降れば、河川は増水して、堤防は決壊する。

  広島だけではなかった。土砂災害。去年だったか、関東での大雨の記憶も、もちろんあるが、あれが

  去年だったかどうか、それもはっきりとしない。


  2016年になっている。

  2015年に、何が起こったか。

  2014年に、冬の寒いときに、なぜ、総選挙が行なわれたか。大雪だったかどうか。

  たしか、そうだ。

  2014年、2015年、そうして、2016年になる。


  時代を遡ると、2013年があって、2012年があって、2011年がある。あれから、丸5年以上たった。

  記憶が薄れてゆく。


  一過性のものだろう。そうゆう気はする。

  あるところ、ネットの話だけど先ほどまで、見ることが出来て、いまは出来ない。


  仕方なく、他のツブツブ、つぶやきを見ている。みな大いにつぶやく。急に、つぶやいて、

  しかし、それも3日たてばもう、出て来ないだろう。3日前は、それは話題ではなかった。

  どうしたら生き続けられるか。それが課題だが、つぶれないようにしないと。


  電話がかかってくる。固定だ。で、ぶつぶつ言っている。

  さらに身体は弱っているので、このぶつぶつに対して、たいして何かいう気力もない。

  しかし、反発力が必ずあるものだから、作用・反作用はあらゆる階層で間違いのない法則であると

  理解しているので、そのうち、この反作用で、今日も何とか、という感じだ。




  その一。




  その二。




  その三。




  その四。




  その五。ブルー、なんでブルーになるのだろう。





  その六。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。


  やけに涼しい。雨が迫りつつある。

  最近「真っ青」になるというときは多いが、毎日毎日、真っ青の連続。

  真っ青の語形変化が、なかなか思い浮かばない。「まっつぁお」、これはあるか。



ユリの黄色い花、ビョウヤナギ、近くのお寺の、大きな木。

2016-06-23 14:19:41 | 植物・花(夏)
  6月23日、唸る日だね。新聞にも出ないのか。

  「6」という数字、なにかあるかと考えるが、格別思うこともない。ここのいえの電話番号にも、この数字はない。

  個人番号は、覚えてもいない。


  個人的な問題だが、数字をどう書くかというのはいつも悩む。書体は、それぞれの国の言語にもいろいろだが、

  この数字は、共通する場合がある。「1」という数字を書くときも、一本線をただ書くだけかどうか。

  そうゆう問題で、あるときは、一本線、少し歪む場合があるが。あるいは一回上にちょい上げして、下に下ろして

  最後にアンダーバーをこれもちょい。両方やる。6の場合はどうか。これの何が問題かというと、6の上のほうを

  書く場合、どの程度カーブをつけるかとなる。9はその点は楽だ。

  手紙なり、ハガキなり、住所は書く。郵便番号に、住所。これには数字。自分の書いた手紙が、そのまま戻って

  くる、という奇妙な現象もこの世にあるが、私の場合もある。単純に、ある物を送る。郵便で。

  で、それが郵便以外で帰ってくる。それだけの話で、何がどうしたというと、これは間違いなく私が書いた

  文字だ、ということがわかることだ。


  金融機関なり、郵便局で、数字をサラサラと書く職員の方は多いが、これのコピーが残るときが、書留などでは

  ある。訓練の結果か、違う方が書いても見分けがつかない場合がある。数字は、しかしわかりやすいほうか。

  年賀状も減ってくるが、直筆で書かれる部分はいくらかはあるので、あー、まったく30年以上前と同じだなと

  思うことは多い。しかし、私自身の文字は、ずいぶんと乱れていって、若いときは、一日で、50枚とか書いていて

  これはむろん残らない。だんだんと数は減って、一日に書く枚数も減って、最近の字は、少し大きく、安定

  していると思う。

  
  60を越えて、61になった。61を超えて、いまは62歳である。62のはずだな。わからなくなってきた。

  で、俄然最近思うことは、いったいいくつまで生きていられるか。そうゆう問題だ。

  余命を告げられる病気がある。これが作り話かどうか、誰かの随筆か、どっちにしても同じか。

