今の痛みはよいこと?

2017-06-28 00:45:33 | 訪問リハビリ
最近、ふくらはぎが痛み出してから、身体に1日中痛みを感じない日はない。
でも痛みはわりとすぐおさまり、あまり気にはならない。
麻痺で痛みをわからなくされていたと思うと、リハビリが進めば痛みが出てくる気はしている。

痛みの状況を先生に報告し、「でも仕方がないんですよね。。。」と伝えると、先生からいろいろどういうときに痛いか質問され、たまたま?先生が押した左腰で「痛っ!」となった。
私は左側の背中が痛いと報告したが、腰も痛かった。
先生がスマフォで私の腰のレントゲン(私が退院した2012年のときのもの)を診て、このときすでに腰に異変が起きていてもおかしくないかもしれないとおっしゃった。でも仮にヘルニアであったとしても、痛みが取れれば手術の必要はないそうである。

いつも横になって行う背骨や腰を押されることがあり、でも背中で何が行われているか見えず、麻痺で感覚はわずかで押されるときに振動を感じていた。
それがこの日は、押されている間ほとんど痛かった。

いつも先生が距骨を抑え込むなどいろいろ行い、そのとき思いつきのイメージをやってみたが、この日はイメージの余裕がなかった。
どこかから痛みがあるかも・・と思ってしまったせいもあるかもしれないが、ふくらはぎ、太もも、足首に痛みがあった。

足首は、弱いかゆみのような後に、先生が足首より下を持ち右側に、足首より上を持ち左側にひねったとき痛みがあった。
このひねりは以前にも見たことがあり、自分の足の治療は難しさがあり、普通の足では起こりえない足のひねりが起きていて、今はその逆方向にひねりが必要なのだろうと思った。
今回はさほど痛くはなかったが、ここが本気で逆方向に動き始めたら、やっぱり痛みが出るのだろうか。

足関節の背屈は少しずつ良くなっていると先生はおっしゃった。

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坐位に徐々に自信?/雑念のない解答

2017-06-22 07:57:09 | 訪問リハビリ
今秋のリハビリでもイスに座らせてもらい、座るとすぐ右手はおろされていて、背中は左右どちらに偏っている感じはなかった。

首を左右に動かずことも楽で少し後方も見えたため、視界は240度位あったのではないか。

右手を左手で持ち上げたかったが、肩の動きが硬いと思った。

座面を見たとき、イスとベッドはちょうど同じ高さでくっついていて、陸続きのようだった。ベッドに移動できないのかなと感じた。
そう感じたのは、自分の上半身の安定感に自信を持ち始めたからではないだろうか。


午前に先生のリハビリがあり、午後は父にリハビリをみてもらった。

午前の先生のリハビリで残っていた感覚で印象的だったのは、座面に安定している上半身と、安定感のない下半身のギャップがはっきり感じられたことだった。
父にイス座らせてもらい、上半身は安定していたので、踵の下にスポンジを感じさせられないか試したくなった。踵は感覚は鈍く、感覚がわかり始めたら不安定なつま先立ちをやめて、安定に踵は地面におりるのだろうか・・・入院中にリハビリ療法士さんから伺ったのを思い出した。「感覚と動きは紙一重である表と裏の関係である」、とお聞きしたことを思い出しました・・・教えてくださったのは、このブログで最初にリハビリを診てくださった鈴木先生だったと思います。全体のどんな話だったかは何も覚えていないのだが・・・感覚がわかったら必要な動きが身体はわかるようにできてるのかな・・・なんだかそんなふうに思ってしまった。

3種類のやわらかさの異なるスポンジでは、一番硬いスポンジしかわからなかった。

正答率の低い、右足でのごわついたスポンジに触ることを行なった。
さっぱり答えがわかるようにならず、父もうんざりしているんだろうな・・・
自分でもやり方を変えたいと思い、中里先生から教わった方法で試したらいきなり3問続けて正解した。スポンジが身体に触れたら即スポンジが触れた場所を解答するのである。
何だか直感で答えているみたい・・・と思ってしまうが、でも頭の中では答えに辿り着くのに、雑念がない答え方ではある。

