立位 再び

2014-12-31 21:25:37 | 日記
大晦日の今日、夫は年末年始毎年そうなのだが、実家に行く。結婚後は私も片マヒまでは一緒だったが、両マヒ寝たきりになってしまうと行くことはできない。

今日から夫が帰って来るまで、また父がうちに泊まってくれた。
ちょっと疲れていたので、立位のときに父には手を離して、とは言わなかった。
透析がない今日は、立つことが楽であった。立位の機会が増えて、徐々に気が大きくなっているみたいで、父が手を離せば倒れるが、地面は近くて、骨折はしない気がした。
父にしっかり支えられているので、つま先立ちをなんとかしたいと、踵に体重をのせようとしたが駄目だった。踵にストンと体重がのれば、ふくらはぎはこんなに緊張して疲れることはなくなりそうだ。両足を楽にして立ってみたい。

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聞き耳を立てる

2014-12-30 11:14:00 | 聞こえ
聞こうとして聞こえない。素人の考えでやってうまくいくなわけがないのは当然ではある。確かそうなのは、聞こえについて、感じた微々たる変化、本当に自分で気づいたのか気のせいなのかわからないものについて考えるみる?

聞こえに、たとえ変化が起きても、わかりにくいのではないか。
昨日を思い返していると、気になることがあった。夫は怒る時は筆談はしない。でも私の頭には、夫がしゃべったことが残されていた。自分が知っているはずのない内容だと思った。夫の声の記憶はなかった。確認すると、確かにしゃべったという。声は聞いたはずなのに、その記憶はなく、話した内容だけがはっきり記憶されていた。口の動きを見てわかる内容でもなかった。しゃべる内容を予想していて、聞き耳を立てていたのか?

片マヒのときに書いた作文で、失語症であったのに、夫との口喧嘩で、ある日よどみなく自分の言葉が出たことを書いた。今回もし本当に夫の声が無意識に聞こえていたとしたら、今回も喧嘩の最中のことであり、感情が揺れ動いているようなときは回復が起こりやすいのかもしれないと思った。

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上手に座れないひとのためのスライディングボード手順?

2014-12-24 12:34:30 | その他
私は普段、ある程度力のある介助者でないと、ベッドから車イスへの移乗は少々怖かったのだ。ある日、TVの介護現場で、ヘルパーさんが「これは楽ですね!」と言いながらスライディングボードで移乗を行っているのを見た。

私の日常生活において受けている移乗は、ベッドから解放される、重要な介護の1つである。さっそくこのボードをレンタルしたが、当初はうまく使えなかった。付属の説明書には、体幹不安定でも使用可という言葉は見当たらず、無理かもしれないなと思っていた。ネット上の情報でも、体幹不安定な患者がこのボードを使うには工夫が必要であるとあった。

力の弱い母が使ってみたが、バランスを崩し私が落ちそうになると、そういうとき体勢を戻すのにかなりの力が必要そうだった。
ところが紆余屈折あっが、母がこのボードを使えるようになった。ボードで移乗が楽になるのなら、ヘルパーさんにもぜひ使ってもらいたい。ヘルパーさんがいらっしゃるとき、親が見て確認した。父はデジカメで撮影していたのを見て、説明を作りこれもヘルパーさんに見てもらった。
スライディングボード手順
しかし、簡単に思えた説明だったが意外と難しかった。しかもこの手順を読んでできたヘルパーさんはひとりだった。そのヘルパーさんはできていたが、手順を読んでできたわけではなかった。要は説明は読みづらかったのだろう。手順は参考で、毎回移乗のやり方が微妙に違っていた。それを「なるほど・・」と移乗されている私の身体で感じるときがあった。

ヘルパーさんは常に臨機応変なのである。

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重すぎる右手

2014-12-23 14:50:16 | 日記
ちょっと疲れているなと思っているとき、左側を下にして寝ると至極の幸せを感じる。普段は左側を下に長く寝ることができない。昨夜はたまたまこの左側を下にする楽な格好で熟睡できた。
ところがとてつもなく思いものにつぶされている自分に気づき目が覚めた。左側を下に熟睡しまったようなのだが、重い右手で自分の顔などが押し潰され、右側へ寝返りができない。サイドレールを押して、自分の身体の位置を変えられない。徐々に自分の右手の重みでつぶされていき、ウ~ンと恐らくうなっていたのではないか。夫が右に寝返りさせてくれて助かった。
 