  医師から、長くて、半年ですね。あるいは、もう少し長くて、1年。こうゆう経験は私にはないが、

  余命を聞いて、なぜか悩みはすっと消えた、とかいう話、これが最近、あるTVで流れた。日曜だったか。

  へーと思う。もう薬はいりません、なかなかいえない言葉だ。延命は、いまはどの病院でもたぶん

  やらない。

  私の父の場合も、いつ死んでもおかしくありません、子の私に医師は告げた。その翌日か、翌々日か、

  担当になった「3名のチーム」のある日の医師は、延命ということはしない、と告げた。もう蘇らない。

  楽に死んでいける、そうゆうことをやる、ということだが、今でも思うが、大学病院は、救急患者は受け

  入れるが、すぐに他の病院に行けるようにしてくださいとも言う。これを「連携」というのであって、それ

  を専門にする看護師もいることもわかった。

  
  いくらか、侘しい気持ちになって、連絡して、タクシーを呼んで、知らないところまでいって、断られて

  帰ってくる。看護は、看護師の方で十分で、よく病室も変わった。

  もう終わりというとき、一日の点滴の水分量は50cc。それが2回あったか。尿など出るわけもなかった。

  それでも父は病院で、しかもその大学病院で、約4ヶ月生きていて、最後の日が来た。

  私も、あーこれはもうだめだとわかったのだが、その当時でこれなら、その後はもっと扱いは変わる。

  すぐにわかった。

  
  どうでもいいことだが、父が最後の救急車に乗る前の日、介護の泊りから帰ってきて、ヘルパーの方に

  夜も来てもらっていたが、おかしいわね、という話になった。たぶん私も、それは感じた。

  父をいつもここのいえで寝ている部屋、仏壇のある場所に、どっこらしょと引っ張っていって、布団に

  どうにか寝かせた。


  今日、6月23日だが、PR誌が来ていて、父が寝ていた部屋で、もちろん私はいまでもその部屋を使う

  こともあるが、そこにゴロンと横になって、いくらか読めるところを読んだ。


  考えさせられるところもあった。これはまったく私にぴったりの批判だなとも思った。

  しかし、1時間たって、2時間たって、ぼんやり頭で、なにかおかしいことはないかと思っていたら

  やはりある。もっとも、それは本の紹介で、本そのものを読んだわけではない。

  ただ、もし歩いて10mのところに本屋さんがあっても、そのタイトルを見て、帯見て、なかちょろ見で買うかと

  いうと、それはないなと思う。


  というところである。25℃ない。ウタタネしそうな気温である。




  その一。小さいユリは、最近あまり見なくなった。




  その二。それがあったので、借景。




  その三。ビョウヤナギ。ヒペリカム・アンドロサエマムに少し似る。これは完全に失敗で
  マクロになってなく、かつホワイトバランスもおかしい。




  その四。




  その五。ピントがあっているところは、オシベだろうか、これはやたら細く写る。




  その六。ピンボケでも、ビョウヤナギ。

  
  近くのお寺で。



  その七。これはきれいな紅葉が出るカエデで、葉の量が増えた。一度、小さくなって、それからの紅葉は
  見てもいない。




  その八。




  その九。樹液の出る木で、なにかと言われるとわからない。




  その十。緑はイチョウ。




  その十一。やたら汗が出て、ここからまっすぐに戻ってきた。


  また、いってみよう。



ルリギク(ストケシア)、暑さに強いルドベキア。雨よ、少しはこっちで降れ。

2016-06-22 13:50:49 | 植物・花(夏)
  なんともねー。

  いまは北北東の風に変わった。朝、午前も早い時間は、西あるいは西南西の風が吹く場合がある。きのうもそうで

  ある。

  晴れると海風が吹く。この風、天気がいい証拠でもある。夜はだから、南南西の風となるのかな。昼と夜の温度の

  差、ということで。


  ルリギク(ストケシア)、は、あまり見かけないが、一度見ると、あーあの花となる。名はすぐに忘れる。

  印象としては残る。

  きのうの午後、3時前である。しばし暑すぎて、ゴロゴロしていたが、風はある。