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マヒの手の指から脈拍を感じた

2017-06-19 11:54:42 | 日記
てっきり私はマヒの手から脈は弱すぎて脈拍数は測れないと思っていた。

暇な透析へ向かう送迎車の中、イメージでマヒの右手の指、開けないだろうかと思った。
目を閉じて、左手でゆっくり右手の指を一本ずつ手のひらからはがしていく。
でも中指だけは、ちょっとはがしたしたら抵抗される。
そして左手で持っていた右手の中指の第一関節を弱く持っていたが、脈を感じた。

強く指を持ったら、マヒの右手の指でも脈は感じられるかもしれないとは思ったが・・・

このとき感じたのはイメージの世界のはずで、自分が力を入れた気がしない。
マヒの右手の緊張している指をもっただけで、イメージの世界だと拍動を感じるらしい。
普段、右手の指を持っても拍動を感じないのである。

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強烈なふくらはぎと足首の痛み

2017-06-16 11:20:16 | 日記
最近のリハビリは、先生週1回、父多くて2回。
あと夫に時々お願いする。。。
透析後は最近とても疲れるため全くリハビリを行なっていない。

今週は食べ過ぎで腸の調子がおかしかったり、ふくらはぎの痛みが続き、せっかく父がやってくれるリハビリは自分の感覚で答えるものだが集中力を欠いていた。

痛みっぱなしではないが、日中や夜中に痛みがある両足のふくらはぎ。
今は痛いというか違和感が強く、どうにかしたいがどうにもならない。

今ある違和感とは、麻痺でわからなくされていた、自分が脳出血を起こしたときから持っていた感覚なのかな。自分は麻痺になり、健康ならあり得ない恰好で痛そうでも痛みを感じずにきている。でもリハビリを行うことで、少しずつ痛いはずだと気づかせてもらっている。



脳出血で痛みある不都合な格好を起こしている身体と、それを支配している私の脳。
このブログは透析中に書いていたが、ふくらはぎが痛くなり、足首も痛くなると痛みがひどいため、書くのをやめた。
脳が怒って書けないように痛みを出したのかと思うほど、強烈な痛みはしばらく続き、時折嘘のようにしゅんと痛みは消える、書くのをやめても痛んだり消えたりが続き、私は疲れでゲッソリした。痛みの原因は透析ではないし、どうすれば痛みが和らぐかわからない。
でもこれ以上の痛みの我慢は無理だろう、透析スタッフに左に寝返りさせてもらった。気がついたら透析は終了、早くこうすれば眠れたのかな。

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ふくらはぎが痛み出した

2017-06-14 12:47:52 | 訪問リハビリ
リハビリで、椅子に座った。
もう上半身がぐらつく心配はないが、右手は少し緊張して持ち上がっていた。

上半身は安定しているのになんでだろうと思った。
変だったのは、背もたれにくっついている感覚は、妙に左半身だけ強く感じていたことだった。
自分の体重は左に偏っているのだろうか。
両足は、先生と父によって固定されていたせいだろうか、右半身も完全ではなかったが徐々に背もたれにつく感覚がし、そのせいか、右手は腰近くまで下りてきた。

先生に言われて左右を見たりして首を動かした。
怖い感じは特にしなかったが、左側に首を動かすことに若干抵抗を感じたというか、あえてたくさん動かないようにしていた。

先生は、左手で右手をもち上げるようと指示した。
これは難しかった・・・右手の手首や肘を持っても、右手は硬すぎて動かなかった。

先生は、私の右手の折曲がっていた指を開いた。完全に開いたわけじゃなかったが、手のひらにくっついていた指はしばらく離れていた、

この首や手を動かす最中も、自分は楽に座れている・・・という実感があった。
上半身が不安定であるときの座位は、身体全体は緊張してできるだけ動かずじっとすることで精いっぱいだった。


