二週間ほど前のことだった。
思いがけず、少年時代を知るNさんに会った。四十余年ぶりの出会いだったのに、一目見て、Nさんだと分かった。
温厚で、聡明な少年が、そのまま大人に変身して、私の前に現れた感じだった。
Nさんの方には、私に対して具体的な思い出があるらしいのに、私の方の思い出は、随分漠然としたものである。先にも述べた<温厚で、聡明な>、頼もしい少年としての記憶である。
Nさんと話しているうちに、私にとっては、ショックなことを耳にした。
かなり前の話だが、私に電話したところ、私が、Nさんのことを思い出しかねている様子だった、というのだ。
私は、「えっ?」と思った。
Nと名乗られて、私が思い出せなかったというのも不思議な話なのだが、それよりも、私にとってのショックは、電話を貰ったこと事態が、記憶から抜け落ちていることだった。私は、自分の頭の内部に何か異常が生じているのではないかと、薄気味悪くさえあった。
Nさんにとっては、実に失礼なことだっただろう。
だが、Nさんは昔のままの温厚さで、そんなことなど問題ではない、といった振る舞いであった。
そのとき、私は不思議な迷路に迷い込んだ思いだったが、後日、失礼を詫び、再会できた喜びを記した手紙を送った。
昨日、Nさんから、折り返し詳細を記した返事が来た。定年退職までの人生を叙し、昔、私が褒めたという一編の詩が添えられていたのだった。
それが「クモ」という詩である。
ク モ
赤ク染マッタ 夕空ニ向カイ
クモハ一心ニ巣ヲ作ッテイル
コケノ生エタ樋トツツジノ木トノ間ニ
クモハ一心ニ 巣ヲ作ッテイル
マルデ
アノ空全部ヲ
網デウズメヨウトシテイルカノヨウニ
中心から
樋トツツジノ木ノ枝々ニ
数本ノ放射状ノ糸ヲハリ
ソノマワリニ クモハ一心ニ 網ヲ張ッテイル
クモハ最後ノ地点ヲ求メツツ
タダ一筋ニ
ダレノ手モ借リズ
自己ノ力(チカラ)デ築イテイク
アミハ ダンダン大キクナッテイク
一重 二重 三重 ……………
アノ小サイ力 体カラヨクモアレダケノ糸ガ
デルモノダ
口カラ出ス糸一本一本ニ
自分ノ全生命ヲソソイデイルヨウダ
クモハ ツイニハリメグラサレル限リノ網ヲハリ
アスノ日ヲ期待シテ クモハ
日ガシズミ ウス暗クナッタ空ニ
スイコマレルヨウニ消エテイッタ
十五歳の少年が、赤く燃える夕空に眼を向けたとき、その空間に巣を張っているクモを発見し、凝視している光景が眼に見えるようだ。そして、クモの不思議な生命力に感動して、この詩は生まれたのだろう。
今読み返しても、いい詩だと思う。片仮名書きなどして、ちょっと気取ったところも、少年らしい。
私は、この詩を見ても、N少年からこの詩を見せられたときのことを思い出せない。勿論、褒めたということも。しかし、Nさんの心には、思い出として残っているのだという。
記憶とは、どうしてこうも曖昧なのだろう。
私にあるのは、総合的なN少年の記憶だけなのだ。
「クモ」を読んだ後、私も、その昔、クモのことを書いたことを思い出した。
それは、Nさんが私に電話したことがあるという、その時期だったかもしれない。
私は、当時、晩年の老父母の世話をしていた。時間のゆとりが全くないほど拘束される生活でもなかったので、退職時に求めたワープロで、暇があれば、随筆、エッセイなどを書いていた。
新聞にしきりに投稿したのもその頃である。Nさんは、その中のいずれかを読んで、電話をくださったのだろう。
「一匹のクモと私」は、<日本随筆家協会>が1992年度分の随筆集として編集した『もう一つの愛』に採用、掲載されたものである。
Nさんの詩との不思議な符合を感じ、書き記すことにした。
一匹のクモと私
軒下の大がかりなクモの巣の存在に気づいたのは、夏のある日のことだった。
犬走りを通り、最短距離をたどって、ごみ焼き場に行こうとし、頭のてっぺんをその巣の下部に引っかけてしまったのだ。
<人の通り道に巣をかけたりして……>
私はいまいましい気分で、頭髪に絡まった粘っこい糸を取りはずした。
その愚かしい失敗を、私は幾度かくり返した。少し回り道をすれば、問題はないのだと分かりながらも。
台風の季節が過ぎたころであった。
気をつけていたはずの私は、またしても、クモの巣に頭をくっつけてしまった。