  ここが考えどころで、夜晴れたらどうなるか、こうゆうことも考えるのだが、結局のところ、自動的に

  この身体も動くときはあるようで、ただ、さてどうするか、から始まるのは困ったものだ。

  暑そうである。熱気、これはそれほど。風はあるし。でもきついのは日照。きのうは日傘を差している方も見た。

  こんな時間、カメラ持って歩くというのも、格好のいいものではない。

  結局、G10にした。キヤノンのG10で、まだ使っている。やけに古いが、G11は寿命。G12はとなるが、

  G10。


  一ヶ月以上、使っていない。むかしの画像はモンシロチョウ。羽化したてかなというもので、動かないので

  誰でも近付いて撮れる。そうゆうものが残っていて、これは消した。出かける準備の間、バッテリも充電する。

  小さいのでもいいが。G10は、画質はいい。レンズの埃も少ないし、ゴミも写らない。

  で、これはマクロ、とそうでない場合の境界がむつかしい。失敗作は出た。50cm、ぴったり50cmで切り替わるか。

  そうゆう訳でないけど。


  ルリギク(ストケシア)の距離も、その50cmくらい離れていて、普通の状態で撮っていて、これがどうゆうわけか

  やはりだめである。50cm、この感覚がつかめない。あるいは、マクロにしたつもり。これは最近多い。つもり。

  接近して撮るということが出来なくなって、ご想像どおり太ったからだ。ほかにも、どのくらいの高さから

  撮るとうまく対象が入るか。この勘も働かない。背の高いアジサイなどは、モニタを見ることも出来ないので

  広角だから大丈夫だと安易な気持ちでいると、だめである。たまに、モニタを見る。上目遣い。メガネに光線を

  通過させない状態。


  片手にカメラで、なかなかメガネもはずせない。老眼、致命的だなー。でも、メガネをはずして細かい文字を見る

  ということをやっている人は結構多いようだ。みなやっている。なんでも見えるレンズはないのだな。

  メガネ屋さんが歩いて100m、のところにあれば、いますぐにでも行きたいが。なんでも見えるメガネはないので

  3、4つ造ってもらう。これはもう最後だから、レンズだけは高級品にする。そうゆう気持ちはある。しかし、

  残念ながらメガネ屋さんはない。近くに。


  強度の近視のメガネ、これはまだある。レンズはガラス製で、マルチコート。ちょっと汚れはあるが、ほとんど

  買ったときのまま。丈夫で、視界も広い。そのときは高いと思ったが、レンズの状態はいま見ても最高。

  1年に一回かける。で、2、3秒で、ぶっ倒れそうになる。こりゃあかん。


  今日は、ようやく、下、一階の掃除を軽くやった。ただ仏壇の中は、やらなかった。あれは、掃除機でやる

  ものではない。あと、新聞の袋詰め。うーん、一部ずつ。見えるところをチラッと見ることもあるが、

  なんていう新聞というより、ひどい出来事が多い毎日の連続だ。見出しと写真は違うし。


  今日のゴタゴタはここまでで、ルドベキアは元気に咲いている。




  その一。ルリギク(ストケシア)。一つ、水不足状態、もう一つは、どう見てもピントがおかしい。
  合っていない。




  その二。らしさはあるが。




  その三。斜めの光で、似たような色のアジサイ。




  その四。




  その五。こうゆう空の色だったかな、と思うが、よくはわからない。





  その六。前々から、このルドベキアと思っていて、きのうもルドベキアがこの方向にゆくことになった
  決め手。




  その七。




  その八。色違いもある。黒いのでこれはわかりにくいかな。




  その九。




  その十。もう少し雨が降っていれば、とこの花を見ても思った。


  この辺りで、やはりいま目に付く花はアジサイが多い。だからアジサイの画像はやはり多くなる。

  そうゆう時期だな。暑かったので、花探しは出来なかったが。



天気は回復してきたが、すっきりとした青空は望めない。

2016-06-21 14:06:59 | 植物・花(夏)
  そのうち、明日からか、選挙一色になるかと思うと、ぞっとする。

  「マッチ・ポンプ」も言い古された言葉だが、それでもまだまだそれがどうゆう意味か、というのはわからない

  ことは多い。