夜に両足のふくらはぎが痛くなり2時間くらい眠れなかった。
リハビリのあった夜に数時間足が痛くなることは、通院してリハビリを受けていたときにも今まで何度かあった。
でもいつも痛む場所は特定できず、足がなんか痛かったのである。
痛いのは嬉しくないが、場所の分かった痛みは、どこが痛いのかわからないときよりも、何か痛みはそのうち消える感じがしていた。

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中学の頃の友人3人が遊びに来てくれた

2017-06-12 11:44:07 | その他
昨年6月、小学~中学の友人が元気な息子さんを連れて遊びに来てくれた。 昨日はその友人が、中学の頃からの友人2人と一緒に遊びに来てくれたのである。

lineでつながりはあったが、実際に会うと、見た目は皆変わっていない。 不思議だが、中学の頃の感覚に戻るせいか、自分が若返るような気がした。

友人3人共、外で働いていて、いろいろと経験していることがわかった。 会話はまた筆談で迷惑をかけてしまったが、でも昨年遊びに来てくれた友人は「うちにあったから・・・」と小さなホワイトボード持ってきてくれていて、筆談なんて面倒だと思うのに有り難いことだと思った。

脳出血で倒れていなければ、おそらく自分も会社で働い続けていた気がする。 その状態で、中学の頃の友人3人に会うことはあったのだろうかと思ってしまう。 中学卒業後に会ったのは、結婚式だけだったと思う。

少なくとも現在の自分ほどSNSを利用していなかった気がする。
私はSNSからは、知識的な情報を得ることにほとんど使っていたと思う。
また会う約束をした。 

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家族によるリハビリ 触った場所とは違う場所を感じてしまう問題

2017-06-09 11:26:14 | 家族によるリハビリ
右足だけ行ったリハビリで、父にお願いした。

右足はどこを触ってもわからず、触るのは、指、ボールペンはだめで、ケーキを買ったときについてきた小さい保冷剤だと、股関節、膝、足首が触られている区別はついたが・・・

正直なところ、凍っているものを触れさせなければ、どこを触っているのかわからなかったのはショックであった。

触られている場所がわかっていない。
2箇所触っている。2箇所のうち1箇所を感じている自分で感じたものがあるのに、意味がないのか?

自分が感じたものが全くないわけではない。

正しい感覚を知りたいから、感覚を回復するリハビリにおいて、間違いを起こしている場所を修正したい。

自分の感覚を左右するのはやっぱり何を使って触っているかだろうか?

父が選んだごわついたスポンジに変えると、自分が感じるものは、痛み、過敏反応、違和感
などに変わり、記憶しやすい感覚ではあった。この感覚であればかなりどこを触られているかがわかった。

触られている場所がわかっていないときの方が正常な感覚であったように思える。

でも考えてみれば、右足はかなり重症な感覚障害にあった。
触られている場所がわかっていないときの理想的な感覚が感じられるわけがない気もする。
ごわついたスポンジの感覚が現実だった。

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リハビリ時間は短かったが、私はびっくりした

2017-06-07 11:10:59 | 訪問リハビリ
昨日のリハビリは、最初に「家族によるリハビリ」で困ったことが起きたので、その相談で時間をとってしまった。先週試しに右足全体の感覚を確認をしたら、感覚がよくわからないどころか、スポンジでこすると、実際は膝であるのに足首に感じていることがあったのである。今まで感覚のうすい場所に2,3個のスポンジを使って感覚を回復させようとしていた。でも自分が予想していない場所でスポンジを感じていたことを知ったので、正確な1箇所にあるスポンジの場所がわかるリハビリ方法を知りたくなったのである。


