◆: 自分に起きた変化
1回目脳出血後の頃、認知神経リハビリテーションを続け、自分の感覚が「ない」から「ある」が殖え、自分の病的な身体が回復していった。
◆重度の右片麻痺で、いつも肩より上まで持ち上がっていた右手は腰まで下りた。
◆亜脱臼を起こしていた右肩は回復した。
◆失語症だったが、話し言葉が、数珠つなぎのように口からでるようになった。
◆ある日、右足にはめていた装具をはずしたくなり、少しずつ装具なし歩行練習を少しずつはじめ、最終的に装具をつけずに歩くことになった。
この間もリハビリは週2回行うことがあり、認知神経リハビリテーションが重要視する、知覚、注意、判断、言語、記憶をフルに使ったリハビリがあった。(非常に読みづらい、失語症当時に書いたリハビリの様子(レポート)の
HPはある…)
リハビリ療法士さんが独自に考案したものが多く、面白いリハビリだった。
ここまでが1回目の脳出血後の回復だが、透析患者は腎臓で代謝される降圧剤は服用できず、肝臓で代謝される5種類の降圧剤を服用していたが、それも効かなくなり2回目の脳出血になる。
両麻痺になり、聴覚障害や嚥下障害等々とんでもない重度の障害になる。
◆ところが左手は辛うじて動き、また降圧剤がいらない血圧になった。(寝たきりより立って歩ける方が高血圧になりそうな気はするから、今降圧剤が必要ないのだろうか?)
しかし脳出血で入院中、透析で右手に人工血管を入れシャントを作ったのだが、術後に腱を切りましたといわれびっくりした。
動かない右手の腱を切り、透析での穿刺をしやすくのは、取るに足らないことだろうと思われたのかもしれない。
なんで手術前に教えてくださらなったのかという感じだったが。
右手で透析を受けようと決断した後悔と、亜脱臼の右肩を治療してくれた中里さんへの申し訳ない思いだった。
術後、くたっと伸びきった自分の右腕を見て、罪悪感に悩まされた。
しかし数日経つと右ひじは曲がりはじめた。
右手の腱は切ったと聞いていたが、腱は1本残して切っていないと聞いていた。
腱は1本でも、肘は曲がるのだろうか。
息を吹き返したように右手が曲がっているのを見て、胸をなでおろした。
退院後、中里さんのリハビリ治療を受けた。
◆動きがなかった両足に動きがではじめ、右手にも動きが少しあった。
右手の動きは、掛布団から出た手を布団の中へしまう、些細な動きだった。
でもこの右手の動きは、中里さんの右肩亜脱臼の治療や右ひじの腱の存在があってできたんだなと思った。
2回目の脳出血後は、とかく寝たきりで暇で、考えることが多かった。
1回目の脳出血後にはさまざまな身体の変化があったのだが、自分では気づけていない、自分バックボーンともいえるような部分に大きな変化を起こしているとずっと感じていた。
ある日そうか、と納得できた。
◆自分が変わったのは、病気の部分ではなく自分の考え方が、脳出血前の自分となんか違うと感じた。
過去の自分を思うと、決断力のなさがすごく気になったのである。
なんで今の自分は決める速さが速くなったと感じるのか。
最初は、自分の障害はひどすぎて、もう何も怖くないみたいな精神の変化かと思った。
でも私は認知神経リハビリテーションという脳のリハビリを長いこと受けた。
自分の感覚を感じて考えることは、脳出血になるまでやったことはない。
この療法で重要視する、知覚・注意・判断・記憶・言語。
このうちの判断力をかなり鍛えられた可能性はあるんじゃないかと思ったのである。
(2020.6.146.16 追記)今まで受けたリハビリには、閉眼して複数個所の感覚を順番に記憶してから、最後の感覚は何番目の感覚に等しいかを選び取ることは多かった。