  新聞に、株の欄がある。別に『日経』でなくても、どんな新聞にも出ている。でも、そうゆうものは出ない

  だろう新聞があるのではないか、ということも考える。こうゆう新聞こそ、けっこうまめに読まれていたり

  する。笑っちゃいそうなことだが、そうゆう記事をむかし読んだ。


  祖父も、なぜか虫眼鏡で、この数字を見ていたようだ。いや見ていたのである。私が、高校生とか、大学にいた

  ときだ。どうなったか、書く必要もないだろう。

  上がった、下がった。いまもまったく、国民に関係ないということは出来ないので、多少は関心はあるが、どう

  考えても儲かったという人がいれば、損をしたという人がいるわけで、うまい話はない。税金、社会保険料、その

  ほかもあるだろうと思うが、これが投入されている。税金で食っている人間は気楽だな。


  外国為替の問題。1ドル360円の時代を知っている。外国に行く。で、旅行作家は、わずかなドルを持って

  異国事情を観察して、大いに感動して、『見聞録』を書く。異国事情は歌でしか知らないので、

  みな、こうゆう本を買う。列島に棲んでいる限り、ドルは格別、360円でも問題はなかった。外国製の

  もの、は必要はなかったわけ。

  変動相場制になったのも、いつかと聞かれると、知らない。でも、そうゆうときはあった。そんなむかしでは

  ない。

  それでも、高い外国の製品は、関税もかかっているので、大して安くならないが、輸出産業にとっても

  これもあまりありがたくはなかったのかも知れないが、人件費も安いので、輸出大国になるのに、時間は

  かからなかった。急に、1ドル100円に、70円台の後半になった訳ではないが、何が理由だったのだろう。

  そういえば気が付けば、定価のない商品も増えた。


  バブルといわれた時代があるが、これも理由はわからない。

  嫌われる「民族」というのが、あるのかどうか。宗教もそうだが。人種差別、あるいは奴隷制はある。

  戦争にも、法律があった。捕虜。

  大日本帝国の軍の捕虜になった、異国の人間はいる。そうゆう人は、戦時中、日本国内でどうゆう扱いを

  受けたか。死んだ人間はどのくらいいる。強制労働を強いられて、斃れてゆく。

  あるいは、その当時植民地とされた国の人は、昭和の戦争の時代に、これまたどうゆう扱いを受けたか。

  いくらか、本で読んでいるが。

  もちろん、相手国の捕虜になった、そうゆう人間もいる。

  
  「NHK」でなくても、そうゆうことになるのだろうが、中国の、軍に所属する船舶が、領海付近を、航行した。

  あるいは、この列島の国の領海内に入った。この話題は毎日出ている。まだ海上の話だが、これが

  空とかでも、同じことが起こる。あるいは、海底でもそうである。

  仮想敵国を考えるのは自由だが、どこどこの国が領海を、領空を侵犯したとは聞く。

  同じことを、この列島の国もやっているかどうか、これは公表されない。侵犯した、というのをどうして

  知るのだろうか。

  これに、まったく抵触しないという状態で、経済活動は成り立っている。

  当然、投資もしているわけ。


  いくらか、簡単な疑問を書いてみたが、これも今日は天気が回復しているからだろう。

  わからないことが多すぎる。どうなっているのというわけ。


  今日も、いえの近くの風景なり、花とか木の様子を出さないといけない。もう少し天気が回復すれば

  どうか。

  そうか、選挙だった。静謐の時間はあるか。




  その一。よくある失敗。




  その二。左の竹の支柱はよく写っている。




  その三。コスモス、緑は濃くなってきた。




  その四。勢いもある。




  その五。他のところのアジサイを見たいのだが。





  その六。秘密の道。こんなところでクマに出会ったら。それはないけど。




  その七。きれいな色だが、むつかしい位置にある。




  その八。クルクル、光ファイバー。




  その九。




  その十。この用水にも、水鳥はいる。泳いでいるけど、食べるものはないのではないか。


  選挙か。街宣車はさほど来ないだろうが、TVが問題だな。

  関東にいたときも、この国政選挙のときだけは、往生した。信条もないのだけど。

  