性懲りもなく同じ失敗をくり返す自分に、私は腹を立てた。
気づいてみると、ほうきを手にしていた。クモの巣を取り払うつもりだったのである。
が、巣の下にたたずんで、造形的にみごとな美しい巣と、その真ん中に鎮座している、思いのほか体型のスリムなクモを見上げているうちに、私の闘争心が揺らぎ始めた。
小規模ではあったが、わが家にも被害をもたらした台風19号を、この巣もまともに受けた。それでも、クモの巣は壊れなかったし、一部の破損さえもなかった。
ただ、か細い糸を張りめぐらせただけの巣なのに、なんという強靭さなのだろう。
小動物の生の営みに感動した私は、巣を壊さずに、季節がめぐりゆく中で、このクモがどうなってゆくのか、友人になり、観察者になって、つきあっていこうと思い直した。
早速、いたずら心を起こし、一枚の枯葉を巣に投げてみた。クモは異物に気づくと、そこに自分の体を運び、慌てる気配もなく、長い足をうまく使って枯葉をみごとに払い落とした。私はさらに、これには参るだろうと、長さ三十センチはあろうと思われるシオンの枯れ落ちた下葉を巣に引っかけてみた。
クモは、糸に絡まった細長い葉を、端から順々に放してゆき、やはり巧みに払い落としてしまった。
私はひとり、クモの利口さに感心して眺め続けた。
そのとき、私は何者かの気配を感じた。辺りを見回すと、隣家の大きな猫が庭の隅に身をひそめて、私の稚気をあざ笑うように凝視しているのだった。
私は人にいたずらを見つけられたときのようなきまり悪さを感じながら、秋陽の差すしんとした裏庭に、偶然、居合わせた一匹のクモと猫とに、孤独を寄せ合っているような親しみを覚えた。
勝手口を出ると、必ず目に止まる位置に巣はあった。
私はもう、同じ失敗をくり返すことはなかった。クモのために、私の通行路を変更し、可能なかぎり生存を見守るつもりであった。
日に幾度も巣を眺め、クモの健在を確かめて、日を重ねた。
季節は晩秋から初冬へと移り変わったが、クモのうえに変化は起こらなかった。
師走に入ってからも、幸い暖かな好天が続いた。しかし、そのうちに雪の舞う季節が訪れることは確かである。山陰の厳しい冬をどうしてしのぐのだろうかと、気になり始めていた。
クモは、あいかわらず巣の真ん中にいて、じっとしている。
そんなある日、私は一度だけ、自分の居場所を離れ、小さな羽虫を捕らえて食べるところを目撃した。
ささやかな食事を終えたクモの動きを、さらに見つづけていると、クモは巣の中央に引き返すや、お尻をぴんと上げて、脱糞した。
<やってるな!>
私は、ひとりほほえんだ。
私に見られていることなど、全く無視の体で、クモは平然としている。生理現象を充たした後は、なにくわぬように、逆さの姿勢で、じっと巣に納まっているだけであった。
生きているさだかな証の行動を見かけたのは、そのとき、一度だけだった。
ついに巣の主が姿をくらますときがきた。
十二月二十日過ぎの暖かな日であった。
巣の中央に、ぽっかり穴が開いて、私の友はいなくなった。何者かにやられたのか、自ら冬ごもりを始めたのか。
私の想像を拒否し、非情にも、主のいない空き巣は、あるともない風に揺らいでいるだけであった。
巣に開いた穴以上に、私の心には、大きな空白ができた。
そういえば、このところ、庭の隅に、身をひそめている猫の姿も見かけない……。
加筆したくなる表現もあったが、そのまま書き記した。さっぱり忘れていた、十五年前の晩秋から初冬の光景を思い出した。本の発行年が、母の他界した年なので、この文章は、その前年の作ということになる。
創作を勧めてくれたのは、大学の師であった。かつての文学少女は、文学中年になり、いまや文学老年になった。
小説に取り組み、幾編かを書いたが、成功しなかった。残生に、一編だけ、いい作品を書き、師の墓前に捧げたい気持ちはあるのだが、怠け者の私には、多分無理だろう。
師の教えとして、文章を書く趣味だけが残った。
今はパソコンに向かって、稚拙な文章を書いている私を、幽明界(さかい)を異にして、師はなんとおっしゃるだろう? 「それでいいんだよ」と、慰めてくださるのか、「命を削って、専念せよ」と、叱咤激励なさるのか……。
私には、時により、両方のお声が聞こえてくる。