昨日から、朝日新聞が、第一面に、「ウェブが変える」という特集を始めている。
その第一回は、<ネット百科事典>と題して、ウィキペディアを取り上げた。
私が、インターネット上の無料百科事典「ウィキペディア」のことを知ったのは、つい二月前のことだった。薬局へ薬の購入に行き、店主と雑談していた折のことだった。私がインターネットの便利さを話したとき、彼がその辞典の存在を教えてくれたのだった。
店頭へパソコンを持参して、ウィキペディアを検索し、「調べたいものを言ってみて」と促されたので、私は、その日のブログに書いた牧野富太郎の名を挙げた。
彼は、“ほらッ”とばかり、そのページを開いて見せてくれた。そして関連事項を次々にクリックしては、
「便利でしょう!」
と、言ったのだ。
舌縺れしそうな、その事典名など、私は知らなかった。
ほとんど使うこともないのに、私の書棚にあって、場所を大きく占めている、あれは「ブリタニカ大百科事典」だし……、など思いながら、耳なれない、その事典名だけは覚えて帰ろうと思った。そして、「お気に入り」に入れておこうと。
「メモして帰るから……」
と、私が言うと、彼は、パソコン画面に「百科事典」と文字入力して検索し、
「大丈夫。こうすれば、出てくるから」
と、教えてくれた。さすがにパソコン暦10年のキャリアを持つ人は違う。
私は、それ以後、必要に応じてウィキペディアを利用してきた。
使うにつれて、便利ではあるが、未完成部分もかなり多く、多数の人の書き込みによって記事が加えられてゆく、そんなシステムになっていることが分かってきた。
昨日の朝日新聞を読んで、もっと正確な知識を得ることができた。次のように説明されている。
ウィキペディア インターネットを使う不特定多数の自発的執筆者が、
共同制作する無料百科事典
ネット上で誰でもどこからでも自由に文章を書き換えられるシステム「Wiki」と、百科事典(Encyclopedia)との造語、との解説もあって、語の由来を知ることもできた。
今日も、この原稿を書き始める前に、歌人について調べたいことがあり、ウィキペディアを開いた。「芸術と文化」をクリック、更に「文学」をクリックすると、まず「今日は何の日/文学編」という記事が眼に飛び込んできて、そこで立ち止まってしまった。
1866年の今日は、絵本作家のビアトリクス・ポターの生誕日であり、1965年の今日、江戸川乱歩死去、2001年の今日、山田風太郎死去、と続いている。
関心もあり、ついそれぞれの作者名ををクリックして、予定外の読み物をし、おまけにポターの絵本まで検索して、有名な「ピーターラビットのおはなし」の表紙絵を眺めたり、記事を読んだりもした。
今日、ウィキペディアを開けたのは、過日、「柴生田稔の歌」についてブログを書いたとき、資料が乏しかったことを思い出し、そうだ、ウィキペディアには出ているかもしれない、と思ったからだった。
が、だめだった。今回に限らず、検索しても出ていない場合がある。柴生田稔の場合も、「編集中」とあり、「投稿したい場合には~」、執筆要項を見るようにという指示が出てくる。
開いた短歌の項で、興味のある記事には眼を通し、次々クリックを繰り返していたら、百人一首の項に到達、更には歴代天皇の一覧表まで出てきた。
私は、思わずその表に見入った。
小学校のとき、<ジンム、スイゼイ、アンネイ、イトク、コウショウ、コウアン、……>と、声高に、競争しながら、今上天皇に至るまで、みんなで天皇の名を諳んじたことを思い出した。
くだらないことに精力を費やしたものだが、暗記力や集中力を高める効果ぐらいはあっただろうか、など考えながら、ウィキペディアを閉じた。
この事典に限らず、インターネットの記事を読むのは、とても楽しいが、適当なところで終止符を打たないと、際限がない。