風と、白い雲のある空と、西に傾いた日を浴びるアジサイ。

2016-06-20 14:05:07 | 植物・花(夏)
  ゴロゴロゴロ、としている。

  もう一週間くらい前になるが、先週はいろいろあったのだが、午後遅く、イネの緑を見ながら歩いていて、

  その距離は大したことはなかったが、さほど急いで歩いていなくて、ただ時間的に少し心配なことも。

  もう少し早く歩けたらいい。はかない希望である。腕時計はしていなかったか。腕時計は、気が付けば

  時刻も合わせる。これの勘は戻った。でも玄関から出る時刻、これも最近、気にしていない。


  一本道で、途中、もう帰るか、というときがあるが、少し遠回りになるが、分岐する道はあって、そこを歩いて

  またもとの道に戻ってくることにした。もちろん、歩いている人はいない。気を付けるのは車だけで、何度か

  立ち止まった。もとの道に戻る、あと200mくらいで、というとき、向うに見える先ほど歩いた道を、ある

  人が歩いてくるのがわかった。なんとなくだが、合流地点で、鉢合わせしそうな感じがしたが、私は何とか

  早く歩こうとして、その向うから歩いてくる人を見ることはなかった。その人も歩くことが目的だった

  ようで、ちょうど合流するところで、反対方向にくるりと方向を変えたように思った。で、後ろを向いたか、と

  いうとチラッとで、なるほど、もっともなことだな、で終わった。


  通勤とか、通学で、ごった返すところは多いが、一つの道の先に、たとえば一人の人影を見つけると、あまり距離が

  縮まらないようにという、考えはどうしても起こる。人だらけの場合、そうゆうことは考えない。100mくらいあいて

  いないと。ただ、顔をしかめて歩いている、リハビリでだろう。そうゆう方が、前方にいる場合、これは追い抜か

  ないといけない。

  小学校のとき、集団登校というのをやっていた。ちゃんと、道順に沿って、時間が来ると、呼び声がかかる。

  なかなかいい制度だったと思う。今は知らないが。この場合も、塊としての気持ちの気楽さはあるが、違う道からも

  同じように、集団は来る。会う。そこが、校門なら問題はない。小集団は接近したかな。あるいは中集団に

  なったか。そのいずれでもないか。


  今日は風がかなりある。窓を開けているので、いくらか風が入ってくるが、朝起きて大したこともやっていない。

  どのくらいまで気温が上がるか。そうゆう心配はある。

  きのう、少し溜まった新聞を動かしたが、湿気のせいか、やけに重かった。これを袋の中に入れる。そうゆう

  つもりでいたが、なぜか、それ以外のことをやっていて、これはいまは書く気にならない。


  もう一つ気が付いたことがあるが、つまらない話しか出て来ないが、1.2Vのニッケル水素タイプのバッテリは

  定格が1.5Vとある機器でしかし1.2Vでも使用可能とある場合でも、大した時間持たない、ということを

  再認識した。1.5Vの単三乾電池は、しかし高い。うまい話はない。1.5Vのニッケル水素バッテリを作る

  ことが出来ない、ということはないだろうと思うが。


  午後の3時過ぎで、夕日というわけにいかず、しかし、この光で見るアジサイの色は、色合いは少し変わる。



  その一。花に変化はあって、ここはもともと日当たりは変わらないかな。




  その二。ここのいえのアジサイ、いまは青い色が少し濃くなっているが、このときも色は薄いブルー。




  その三。




  その四。こちらのアジサイの方が、午後の光を浴びるアジサイの感じは出ている。




  その五。小さいカマキリもいる。





  その六。




  その七。わずかに色は違っている。




  その八。




  その九。




  その十。




  その十一。これを見て、雲があったことを思い出した。強い太陽光が当たると、かなり乾燥している
  こともわかる。


  雨は降るところでは降っていて、やはりこの辺りは少ないようだ。

  もう少し雨が降らないと。


ヒメジョオンの、花びらの繊細さ。

2016-06-20 07:18:59 | 植物・花(夏)
  お天気は、晴れ。東の方向、日が出ている方向だが、雲が少しある。

  太陽の明るさが強すぎる。ほかに、散乱現象もあるのか、空は白く見える。

  南と西の空にも、白い雲はあるが、こちらは空は青い。きれいな夏の空がある。

  風はほとんどない。


  きのう夕方、細かい雨は降っているが、雨らしい雨はそれだけで、しかも量はかなり少ない。

  夜中に近い時間、大きなまん丸の月はあったが、雲が月の光を浴びて、しかも黒く見えるから

  この雲も厚かったのだろう。


