ぶらぶら人生

心の呟き

長田弘「死者の贈り物」

2006-07-03 | 身辺雑記

 注文していた長田弘の詩集「死者の贈り物みみず書房)が、昨日届いた。
 早速、読んだ。(20編の詩。)

 6月6日のブログに、「長田弘の詩」と題して投稿した。たまたま「文芸春秋」(6月号)誌上で読んだ「nothing 」について書いたもの。
 長田弘の詩を、一冊のまとまった詩集として読むのは、今度が初めてだ。
 昨日一読した。
 今日は再読しながら、心に刻まれた詩句を書き留めておこうと思う。
  
  (前13行省略)
  朝の光につつまれて、昨日
  死んだ知人が、こちらにむかって歩いてくる。
  そして、何も語らず、
  わたしをそこに置き去りにして、
  わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
  死者は足跡ものこさず去ってゆく。
  どこまでも透きとおってゆく
  無の感触だけをのこして。

  (3行、省略)
  貝殻をひろうように、身をかがめて言葉をひろえ。
  ひとのいちばん大事なものは正しさではない。

                     「渚を遠ざかってゆく人」より)

  先刻までいた。今はいない。
  ひとの一生はただそれだけだと思う。
  ここにいた。もうここにはいない。
  死とはもうここにはいないということである。

  (19行省略)
  秋、静かな夜が過ぎてゆく。あなたは、
  ここにいた。もうここにはいない。

                     「こんな静かな夜」より)

  (前10行省略)
  おおきなコントラバスを抱えるように、
  おおきな秘密を抱えていた(のかもしれない)。
  おたがいのことなど、何も知らない。
  それがわたしたちのもちうる唯一の真実だ。
  この世に存在しなかった人のように
  その人は生きたかった(のかもしれない)。
  姿を見なくなったと思ったら、
  黙って、ある日、世を去っていた。

  (3行省略)
  糸くずみたいな僅かな記憶だけ、後にのこして。
                     「秘密」より)

  人生は長いと、ずっと思っていた。
  間違っていた。おどろくほど短かった。
  きみは、そのことに気づいていたか?

  なせばなると、ずっと思っていた。
  間違っていた。なしとげたものなんかない。
  きみは、そのことに気づいていたか?
  
(2連省略)
  まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
  間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
  きみは、そのことに気づいていたか?

  サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。

                    「イツカ、向コウデ」より)

  三匹の猫が死んだ。
  (12行省略)
  この世に生まれたものは、死ななければならない。
  生けるものは、いつか、それぞれの
  小さな死を死んでゆかなくてはならない。
  
(2行省略)
  生けるものがこの世に遺せる
  最後のものは、いまわの際まで生き切るという
  そのプライドなのではないか。
  雨を聴きながら、夜、この詩を認めて、
  今日、ひとが、プライドを失わずに、
  死んでゆくことの難しさについて考えている。

                    「三匹の死んだ猫」より)
  
  (前6行省略)
  はっきりと感じている。けれども、
  はっきりと表すことのできないもの。
  きっと、無言でしか表わせない、
  とても微かなもの。
  冬の木漏れ日のような、
  ある種の、静けさのようなもの。
  もしも、魂というものがあるなら、
  その、何もないくらい、小さなものが、
  そうなんじゃないか。そう言って、
  きみはわらって、還ってゆくように逝った。

  (以下4行省略)
                     「魂というものがあるなら」より)

  (前20行省略)
  或る日、或る人の、静かな訃に接した。
  小さな記事は何も伝えない。しかし、かつて
  大いなる鬚の思想家の草稿のことばを、
  腐心の日本語にうつしたのはその人だった。
  不確かな希望を濃くしたことばの一つ一つを思いだす。
  束の間に人生はすぎさるが、ことばはとどまる、
  ひとの心のいちばん奥の本棚に。
                    
「草稿のままの人生」より)

  (前5行省略)
  死は言葉を喪うことではない。沈黙という
  まったき言葉で話せるようになる、ということだ。

  (以下3行省略)
                    「小さな神」より)

  (前7行省略)
  ことばは感情の道具とはちがう。
  悲しいということばは、
  悲しみを表現しうるだろうか?
  理解されるために、ことばを使うな。
  理解するためにことばを使え。
  
(以下8行省略)
                     「サルビアを焚く」より)
 
 以上取り上げた詩は、詩集の前半部である。引用した詩の言葉は、私にとってのアンソロジーとして留めておきたい。作者の言葉を借りれば、<心のいちばん奥の本棚にとどめることば>として。
 一つだけ引用しなかった詩がある。それは、「老人と猫と本のために」
 
この詩は、4ページにわたる、比較的長い詩である。この詩については、書き残す行が選びにくくて、取り上げなかった。
 が、印象に残る詩ではあった。小柄で、寡黙な古本屋の主人と老猫と無数の本と、そこにある静かな時間と、更に三十年前に初めてその店に入った詩人との織りなす物語が、その詩にはある。そして、後半部で、<或る日、忽然と、消えた。/店の場所に、店がなかった。/そして小さな老人も、大きな猫も。/静かな時間も、山なしていた無数の本も。>と詠われる。終末に近い部分には、
  ことごとくか無かではないのだ。
  ことごとくが無だと思う、
  ささやかな、個人的な記憶がなければ。

と書かれている。全体の詩意を理解した上で読むと、この三行は、味わい深い言葉だ。


  

コメント
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