ぶらぶら人生

心の呟き

川掃除と赤とんぼ

2006-07-09 | 身辺雑記

 年に二回、町内会の行事として川掃除がある。
 先週の日曜日に予定されていたが、雨のため延期になった。
 昨夕、大雨洪水警報が出た。台風3号が北上中とのことだし、また川掃除は延期だろうと思っていたところ、日暮れ近く、雨の中、回覧板が回ってきた。「雨天決行」と。ちょっと無謀な話だ。明朝になれば、余儀なく中止、ということになるだろう、と思いながら、早朝すぐ出かけられるように、作業着だけは準備しておいた。
 夕方から宵にかけて、予報どおり、風景が激しい雨で白く霞み、不安を掻き立てるような、篠突く雨となった。雷鳴も轟いた。

 ところが、今朝、早めに起きてみると、空が晴れている。雨の気配はまるでない。川掃除の有無を案じる必要の全くないお天気だ。
 予定の行事が、とにかく済んでしまうのはありがたい。
 鎌一つ上手に使えない私は、行事に参加しても、「枯木も山の賑わい」にすぎないのだが、何とか体の自由がきく間は、人並みに参加しようと、今朝も七時前に家を出た。

 川掃除といっても、川の中に入るのではなく、その周辺の草刈りがメインである。町内会の戸数が約百軒あるので、幾人かの欠席者があっても、かなりの人数である。幾台もの草刈り機が、能率よく、夏草をなぎ倒してゆく。私などは、その刈り残しを刈り取る程度である。ただ、足場が傾斜地で移動さえ楽ではなく、とにかく怪我をしないようにと、恐る恐る最低の仕事をする。

 川原に着いたときから気になっていたのが、大群のとんぼである。
 川掃除に参加すると、その都度、家にいては見られない、自然界の現象(珍しい虫を見つけたり、知らない植物に接したり)に、しばしば遭遇する。それは、私にとって、作業参加の楽しみでもある……。
 しかし、今日のように、異変でも生じたかのような、とんぼの大群に出合ったのは、初めてだ。

 草刈りの作業が終わりに近く、仕事の手を休める人が多くなったところで、私は、近所のタケシさんに聞いてみた。
 相変わらず、私たちの周辺を、とんぼの大群は、低空飛行しつづけている。
 「あれは、何とんぼ?」
 「夕焼け小焼けの赤とんぼ」(
 「赤とんぼ? でも赤くないよ」
 胴体が朱色である。
 「赤くなくても、赤とんぼなの!」
 「もっと赤いのもいるでしょ」
 「あれは、この辺にはいない。ここでは、あいつらが赤とんぼ!」
 「そう?」
 赤とんぼは、もう少し胴の赤みが濃く、お盆を過ぎて、秋の気配を感じる頃に飛び始めるものとばかり思っていた。あれが赤とんぼにしても、私の感覚からすれば、早すぎる出現だ。
 赤とんぼには、なんとなく、晩夏の静謐な寂寥感が似合うように思うのは、私だけの幻想だろうか。

 「とんぼは、何食べてるの?」
 飛んでいるのは、捕食が目的なのだろうか、と思いながら尋ねてみた。
 「小さい虫。……僕ら、子どものころにはねえ、ハエを捕まえて、とんぼ遊びしたよ。ハエをネ、糸につけて振り回すと、とんぼがそれ目がけてやってくる……。糸を振り回して、とんぼをからかって遊んでいたよ」
 さすが男の子。
 私はタケシさんが子どものころを知っている。夏は半身裸で、真っ黒になって遊んでいた。まさに自然児だった。が、生きたハエで、とんぼを惑わして遊んでいたことなどは知らなかった。
 「昔は、いたずらばかりしていた。……蛙が何匹犠牲になったことか」
 「私も、蛙は理科の時間、解剖実験したことあるよ」
 「そんなんと違う。やたらめったら、いじめたの!」
 「残酷ねェ」
 「蝉のメン玉の片方をくり抜いたり……。片目のない蝉、どうすると思う?」
 私は内心、その残虐さにどきりとした。しかし、少年たちは悪意もなく、面白半分に、虫たちをいじめて楽しむだけなのかもしれない、と思い、
 「知らない……。飛べなくなる?」
と、さりげなく答えた。
 「キリキリ キリキリ、空に舞い上がるんだ。みんなで競争して、空に放した…」
 タケシさんの目が、空を見上げて、一瞬タケシ少年になっていた。子どもたちの犠牲になり、足掻くように、空に舞い上がってゆく、可愛そうな蝉たちを、私も空中に思い描いた。
 「将来、浮かばれんよねぇ。ろくなこと、しなかったから。でも、親を殺したり、家に火をつけたりはしなかったよ」
 女の子の遊びに比べれば、さすがに残忍非道だ。だが、それが普通の田舎少年の姿だったのだろう。大人の目からすると、度を越えた悪ふざけを存分楽しみ、遊び疲れて夜は寝るだけ。テレビ漬けの生活などなかったはずだから。やたら勉強を強いられることもなく、少々野性味がありすぎたとはいえ、天真爛漫に育った少年の五十年後が、今のタケシさんの姿ということだろう。今や、ごく普通の、分別のあるおじさんだ。
 
 作業終了の合図があって、引き上げた。
 タケシさんの少年時代の話は、作業日の付録のようなものである。
 私には、二人の兄がいるのに、男の子の、そんな遊びは知らなかった。
 タケシ少年たちの残酷物語を聞いて、一瞬どきりとはしたものの、嫌悪感が尾を引くことはなかった。むしろ、私の未知の領分が話題となり、男の子たちの世界には、まだまだ隠された不思議が満ちていそうに思った。
 偽りのない告白を聞ききながら、突如、遠い子ども時代の草いきれの匂いを、懐かしく思い出したりもした。


 午後、日差しのますます強くなった川土手に、再び出かけてみた。
 また、赤とんぼの大群にあえるかと思ったのだ。
 日中は、草陰にでも潜んで休憩中なのだろうか。気まぐれな数匹が、稲田の上を飛んでいるだけだった。
 今朝、草刈りをした川土手は、散髪を済ませた後のように、綺麗になっていた。(添付の写真)
 川土手に、人間の手が入ったことで、とんぼは餌に困らないだろうか、などと要らぬ心配をしながら、日盛りの道を帰ってきた。珍しく汗が首筋に流れた。異常な暑さだと思いながら、軒下の寒暖計を見ると、34度を指していた。
 それを見たとたんに、ますます暑くなってきた。
 当地では、真夏でも、30度を越すことは、そう多くないのだ。 
 
  
  

コメント
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