リハ1年経過 

2013-08-28 11:35:36 | 身体の変化の確認
リハビリ開始時点ではできなかったが、現在できるようになったもの。1ヶ月以上経っても変化が持続しているもの。

1. 足首の動き(背屈底屈、左右、内旋外旋)が出た(左足ほぼ完全、右足背屈底屈のみ)

2. 右手の強い肘の屈曲がすぐに伸びて楽になる

3. 右腕全体にやわらかみがでる、固く閉じていた手のひらが、リラックス時に開きはじめる

4. 車イスやシャワーキャリー乗車時、フットレストから落ちた足を元に戻す(左足)

5. ベッドから外にはみ出した足をベッド内へ戻す(左足)

6. ベッド上で曲がった足をまっすぐに伸ばす(右足)

7. 入浴にて。背中、つま先、右手のひら、左手以外の身体を洗う

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20130827 ねじれ

2013-08-27 13:30:18 | 通院リハビリ
先生にお送りしたメールの内容が今日のリハのテーマだった。
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訪問看護師さんから、リハビリの先生に聞いてみてほしいと言われたことがあります。
先日排便時に、いつもならベッドからトイレへ移乗するとき足に力が入るのに全く力が入らずそのままの状態で座り、座った姿勢がすごく悪いときがありました。その時の姿勢は、上下逆方向にねじれてることが外から見てはっきりわかったそうです。先日は座っていると腰が痛くなり、排便も終わっていたのですぐベッドに移乗しました。一旦座ってしまうと直せないですが、直す方法はないか?という質問です。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
先生は「ねじれている感覚はあったの?」質問され、覚えがないと思っていると、先生は「ねじっているのは自分自身。自分がねじれているとわからないと姿勢は直らないかもしれない。外から姿勢を直そうとすると抵抗されるのでは。」とおっしゃった。
直すには自分の身体がねじれていることを本人にわからせるように、身体をさわったり動かしたりする。実際に電話で、看護師さんに先生が説明してくださることになった。
 
私は身体が「ねじれ」を起こしていても感覚がわかっていないようなので、上半身をひねってもらうと、これは腰から上を持ってひねられたのだが、感覚としてはっきりわかった。
今日、びっくりするほどわからなかったのは、首から上の動きだ。私は左右に顔を向けるとき、顔を右肩に倒していることが自然であることがわかった。言われたように

女性の首から上の写真が何枚か置かれていて、指さされた写真と同じ格好をする課題だったが、左に顔を向けているつもりでも、先生にさらに左に向けるよう動かされた。右に顔を倒した状態では、顔を左に向けづらく途中までしか左を向くことができない。
私は、僧帽筋と胸鎖乳突筋(触ったが硬かった)に異常が起きているようだった。説明を忘れてしまった。。。

今まで私はずっと顔を右に傾けていたのだろうか。食事やパソコンでタイプするときなどに、気がつくと倒れている顔を持ち上げることをはじめたのはつい最近である。それまでは顔は気付かず倒れたままだったのか?もしそうだとしたら・・・ほとんど顔は倒れっぱなしではないか。気が付かないことはちょっとこわい気がする。自分が思っている自分と実際の自分は、だいぶ違っていたのかな?

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放散反応について

2013-08-26 14:00:10 | 放散反応
今月でリハビリ開始後1年。リハビリに対して感じていること、特に放散反応について考えてみた。

なくしたい放散反応
私の場合、食事(咀嚼中)や歯磨き、料理などに足をばたばたと赤ちゃんのような動きで動かし続ける。無用な動きである。ただでさえ体力がないというのに。なんでだろう。なんて考えてもわからないのだが。たまたま食事中に放散反応が止まっていたときがあり、フットレストの上でたまたま足がぴったり置かれていたときだった。そのとき心がどうだったかおぼえてないが、リラックスして身体の動きが停止したときに放散反応は起きていなかった。マヒの身体は不安定状態で、落ち着いて停止することが難しい気がする。

放散反応は注意を向ける(見たり気にかける)ことで弱まるらしい
去年、中里先生からアドバイスを受けた「何かに夢中になって右手が持ちあがったら右手を見るように」。放散反応を止めるのに関係がありそうなリハビリだと思い、実行してみた。途中から右手を見ずに右手の存在を感じることで右手は持ち上げた手を下げることもみられた。
このことをやりはじめて、退院後に楽しみにしていた料理作りがやりたくなくなってしまった。料理の動作はけっこう力も必要で繰り返し動作も多い。現在の私がこれを行うと、放散反応増強訓練に思われた。私はこんなことまでして料理をしたいとは思えなかった。今はたまにやる程度にしている。やるときはいかに放散反応を鎮めるか試している。なぜこんなことをしているのかは、理想的な身体の状態(放散反応起こさず楽に)で料理をしたいからである。現在は調理ではなく、調理は親にお願いし、献立を考えることに関心を持っている。コレステロールが高い夫のメニューをかんがえている。趣味の変更。。。



放散反応は注意を向ければ弱めることが可能らしい。またしばらくよく放散反応を起こしている身体の部位を完全に無視すると、よく注意を向けていた期間に比べて、そこは遮蔽されたように自分の身体とは思いづらくなった。


よい身体の変化があっても一時だけだったりする
今年はじめ頃、いつも動けばぎゅっと曲がっていた右手はくたっと力が抜けてまっすぐになったときがあった。
右手の放散反応が止まったか?と喜んだが、右手への意識が向けられていないせいか、現在は右手は軽く力が入ってしまっている。右手の放散反応だけに注目した場合、がっくりくる。でもわずかな変化だが、最近曲がった右手が肘を伸ばす方向に動きが出てきて、ちょっとびっくりした。
身体の動きをそのものを治療しているという、今行なっているリハビリ。
はっきりしていることはトータルな目線で自分の身体をみたとき、じわりじわりと確実に「よくなっている」。「後退」「変わらず」ではないので、自分が変わるおもしろさがある。

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