先生がおっしゃるには、場所を特定する目的であれば、今使っているスポンジより硬いものであったり、感覚がわかりやすいものを使ってもいい。
2個所を感じることができれば、2箇所の距離を縮めていくことで2箇所の感覚をキープしていけば、やがて2箇所は1箇所に近づいて、限りなく「1箇所の場所の感覚がわかる」ことになるのかな。

リハビリ中、私は何かしたかったが何もしていない。
あるとすれば、アキレス腱を伸ばしたいと思った。

明らかに左足のふくらはぎが何かで下から膝へ向かって引っ張っていた。
すごく痛かったので、母を呼んで、ひらがな50音ボードで痛みを伝え、先生には「距骨を押さえる動作の次にふくらはぎが痛む」ことを伝えた。しばらくして痛みはおさまった。

びっくりであった。。。

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意識と集中

2017-06-05 11:25:27 | 日記
今までリハビリでたくさんやってきた目を閉じて行なう「感覚の課題」。
今朝透析へ向かう送迎車の中でふいに、「感覚の課題」は感覚に集中させたいから目をつぶるんだよね・・・と思った。
私は耳が聞こえない分、集中しやすい環境にあるのかなあと思った。
訓練次第で本を読みながらリハビリにも集中・・・なんてことができたりして・・・
常に聞いていないということは、人とは違う注意の仕方ができる許容範囲みたいなものが増えているのかも・・・
それは難しそうだが、目を閉じなくても視界の情報を意識的にある部分ブロックして壁でイメージを見ていたことが先週のリハビリであったなあと思った。

送迎車の中で窓の景色をぼんやり眺めて、開いていた左足をまっすぐにしてみようとした。思ったより楽に左足はまっすぐになっていた。これって他にも使えないのだろうか。
寒さや疲れがあると口を閉じることができず唾液が流れるのは困っているが、集中次第で唾液止まっているので、その時は口は閉じていると思う。透析開始前の移乗ではいつも緊張があるのだろうか口は閉じることはできない。でも今日は口は開かなかった。
自分はわかっていない集中の仕方とは?

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読む本を選ぶ行為/「ブッダと法然」

2017-06-04 09:56:03 | 読書
読みたい本はいっぱいあるが、私はマヒの手はページをめくるには少々面倒があり、紙の厚みがないとめくれなかったりする。
そのせいか、読む本はどうしても前提としてページをめくりやすいものに限られているなあと感じる。

大抵、本の筋書きをネットで読んで選んで購入する。紙の質はわからないから、本の写真で決めてはずれることも・・・
選ぶ本は、読みたくもあり必要があると思っているはずのものだった。
文庫本だが本の題名を見て、透析スタッフの方は「難しそう・・」と言った。
考えてみると、自分でもつまらなそうな題名だと思った。「ブッダと法然」。
ブッダと法然のそれぞれの生涯は似ているところも多く(生まれた月日が同じ)、片方の親を早くに亡くしていたり、出家の背景など対比して綴られていており文章は難しくはなかった。

2度目の脳出血で入院中に、テレビでNHKでブッダのことが放映されるらしいと知り、NHK教育テキストが販売されている番組だったため購入して詠んだ。
このときは、なぜそのような自分が興味を持ったことのないものを読みたくなったのかさっぱりわからなかった。

認知神経リハビリテーションはリハビリ療法だが、イメージを採用しているときもあって、イメージするときには頭の中を真っ白にして、集中してイメージしたいものだけを「想う」。 もちろん、私はいつもこんなことはできない。 頭が眠たいときに便乗しているときにできたりするみたいである。 この状態は瞑想っぽく感じていて、よくわからないけどそれに関係ありそうな本を読みたくなったと思う。
「ブッダと法然」は、瞑想に触れてはいなくて、特に法然は社会の変動期に新しい考えの宗教の開拓者だったと記憶している。
そういう人が登場するのは、自然の摂理みたいなものを感じた気がした。


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