あとから考えてあり得ないことだった。自分が自分の1本腕の重みでつぶされる。でもこれは過去に何度か起きていて、夢ではなかった。左右どちらも経験があった。これは片マヒで経験がなく、そのときは左右どちらか一方ばかりでずっとで寝ることはなかったからかもしれない。
シャントがある右手では、右側を下に熟睡してしまい、シャントの血管に狭窄を起こしてしまったのではと思うときもあった。今も右の寝返りは無意識でも起こらないようにしたいが、意識あるときにはやらないようにしていて、右の寝返りはやらない癖がついた気がする。

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調子がいいときの立位の確認

2014-12-21 22:59:09 | 日記
土曜日は入浴日で、この日は立位は楽ではなかった。
翌日日曜日は、夫が泊まりで父がうちに泊まってくれた。
昼寝をしている最中に父が来た。目を覚ますと足が落ち着かなかった。両足を思いっきり曲げると幾分楽だが・・・考えたら足はなにかを蹴飛ばしたいらしかった。ベッドのサイドレールは上半身側の左右だけだから蹴ることは無理だ。足の落ち着かなさで、しぶしぶ気休めに車イスへ移乗してもらった。
車イス上では、足の落ち着かなさはなくなっていた。

寝るためにベッドへ移乗してもらう。父はこのときはよく立位の練習をやろうと言ってくれる。でも父が介護に来てくれるのは、透析終了後。透析直後はひどい空腹だし、身体を動かすパワーは感じられない。ベッドへの移乗では、ひきずられているようで、やる気がない。

今日は日曜日で透析が終わったのは一昨日。立位もやりたい気分で、父にお願いした。
やはり。爪先立ちだが、痛みもなく楽で、父は軽く支えていたと言い、私は父のシャツをつまんで立っていた。

翌朝、透析前にどうしても立位で支えは必要ないんじゃないかという気がして、感覚を確認したくなった。私は父の肩につかまって立った。昨夜同様に立ち方は安定している。でも自分の身体を支えている父の手の感覚があるかどうかはっきりしなかった。

立位後、父は「自力で立ってたよ」と言った。
父もはじめてのことだと言っていた。
私: 移乗途中に手を離すのは怖くなかったのか?
父: 足がしっかり立って入れば大丈夫だった。
私: しっかり立っているとはどうわかったのか?
父: 足がぶるぶるしていなかった。

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感情の変化が動作にあらわれたのか

2014-12-18 20:31:26 | 日記
今日は入浴日。入浴後はいつもポメラを打っている。今日の内容はこうだった。

つかまり立ちは、大抵足が痛くて不安定で、はやく止めたかったのに、今日はずっと立ちたかったんです。理由がよくわからないんですが・・・もたれかかっているのが楽だったみたい。山口さんは楽じゃないですけど。

これを読み、ヘルパーの山口さんのコメントは、

一人でつかまり立ちしたのではないですか。足はしっかり立っていましたよ。

というものだった。私はヘルパーさんの支えなく立っていたのだろうか。本当なら嬉しいけど、理由は?
地面にべったりと足裏がついた記憶はない。確実だったのは、足い痛みはなく安定しているので、ずっと立っていたかった、それともたれかかることに心地よさを感じていた。そういえば、いつもヘルパーさんが力持ちで本当によかったと心の中で恐怖心で、入浴後シャワーキャリーから車イスへ移乗してもらっていた。今日は移乗中に左足だけ立とうと床に足をつけ、床の感触は覚えていた。

自分の感情の変化で、臆病さが払拭された気がする。

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自分で作りたいが・・・クリスマスケーキ

2014-12-17 13:28:18 | その他
自分では力がなく作ることができないクリスマスケーキを父に作ってもらった。

お菓子作りは、手間も時間もかかる。
実際時間はかかるが、準備期間を作って、ポメラやジャスチャーを見てもらうことでできそううな気がした。
週3回父に夕食をお願いしているが、夫が飲み会で夕食が不要になり私の夕食は残り物でよかったり、お弁当を買ってきてもらうことがあった。時々あるこの日、父にケーキ作りに挑戦してもらった。
ケーキ作成の工程は、4つに分けた。(フルーツを洋酒につける・30分位/焼き型にシートを敷く・15分位/材料の計量・10分位/混ぜて・30分位、焼く・40分) 11月終わり頃から準備を始めた。

