リハビリスタイル

2017-03-29 13:44:50 | 考える
ツィッターを読んでいて、真面目にリハビリをやろうと思った。

リハビリをやらなければ脳出血後の私の身体はかろうじて動いている動きもなくなるだろうと感覚的にはわかっていても、文で言われると目が覚める。

【リハビリ】脳血管障害を捉える上で注意すべき”運動の悪循環”とは?


実際に読んだのは、リハビリ療法士さんのリハビリの介入についてで自分にはほとんど関係はなかった。
でもどうやってリハビリをやるべきか、どう考えるべきかさっぱりわからず悶々としていたが、そういう自分にはこの文が言うリハビリのバリエーションはすうっと頭に入ったようなのである。

自主トレをやり、訪問リハビリを受けることは、リハビリ生活だと思うのに、なぜか無味乾燥に思ってしまうのかと思っていた。

ツィッターで読んだ文には、脳出血後に動かなくなった身体をどう動かすかのヒントがあった。

動かない身体にいろいろな動きを課するのである。
反復な訓練では1つの動きしか身体は覚えてくれない。
身体にできてほしいのは、臨機応変な動きなのである。

自主トレで行う課題は、ブログに書いただけでなく、片マヒのときにやった課題(リハビリレポートHP)のうちできそうなものも家族にお願いしてみる。行なう課題では種類が多い程、頭でたくさんイメージすることで、頭でいろいろ動く自分を構築できないか。動けない私は、イメージの中で様々な動きを経験すると思う。
訪問リハビリは、療法士さんは必ず私の身体に触れるから、いつも違うことを感じられるように、感覚を研ぎ澄ませることはできないか。

ギリギリになったが4月以降の自分で行うリハビリはこのようなものかもしれない、ということがぼんやり見えてきた気がする。
飽きることないリハビリメニューを、素人だが作ってみる。

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BUN

2017-03-27 23:06:21 | 透析
昨日日曜日は、おやつの3時の時間に、頂き物のチョコレートを食べた。

もともとチョコレートは大好きだが、妙に味も香りがはっきりわかっていつもよりおいしい・・・
原因は最近の食欲だと思った。

透析患者が食事が摂れているか、血液検査でBUN(尿素窒素)の値を見ることが多い。BUNはたんぱく質が分解されてできる物質だからだ。先日、この値が退院後、一番高いことがわかった。BUNは80以下がよいとされているが、80に近づきそうである。

ちなみに私は玄米が好きなのだが、玄米には白米より透析患者が制限するリン、カリウムを多く含んでいる。肉(のリン、カリウム)を食べる量を減らして玄米を食べたりする。そういうときは、BUNの値は低くはなるが、体調は良い。でも肉などからのたんぱく質不足はたぶん良くないだろう・・・

これから自分のリハビリをどうやっていくか決められていない。ちょっと不安な自分とは無関係に身体は元気に思える。

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記憶からイメージできそうな気がする・・・

2017-03-24 13:23:20 | 考える
年末のブログで「記憶からイメージ」ができたらいいなと思った。
最近昔の記憶は思い出しやすくなってきたから、自分の身体が動いていたときの記憶も思い出せて、本当の動きに結びつけるために脳内で試しに動いてみる・・・そんな事ができたら・・・ 
ブログを書いた3日後くらいの寝る前に、目を通して身体が動いている自分を思い出そうとした。いっぱいありそうなのに、1個しか出てこなかった・・・しかもイメージとはちょっと呼べそうになかった。

頭の中で自分はブランコで立ち漕ぎしていた。
頭の中ではそれっぽい映像はあったが、手など上半身のイメージはなく、股関節、膝関節、足首関節だけが映像の動き・力の入り具合が一致していた。

それにしても自分でまず思いつかないものが頭に現れたので、ちょっとびっくりした。
ブランコが前進するときは、妙に膝を折り曲げていた。加速するときは、膝を曲げて体勢を低くしたのかな。 ブランコを思い出そうとするがよくわからない。 たぶん自分は身体が動かせなさすぎで、どうやってブランコに乗ることができたのか、具体的には想像はできないようだ。

ベッドに横になり、頭に自分がブランコを漕ぐ映像があり、股関節、膝関節、足首関節から映像に合わせた感覚があったのはイメージっぽい。 「記憶からイメージ」は、自分の記憶から自分の動けそうな部分だけがイメージで取り出せるのではと思った。またやってみたい。


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自分が見えない

2017-03-20 11:06:59 | 考える
以前は髪のカットは訪問美容と和にお願いしていた。
訪問美容と和は、巣鴨にコニュニティサロンと和という美容室がある。 最初は時々サロンに出かけカットをお願いしていたが、今は毎回夫付き添いで、送迎車で連れていっていただいている。
大抵は3か月に1回ペースで、通常なら昨年11月カットをしていただいたので2月に予約するはずだった。でも体調が悪く今回のように髪は伸び放題になることもある。 昨日出かけたが、日陰は寒かったが、サロンのある地蔵通りはあたたかく感じた。

自分がどんなイメージのヘアスタイルになりたいか、ネットで探して、候補が2つが残った。 いつも思うのは、ヘアスタイルを見てるつもりでも、モデルの人の印象がいいとヘアスタイルをがよく見えて自分に合うかわかりづらい気がする。 

1つに決まらないからスタイリストさんに似合いそうな方を選んでもらおうと思った。
スタイリストさんは、「どちらも似合いそうですが、こっちはかわいいイメージ、こっちは大人っぽいイメージがしますね。」とおっしゃった。