  ときどき空がぴかっと光るようだなとも感じられたが、稲光か、幻想か。

  眠っていて、チャイムの音が聞こえるときはあるが、・・・。  


  カメラも疲れるような対象を撮っているが、ヒメジョオンなどは、やさしいほうだろう。

  こうゆうのが一番きれいに、写る。目で見ているよりはるかに美しさを感じる。

  花びらの細いこと。大きさもだいたい同じだし、きれいに円周を作っている。

  幾何学が好きな花は多いようだ。













  G1 X Mark IIで撮っている。出てかなり早く買ったもので、ちゃんと『カメラユーザーガイド』とあるが、

  紙で出来た、本のスタイルの使用説明書も入っている。ただ、書いてあるようにはならないが。

  こうゆう説明書は、いつごろ作られているか、というのを想像すると、違いが出ておかしくはないが。

  惜しいカメラだな。いいときと悪いときがはっきりとする。


  今日は暑くなるか。



密林か、とぼやきたくもなる。木々の生長がすごい。

2016-06-19 13:53:27 | 植物・花(夏)
  八方ふさがり、あまり使いたくない言葉だが、父の建てたいえで、しかも2階で、外の様子を見ていると

  朝も少し書いたが、抑うつ感は満載になる。どれだけ伸びたら気が済むのかとなるが、

  如何せん、植物は元気である。

  木々にも寿命はあるが、どうも人よりは、はるかにその寿命は長いようである。

  
  大きなスギは、ずいぶんむかしになるが、10年以上は前だ、15年くらい前になるかな。

  切った。このときは、その専門の方が尋ねてきているが、最近、これももう何年か前だが、一度、むかしも

  来ていたのですよ、というちょっとだけ若い人が来た。ただ、そのときは、こうゆうことになる、という予想は出来

  なかった。少し考えさせてくださいと言い、で、名刺だけはもらっていて、それはある。


  こうゆう仕事をされる方は、看板を掲げている方もおられるようだが、そうでない方もいるようで、詳しくは

  わからない。ただ、昨今の、異常気象で、どこどこの大木が倒れた、というニュースはよく聞く。

  樹齢500年の木がある、昔ながらのいえに棲んでおられる方はいる。そうゆう所は維持も大変だが、銘木はあって

  地元の人はみな知っている。しかし、その樹齢500年の木が、台風で、強風で倒れた、いえにも被害が及んだ。

  そうならないと、新聞にも出ない。もちろん地元の新聞である。それでもいつのまにか、あるいは時間がたつと

  木は元通りにならず、ただ、重要文化財並みのいえは、再び蘇る。

  職人さんはおられるようだ。


  しかし、数は減ってゆくのではないか。

  ここのいえでも、いろいろな方に木と草に関しては、お世話にはなっているが、年齢で、あるいは病気で、

  怪我で、こうゆう仕事をやめられる事実はある。病気でも、仕事はやっていて、と後から聞いたことも。


  いまのところ、私が出来ることは限られるが、竹を切ることだけだが、これはもうやらないことにした。

  大きなものはどうしようもないからである。

  木の方は、これはやはり大きくなるので、夏までもう一回、ということでお願いはしている。ついでに竹も、と

  なるはず。


  窓から見える空が小さくなってゆくのは悲しい。


  急に風が強くなってきた。


  この木に関して、いくら窮状を書いても意味はないが、一応、最近の様子で、いくらかは

  景色として見ていてもおかしくはない、というところ。これを出すことに。

  これが完全になくなる、というとまたまた困ったことになるが、それはあり得ない。そのとき、そのときで

  どうにかするしかない。

  圧倒される、木々の生長の勢い。




  その一。西側、竹もここまで出て来るか。金星がわからないではないか。




  その二。




  その三。少しは切った竹だが、竹はさらに反発して、より多く出て来るようである。




  その四。




  その五。こちらは北側。竹はむかしは、こっちはなかった。木もこんなひどくはない。





  その六。




  その七。梅の木は、なんとかなりそうだ。いまのところ、問題はない、でも北の空の視界も狭くなった。




  その八。栄養というか肥料は、みな循環させている。太陽のエネルギーは、十分だし、あとは多少は
  炭酸ガスの濃度はさがって、酸素の濃度は上がっていると思う。もっとも、地面に落ちた葉、あるいは

  切られた木々の枝は、ある場所で眠るが、このエネルギーを利用する微生物は、具体的に名をすぐに
  あげられないが、ちゃんといる。キノコなどもそうで、シイタケはわかりやすい。木の組織を分解する