作ったケーキは、ダークフルーツケーキ。クリスマスは忙しいので、クリスマスよりも前に、洋酒に漬けたドライフルーツを混ぜた日持ちするケーキを作っていた(そうである)。

ケーキの中に入れたのはくるみと、ラム酒に約半月漬けてちょっと膨張したドライフルーツ(レーズンとりんご)。焼きあがったらラム酒を刷毛でぬり、冷蔵庫へ入れた。
冷蔵庫から出して、切り分け、味見をした。(写真は2切れ切ったとき)感想は・・・私「(かたいけど)高級そうな味」。ラム酒やいろいろなスパイスが入っているので、そう感じただけである。父はニコニコして食べていた。温めたらやわらかくなりそう?である。

写真でケーキがチョコレート色をしているのは、モラセスというシロップが大さじ2杯入っているためである。はじめて購入し、わりと粘性がある黒っぽい液体だった。においは黒蜜、なめれば寒天にかけたくなる味。製菓コーナーなどにある、もっとさらっとした黒蜜に、味と香が似ていた。


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20141216 今年ラストのリハビリ

2014-12-16 23:34:39 | 通院リハビリ
先週は熱はわりとはやく下がり、今年最後のリハビリを休まずに済んでよかった。でも高熱は少なからず身体にダメージを残していたようだった。

リハビリ開始時の血圧は111。眠気も全くなし。先生とのやりとりに問題はなかったが、私が自分の身体のやりとりにおいては、問いがあって答えるべきものがすぐにはわからないことがあった。

座位のとき、また右足全体が痛くなってしまった。でも痛みを考えると、際立った痛みは足首から下とお尻から股関節だった。

立位では、怖いとは感じていなかった。立たせてもらっていながら、ふと、今行っているリハビリは何だろうか、知りたくなった。自分は立たせてもらっているが、自分で立っている気がしないし、今の状態はいいものか気になった。

でも先生の説明でわかった。
私は今まで立たせてもらうことが怖く、足もひどく痛かった。立たせてもらい、これらを治すことが治療だったのだろう。

ふつう、立つときは怖くもなく、自分の意志で立っている。足が立位で痛かったときは、足の感覚そのものが非常にわかりづらかった。今は立位で怖さも足の痛みもなくなっている。

私の身体の負担はゆるやかに回復へ向かっていることを感じている。

帰宅後、いつもと違う疲れ感があった。頭は起きているがやる気がなく身体の眠気が混ざったような・・・(自業自得の)徹夜後の試験が終わったときに似ていた。


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体温感覚

2014-12-14 18:19:40 | 日記
夫に投票に連れて行ってもらった。午前中に出掛けた。厚着したつもりだったが、車イス上でじっと動かずにいると、徐々に寒くなってきた。風はほとんどなかったので、日向はちょっとだけ暖かかった。投票所は混んではいなかったが、投票者が必ずいるような状況だった。

私はいつも選挙管理委員さんに代理投票をお願いしている。郵送での投票を最初考えたが、自分の目で投票されるのを見るのは現実味があるから。

帰宅後、「冷えた~」と感じ、暖房の近くにいたり食事をしたが、身体が温まった気がしない。温まりたいので、布団をかぶって寝てみた。
知らないうちに2時間程寝てしまったが、目が覚めると、今度は少し汗をかき身体が熱く、頭がぼーっとする。寒いのに出掛けたから、折角下がった熱なのにと思い、しぶしぶ熱を計る。36.8度。布団からでて結構時間が経つのに身体が猛烈に熱い体温は高くない。汗をかいて少し熱が下がった状態なのだろうか。それにしても38度あったとき熱いとは感じず、布団をかぶって寝たことで感じたあたたかさを高熱のように感じる自分の体温の感受性は、よくわからない。

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熱、その後

2014-12-13 10:33:23 | 日記
透析で熱が出た翌日の朝、36.3度で平熱に戻った。夜も36.4度。熱は下がったみたいだ。

高熱でも昨日は頭がすっきりしていておかしいことは確かだったが、夕食を食べる時はいつも以上にこぼしながらであったので、自分の脳をコントロールし難くなっていたのは高熱のためだと思った。

ペレックス(後発薬)を飲んだおかげか、鼻水や咳も止まっている。もう2日間飲んでみよう。顆粒でひどく苦い薬だけど。ほんとに良薬口に苦し・・・

今回退院後はじめて高い熱が出た。微熱はしょっちゅうで、私は高熱を出す体力もないのだろうか、と思っていた。

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