自分がなりたいイメージがなかった・・・
というか、どっちを選択しても、気恥ずかしいと思ってしまった・・・
そんなことを考えてしまったのは、自分の理想の自分が見えていないせい?
今までスタイリストさんと何度もやりとりはあったはずなのに。
美容って、自分がきれいになって性格が明るくなるなと思っていた。
スタイリストさんの何気ない問いかけで、自分は自分をどう考えているか見えてしまうことも?私の場合、図星だったような。。。
自分の在り様を決めたいのである。リハビリ生活のことだと思う。せっかちなだけかもしれないけど・・・

巣鴨のお土産。子供っぽい?お地蔵さんの飴、ブルーベリーの寒天、マンゴーorアセロラのスティックはちみつ。
地蔵通りで買い求めて、自宅でパッケージしたもの。お地蔵さんの飴は意外とかわいい。



コメント (2)
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人が涙を流す意味への気づき

2017-03-16 17:42:43 | 考える
今日はシャワー入浴日だったが、ヘルパーさんがいらっしゃると、私は泣いていた。
ヘルパーさんはびっくりされてこちらを見ていたが、私も最初はなんで泣いているのだろうかと泣いてる本人もびっくりであった。デイケアサービスの入浴にヘルパーさんが訪問されただけでは、泣くとは普通考えられない。メソメソではなく、しっかり泣いていた。まるで子供である。

2度目の脳出血で入院しているときには、意味不明だが泣くことがよくあった。
泣くのは悲しいわけでもなく、疲れるだけだった。
自分の脳は相当壊れているらしいと思っていた。

ヘルパーさんに身体を洗っていただきながら、自分はどうして泣いていたのだろうと思った。
玄関から部屋にヘルパーさんがいらっしゃると、暖かい空気も一緒に入って来たのを感じていた。
そしてほっと安心して気が抜けてしまったようなのだ。

でもこれはすぐ気づきそうなことなのにわからなかったとはおかしい。
思い返さなければ、無意味に泣くのは脳のせいと片づけるところであった。

意味もなく泣くことは何度かあり恥ずかしい思いをしてきたが・・・

今日も同じことが起こったのか、と思ったが、泣いたときの自分を思い出したら泣く意味はあった。
泣くほどのこと?、という感じはあるが。。。
意味もなく涙を流すのは、私の場合、単に脳のエラーとばかり思ってきた。
感動したり、今日のように緊張が解けて安堵感を得たときにも涙を流すときもある。
痛い、悲しいときだけ泣くと思っていたがそうではないことに気付いたのかもしれないと思った。

涙もろくなってしまう、なんていうことがないといいが・・・






コメント (4)
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脳出血後のリハビリはイメージ?

2017-03-10 11:30:54 | 考える
今週で病院で受けるリハビリは終了してしまった。
2度目の脳出血前からお世話になっており、5年近くリハビリを受けることができた病院だった。
2度目の脳出血前に、病院の地域の方に中里先生が認知神経リハビリテーション(という名前は出てこなかったと思うが)による治療の仕組みについて公開講座があった。
私は病院の地域の住民ではないが、参加させていただいたのを覚えている。
そのとき副院長が挨拶されており、この方が認知による治療に理解があって私のリハビリ通院は可能になったのかと思った。最後に副院長にお礼がしたかったができず残念でった。

今後、リハビリの予定は未定だが、訪問リハビリを受けることになりそうで、ケアマネジャーさんにスケジュールなど調整をお願いしている。出張で、別の訪問看護から認知神経リハビリを勉強したことがあるが実際患者を診たことはない療法士さんにお願いできれば・・・と思ったときもあったが難しかったようだ。

これからは、認知でリハビリの家族よる自主トレである。
片麻痺のとき、リハビリの課題は家族にやってもらえそうなものが多いとおっしゃっている先生がいらした。家族が課題を思いつくのは難しそうだが、病院のリハビリで行ったことをまねることができるものは、たくさんあるのである。


最後に病院で行われたリハビリでは、課題で使うスポンジや麻の紐で作った文字などを張り付けたカードなどをくださった。
先生が課題のやり方を教えてくれて、自分でもやってみた。
見ずに先生に足を動かされたり、触ったり、まさに頭ではこの感じているものは何なのか、イメージを作ろうとしていた。

今までリハビリで行われてきたことの一部が見えたような気がした。
気づくのが遅すぎだが、身体を動かす前段階で、脳で行われる、これから動こうとすることをシミュレーションする「イメージ」。
最近のブログで、「イメージをしたい」なんて書いてしまったが、認知のリハビリを開始してから自分はずっと課題行うことでイメージをしようとしてきたのではないか。

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動かない私

2017-03-08 21:31:24 | 日記
今日ほど自分の身体、何とかならないものかと思ったことはなかったように思う。

マンションのエレベーターが故障で停止したため、透析に行くため、ドライバーさん、ヘルパーさん、たまたま休暇をとっていた夫、3人がかりで60kg以上ある電動車イスに乗った私を階段で降ろしてくれたのである。
透析が終わってもまだエレベーターは動いておらず、父が私を抱えて階段を上り、ドライバーさんが電動車イスを抱えて上って来てくれた。

左足1本足だけでも立てたら、杖でかばいながら一人で階段は降りられるはず。
今の自分はまるで自分の身体を使うことを放棄しているように思える。

ほとんどない知恵であっても、自分は動きたいなら、挑戦し続けるべきであった。




























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