先々週の日曜日(6月18日)、NHKの新日曜美術館で、小山田二郎(1914~1991)――伝説の画家が生んだ鳥女――を取り上げていた。
私は、その画家の名前も作品も、全く知らなかったので、いささか衝撃を受けた。特に代表作の「ピエタ」や「鳥女」などから受けた印象は、強烈だった。が、それは決して快いものではなかった。色彩的には美を感じるものもあったけれども、何か尋常ではない、特異な世界に連れ込まれた感じだった。それでいて、四十五分間、テレビの画面から目を放すことが出来ず、小山田二郎の絵画世界に引き込まれた。あの不思議な時間はなんだったのだろう? 自分でもよく分からない。これも一種の感動といえるものなのかどうか。
小山田二郎は、子どもの時から、病気がちで、終生病から解き放たれることのなかった人らしい。そうした特殊な状況が、小山田の絵に大きく作用したのだろうか。
71年からの失踪が意味するものも、何なのかよく分からない。家族にも友人にも居場所を明かすことなく、晩年の20年間は、社会との関わりを絶って過ごしたという。わずかに、画廊に作品を送ることを除いては。91年7月26日の死さえ、遺言によって伏せられ、新聞でその死が知らされたのは、八か月後であったという。
その生き方にも、絵画の世界にも、なんだか謎めいたことの多い画家だ。
一度見ただけで、この絵の特異さは忘れられない。が、私にとっては、番組時間の範囲内で、小山田二郎の絵画世界を理解するのは無理だった。納得を拒否されているような雰囲気をさえ感じた。
絵画作品以外に、言葉で書き残したものがあるのだろうか。あればぜひ読んでみたいし、機会があれば、その魅力の真髄を探るために、小山田二郎の生涯の作品にゆっくり触れてみたい気もする。
番組の最後に、次回の予告がある。取り上げられる画家の絵も一部示されて。
また次回も知らない画家らしいと思うと同時に、何という不気味な女性像だろう、と感覚的に嫌悪を感じた。それは、甲斐庄楠音という画家の絵であった。
だが、習慣に従って、6月25日も新日曜美術館の時間になると、チャンネルを合わせていた。そして、「穢い絵が生きている~大正画壇の鬼才・甲斐庄楠音(1894~1978)~」を見た。
甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)の、紹介される絵画を見ていくうちに、一週間前に感じた、あの瞬間的な嫌悪感は、完全に覆された。
小山田二郎の作品より、私の心にすっと届くものがあった。
嫌悪でしかなかった感情が、個性的な魅力に変わっていった。楠音の絵は、単なる美人画ではなく、女性の情念、心の奥底に潜む感情さえも、描き出している。
土田麦僊に「穢い絵」だと非難され、それがかえって、楠音の絵画に独自な世界を築かせた面があるらしい。人間が内面に抱く醜さまでも楠音は描ききっている。そこが、それまでの美人画と異なるところなのだろう。
岡本太郎が「芸術の三原則」の一つとしてあげていた<芸術はきれいであってはならない>という言葉も思い出した。
女の内面までも徹底して描くことによって表現される穢さは、楠音の願った生きた姿に通じるものであったはずだ。
晩年の一時期映画の世界でも活躍した人だと知った。雨月物語とか近松、西鶴の作品などを映画化した溝口健二監督のもと、衣装や風俗考証を担当し、女性の所作なども指導したのだという。キャンバスにではないが、映画の一場面一場面に、彼の才能は生かされ、そこに表現された場面は、きっと生きた絵画そのものであったのだろう。
一番心を打たれたのは、「畜生塚」という作品だった。
二十代の頃から手がけ、死の時までこだわり続けた、未完の大作「畜生塚」は、鬼気迫る作品だ。テレビの画面で見ただけでも、描かれた多数の女性たちの、死に直面したときの、ありのままの表情が、見るものに訴えかけるように表現されていた。苦悩、怒り、憤り、悲しみ、恐怖など、極限状況における、内面の諸感情が、内から滲み出たものの如く、見事に描かれているのであった。
ぜひこの大作はみてみたい。
それにしても、想像を絶する悲惨なことが平然として行われたものだ。秀吉の逆鱗にふれ秀次が自害し果てたのは仕方ないとしても、秀次にゆかりのある女性たち、妻妾、乳母、侍女、更には子どもに至るまで、39人が次々に斬首されたという。
その女性たちの無念さを、その女性たちの内心の諸相を、絵画作品に描き残そうと、生涯心に抱き続け、作品「畜生塚」に取り組んだ画家の胸の内を思うとき、その執念、中途半端ではない志に、深く感動した。
評する言葉に窮してしまう。すごい画家だとしか言いようがない。
<余禄>
この日は、甲斐庄楠音について語るお客様のひとりにも、思わず注目させられた。
その人とは、日本画家の松井冬子(1974~)である。
まずその美貌に驚いた。しかも堂々としている。絵を評する言葉にも、確かさと自信がみなぎっている。
どんな画家なのだろう?