  ものはちゃんとあって、やはり固体になった炭素は、再び炭酸ガスに戻る。だがゆっくりとである。




  その九。



  これも、6月16日のお昼ころの東側に見える山。こっちも、木々の生長は明らかで、山は隠れてゆく。



  その十。



  小雨が降り始めた。



まだ雨は足りない。キンシバイが咲いた。生長する花と木々のその後。

2016-06-18 14:03:14 | 植物・花(夏)
  いまは28℃くらい。朝、温度計は22℃を示していて、これは放射冷却もあるようだ。

  瓦に露も降りていた。

  きのうの夜も、かなり暑かった。もっと早く眠気が来るかと思っていたのだが。


  このところ、新聞見るにしても、だいたい15分で終わる。ときに週刊誌の広告のほうをじっくり

  見たりする。さすがに、そうは簡単に週刊誌も休刊とかに出来ず、でもその広告は載るものは限られて

  いる。


  この意味でも全国紙は、もう少し、月刊誌でも、週刊誌でも、広告の量は増えると思うが、・・・。

  私の感覚では、ネットの広告を見るということはない。それを見る必要ないくらい、企業は製品の、サービスの

  情報を大量に出している。それを見れば済む。もう、ADSLに変えて15年くらいになるが、いまさら新しい

  何かを見る必要はなく、それをやるくらいなら、頭をひねりつつ、文庫本なり、辞書なり、あるいは永久に

  わかりそうにない、入門書ではあるが、興味を持っていたので買った、柔らかい本を見ていた方がいい。


  でも、一言、ふたこと思うことはあって、それは立憲主義を建前とする、そうゆう憲法を持つこの列島の国の

  中枢におられる方、こうゆう人が何を守らないといけないか。これはちゃんと憲法に書かれていて、しかし

  それを逸脱している状況に変わりはないことがある。国務大臣こそ、国会議員こそ、この憲法にしばられている。

  どうゆう法律を作るかもそうだが、言っていいこととそうでないことがある。憲法に違反する法律がある。

  またある発言に対してこれはおかしいではないか。批判することこそ、主権者である国民の義務である。

  同じように、マスコミも、そうゆうことをやってこそ、国民から信頼を得る。


  何言っているのか、それは本当のことなのか、どこの誰が、どうゆうことを事実として認めて、それを公言

  するか。これがはっきりとしないと、またかとなる。コロコロと、発言が変わるので、有名になり過ぎた。

  そうゆう人を私も、知ってはいる。むかしはこう語っていたのですよ。なるほど。考えを変えたわけだが、

  それは正しいかな、というのがある。もう一つはもちろん、あのとき誰かがこう言った、という発言だ。が、

  これは、コロコロと変わるわけはない。言ったか言わないか、言ったのならなぜ、そのときにこうゆう風にしろと

  言われたと、言わないのか。

  そうゆうことになる。


  なら、週刊誌の広告のむつかしい言い回しを、解読した方が楽しい。

  こうゆうことを見聞きしていると、私もある年齢になってずいぶんと気が弱くなったと思うが、立憲政治の

  中枢にいる人間の動揺がはっきりとする。選挙に勝つために、ということに簡単に結びつく。



  きのうは、これまた話は違うが、午後の3時ごろ、しょうがないなという感じもあって、カメラを持って近くを

  歩いた。カメラを持たない方が、はるかに美しいものに出会うときがあるが、これは目の中に納まって、でも脳裏に

  残るか、これがむつかしい。しかし、いくらか思い出すこともある。今日は今日で、また母の残っているものの

  確認にしばらく時間を使った。考えていたものは出て来た。


  兄弟がいる。姉がいるが、これはむかしから変わらないかも知れないが、相変わらず、私の名は呼び捨てである。

  ま、それでいいけど。これ以上のことは書けない。


  午後の光で、どうゆうわけか、ピンボケも出るので、今日も愕然。




  その一。キンシバイ。きのうも風はあったので、細い枝は揺れた。




  その二。




  その三。空はまだ、雲が多い状態で、下に、白いハナショウブ、カラーなどがある。こうゆう絵を
  見ることはなかった。




  その四。その後のもの。見た感じ、小さくなった、赤紫のアジサイ。




  その五。カラスウリの葉。





  その六。ノバラは、葉だけが伸びている。




  その七。ノリウツギ。うまく写らない。




  その八。反対方向から、コントラストが弱いのかな。




  その九。毎年出るが、わからん。




  その十。突然、赤いアジサイに出会う。


  頭に冷たいタオルを当ててじっとしているといい。きのうの夜も、そうしていた。

  朝、弱い痛みだが、頭痛のようで、これまでのものと違う。いろいろな状況になるが、

  頭に関しては、冷たい水を含んだタオルが、横になっているときはいい。