私は早速、パソコンで調べてみた。まだ美大に席を置きつつ作品を発表している人だと分かった。画家、佐々木豊との対談記事も出ていたが、それを読んでも、またパソコン上で見た幾枚かの絵からも、将来が楽しみな画家のように思った。
その名も心に留めておきたいと思う。
私は、その画家の名前も作品も、全く知らなかったので、いささか衝撃を受けた。特に代表作の「ピエタ」や「鳥女」などから受けた印象は、強烈だった。が、それは決して快いものではなかった。色彩的には美を感じるものもあったけれども、何か尋常ではない、特異な世界に連れ込まれた感じだった。それでいて、四十五分間、テレビの画面から目を放すことが出来ず、小山田二郎の絵画世界に引き込まれた。あの不思議な時間はなんだったのだろう? 自分でもよく分からない。これも一種の感動といえるものなのかどうか。
小山田二郎は、子どもの時から、病気がちで、終生病から解き放たれることのなかった人らしい。そうした特殊な状況が、小山田の絵に大きく作用したのだろうか。
71年からの失踪が意味するものも、何なのかよく分からない。家族にも友人にも居場所を明かすことなく、晩年の20年間は、社会との関わりを絶って過ごしたという。わずかに、画廊に作品を送ることを除いては。91年7月26日の死さえ、遺言によって伏せられ、新聞でその死が知らされたのは、八か月後であったという。
その生き方にも、絵画の世界にも、なんだか謎めいたことの多い画家だ。
一度見ただけで、この絵の特異さは忘れられない。が、私にとっては、番組時間の範囲内で、小山田二郎の絵画世界を理解するのは無理だった。納得を拒否されているような雰囲気をさえ感じた。
絵画作品以外に、言葉で書き残したものがあるのだろうか。あればぜひ読んでみたいし、機会があれば、その魅力の真髄を探るために、小山田二郎の生涯の作品にゆっくり触れてみたい気もする。
番組の最後に、次回の予告がある。取り上げられる画家の絵も一部示されて。
また次回も知らない画家らしいと思うと同時に、何という不気味な女性像だろう、と感覚的に嫌悪を感じた。それは、甲斐庄楠音という画家の絵であった。
だが、習慣に従って、6月25日も新日曜美術館の時間になると、チャンネルを合わせていた。そして、「穢い絵が生きている~大正画壇の鬼才・甲斐庄楠音(1894~1978)~」を見た。
甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)の、紹介される絵画を見ていくうちに、一週間前に感じた、あの瞬間的な嫌悪感は、完全に覆された。
小山田二郎の作品より、私の心にすっと届くものがあった。
嫌悪でしかなかった感情が、個性的な魅力に変わっていった。楠音の絵は、単なる美人画ではなく、女性の情念、心の奥底に潜む感情さえも、描き出している。
土田麦僊に「穢い絵」だと非難され、それがかえって、楠音の絵画に独自な世界を築かせた面があるらしい。人間が内面に抱く醜さまでも楠音は描ききっている。そこが、それまでの美人画と異なるところなのだろう。
岡本太郎が「芸術の三原則」の一つとしてあげていた<芸術はきれいであってはならない>という言葉も思い出した。
女の内面までも徹底して描くことによって表現される穢さは、楠音の願った生きた姿に通じるものであったはずだ。
晩年の一時期映画の世界でも活躍した人だと知った。雨月物語とか近松、西鶴の作品などを映画化した溝口健二監督のもと、衣装や風俗考証を担当し、女性の所作なども指導したのだという。キャンバスにではないが、映画の一場面一場面に、彼の才能は生かされ、そこに表現された場面は、きっと生きた絵画そのものであったのだろう。
一番心を打たれたのは、「畜生塚」という作品だった。
二十代の頃から手がけ、死の時までこだわり続けた、未完の大作「畜生塚」は、鬼気迫る作品だ。テレビの画面で見ただけでも、描かれた多数の女性たちの、死に直面したときの、ありのままの表情が、見るものに訴えかけるように表現されていた。苦悩、怒り、憤り、悲しみ、恐怖など、極限状況における、内面の諸感情が、内から滲み出たものの如く、見事に描かれているのであった。
ぜひこの大作はみてみたい。
それにしても、想像を絶する悲惨なことが平然として行われたものだ。秀吉の逆鱗にふれ秀次が自害し果てたのは仕方ないとしても、秀次にゆかりのある女性たち、妻妾、乳母、侍女、更には子どもに至るまで、39人が次々に斬首されたという。
その女性たちの無念さを、その女性たちの内心の諸相を、絵画作品に描き残そうと、生涯心に抱き続け、作品「畜生塚」に取り組んだ画家の胸の内を思うとき、その執念、中途半端ではない志に、深く感動した。
評する言葉に窮してしまう。すごい画家だとしか言いようがない。
<余禄>
この日は、甲斐庄楠音について語るお客様のひとりにも、思わず注目させられた。
その人とは、日本画家の松井冬子(1974~)である。
まずその美貌に驚いた。しかも堂々としている。絵を評する言葉にも、確かさと自信がみなぎっている。
どんな画家なのだろう?
私は早速、パソコンで調べてみた。まだ美大に席を置きつつ作品を発表している人だと分かった。画家、佐々木豊との対談記事も出ていたが、それを読んでも、またパソコン上で見た幾枚かの絵からも、将来が楽しみな画家のように思った。
その名も心に留めておきたいと思う。