  それ以外はとなる。いまは大丈夫だが。

  厳しいなー。



アジサイの花は、どうして人を引き付けるのか。

2016-06-17 14:38:41 | 植物・花(夏)
  暑い。

  雨はいまのところ、なし。たまに、電話がかかってくる。固定である。

  これも無視していいものと、そうでないものがあるが。


  概して、金融機関から、というのはない。銀行しか可能性はないが。電力会社から、というのもない。

  電力でいうと、これから、使う量は増えるかも知れない。エアコンを使う。このときがある。

  いまはさすがにコタツはない。掃除機は、600Wのものなので、これもなるべく、短い時間で終わるようにする。

  いまはPCの電源も、けっこう大容量のものが要求されるが、Win XPのときで、350Wでも、大丈夫だった。

  これはいまも残っている。役に立つことはないだろうが。


  このところ、何が電気を食うか、考えることもないが、省エネルギーということが叫ばれて久しいから、

  PCの電源も、そんな大容量のものも必要はなくなるだろう。私のところは、変わらず100Vで、契約している。

  かなりむかし、2010年ころだが、いえの耐久性に関係なく、ボロボロは出て来て、いくらか修理した。

  このとき、エアコンを導入したのはもちろん、母の身体のことをも考えてのことだが、それが役に立つことは

  なかった。暑い、寒い、あまり感じなくもなっていたのか、少なくとも、冬は、エアコンはいらない。


  もともと、元気だった人で、大正も最後の生まれである。どんな人間にも最後はあるが、80歳台になって

  今でいう、認知症の症状は出ていた。

  父が亡くなったのが、2008年である。母の様子もあれなんだか変だな、というのは、すぐにはわから

  なかったが、あるとき、間違いなく、症状は様々なのが認知症だが、そのときが来たなと思った。

  2005年の夏ごろだと思う。


  こうゆうことは、むかしも書いていて、その当時は記憶ははっきりとしていて、母も父と同じ病気になった

  のかと思ったが、あまり心配はしなかった。格別に、生活のうえで支障があった、ということはなかった。

  と思うが、もう時間だけがたつと、記憶もはっきりとしない。父の場合、まだ、介護というものも、こちらから

  執拗にお願いしなくても、また心配することもなかったようだ。しかし、母はこのとき、父の病院での診察に

  付き合うことにもなって、これはかなり大変だったようだ。父の場合、すぐに介護施設のお世話になることも

  出来て、泊まるときも多かった。
  

  どのくらいの時間、父はここのいえにいて、それでどれくらい、介護施設のほうにお世話になったのか、はっ

  きりと知らない。ただ、一つだけ、私が気が付かなかったことがある。それは泊まっている場所で、てっきり

  変わらない、変わっていないと思っていた。だが、実際は、ある時期から、違うところになっている。

  ここは、距離的には、より自分のいえに近くなっていた。しかし、それがいつもそうだったのか、

  はっきりはしない。そのときの、支払いの書類を見て、そうだったのか、と思っただけである。

  変わった、という話はまったく聞いておらず、でも、格別心配のある場所ではなかった。近くであって、病院も
  
  ある場所だった。だが、関連性はなかったようだ。世の中、時代とともに右往左往するが、知らないことは

  多い。


  今日はもう少し気力があれば、外の様子をと思ったりもしたが、午前中はいえの中にいた。

  やけに気温が上がってきたこともあるが、いまは部屋の中も暑い。


  花瓶には花、花はアジサイ。花瓶の中に、花はないが。


  で、アジサイの花である。これもそろそろ新しいものと思うが、なかなかいい機会がない。

  最近の画像は、ぼんやりとしたものを多くしている。画像ソフトで、くっきりさせる、「エッジ出し」とか

  アンシャープマスクとかもいうようだが、これを弱くしていた。今日は、なぜかもう少しこの効果を

  強くしないといけないように思えて強め。かっちり感は出ていると思う。




  その一。




  その二。




  その三。色合いは、こんな感じ。もともと、強い色は出ないアジサイ。




  その四。




  その五。





  その六。ここからは、ここのいえのアジサイ。




  その七。




  その八。




  その九。
    


  で、立山連峰の様子だが、これはきのう、6月16日12時台も終わり、12時54分のものである。

  一枚だけにした。これは左右1024ピクセルあります。矢印キーで、移動が可能です。



  その十。雪は少ないように見える。



  新聞にアユ釣りが解禁になったことも出ていて、河川の水量は多くはないという。

  考えていたものと違った。水量は少ないか。雪の量に比例して。

  水不足もあるということか。