3か月も休んでしまったリハビリ

2017-02-28 22:09:25 | 通院リハビリ
先週から再開したリハビリ。
昨年11月頃、それまで自分の血圧は何か高いと感じていて、130~140だしこういう日もあると思っていたが、150~160になるとさすがに無視ができなくなった。何がまずいのだろう?食事が特に変わった気もしないし・・・
でもリハビリ通院中に車内のニオイが気になり体調を崩したり、リハビリ後に血圧は下がることがほとんどだったが同じか上がっていた。
リハビリは休むべきかなと思ったが、休むだけじゃ回復する気もしない・・・
でもこのままではまずいとって休んでみた。先生にご心配をかけてしまったのだが。。。
 血圧を下げたかったため、食事の塩分を下げて味付けは甘さで満足、紅茶コーヒーは夕方以降飲まずよく寝る・・・続けたら1ヶ月経つと血圧は110台になるときがあった。
血圧が下げる方法は誰もが考えることだけで済み、血圧が落ち着くと体調が楽になった。
自分の体調の悪さは、リハビリで考えることを優先して、自分の身体で注意してきた血圧のコントロールがうまくいかなくなったのだろうか。
 体調が安定してきたため、2月からリハビリを再開する予定だったが、1月末に背骨の負傷で身体が動かせなくなった。
そしてようやく始まったリハビリだったが、来週で終了する。
病院の都合で仕方がないことである。
 片麻痺のとき治療を長期間受けることができたのは大久保病院であった。
発症から2年以上経過してから開始した認知運動療法は、ゆっくり自分の重度の右片麻痺の身体を変えていき、足の装具が不要になり、パート勤務が可能になった。
中里先生が大久保病院から別の病院へ異動されたとき私もその同じ病院で診て頂けることになった。
でも3か月後に変化がみられないこどでリハビリは終了となった。

片麻痺のとき大久保病院で3年以上お世話になり、両麻痺の今は現在の病院で5年ほど(2度目の脳出血の前にも後にも)認知神経リハビリテーション(認知運動療法)でお世話になった。こんなに長くリハビリを受けることができたのは稀有なことだったと思う。脳出血後回復期だけでなく維持期でも、合計8年目で受けたリハビリは、身体に変化を与え、回復に向いはじめた。
 現在の病院で受けたリハビリは、大半はこのブログに書いた。
失語症回復に向かわせたと思われるリハビリの言語化は、失語症からだいぶ回復した自分にはもう必要はないかもしれないが。。。
ブログに書いた身体の変化はリハビリを受けた結果と思われる。
自分の身体に残された、動かなかったが動くようになった身体や、なかった感覚を感じるようになった身体の部分の存在は、やっぱり嬉しくとても感謝している。
コメント (2)
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リツイートっぽいブログ

2017-02-27 11:49:26 | 日記
この方のブロクはたまに読ませていただき、難しいと思っていた。

でも今回の内容は、心イコール自分じゃない?みたいな書き出しでびっくりした。

4頭立ての馬車

心というものの考え方を変えたら、終わりのないと思われるリハビリについて、いい考えが浮かぶかもしれない。

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これもリハビリだったのかな

2017-02-20 14:13:39 | 考える
脳出血後は、年賀状は書かずに夫が宛名だけ書いてもらっていた。
絵と定型文のみの味気ない年賀状で、お年玉がついていなければ全く意味がない・・・

昨年12月に、友人に年賀状に書く文章がたくさんでてきた。文字は不器用な手ではまず無理あから、インターネット上で文字を入力すると、はがきサイズの中で好きな場所に配置できる便利なツールを使った。
それにしても・・・
正確には、友人を忘れていたわけではなく、会えば瞬時に戻る記憶だった。でも会わなければ全くリアリティのない記憶で、それが突然自分の中で機能し始めたように感じた。
時間が経つだけでこんなことは起こるのかと思ってしまう。
脳出血後10年以上で感じた自分の記憶の本物さを知った感覚。

気になることがあった。
透析中、若い技師さんが、話せない私に、いつも筆談に利用している磁気ボードに「お題」と私に見せてくれたことがきっかけだったと思う。「お題」の絵を描きますよ、という意味である。
私は頭に思いつくアニメやゆるキャラのあげていき、最初はそのうちネタは尽きるだろうと思っていた。1年以上続いていると思う。
技師さんは20代で、私は40代。
どの世代であっても見覚えのあるキャラクターをネット上やTVなどで見つけることがあったが、自分のかなり古い記憶にしょっちゅうアクセスしていたことに気づいたのである。
目的は誰でも知ってそうなキャラクターを、鮮明ではない記憶から「何か面白いキャラクター、ないかなー。」とアイデアを思いつく感じで探す。
その上面白いと思ってやっていた。

もし友人に年賀状を書きたくなった原因が、この自分はおふざけでやっていたと思っていた「キャラクターを思い出すこと」を続けていただったとしたら・・・
この「遊び」?を思いついた技師さんに感謝しなければならないかもしれない。。。

追記;
出題した「お題」の例:
ポケモン キューピー 食い倒れ太郎 ピコ太郎 リラックマ バザールでござーる ポムポムプリン シーマン フィリックス ゾンビ ぐりとぐら バットマン ファービー グリコのおじさん(1粒で300m・・)など

透析スタッフより出題、「お題」を思いついた技師さんに酷似?!・・・パタリロ

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あれ?痛くない・・・

2017-02-15 12:04:48 | 日記
先週の自分は、
身体を自分で動かしたり人に動かしてもらうことで背骨が痛かった。
座ることはもってのほかであった。
1/31に救急外来では私は腰が痛いなどと実際とは違う場所を痛いと言い、痛みに対し脳の混乱もあったようだ。
2/7に整形外科でレントゲンを撮るとき、背骨は移乗だけで響くように痛かった。。。体勢を変えるため腰のひねりが何度かあり、この時腰は痛みがないというより気持ちが良かった。おそらく自分ではできない体勢で自分でやりたいと思っていた体勢だったと思う。

今週の自分は、背骨の痛みが格段に回復していた。
先週の金曜日に、1週間以上背骨の痛みがあり骨粗しょう症でもあるため、透析の主治医によりエルカトニンという注射をしばらく週1回続けていただくことになった。
透析後、背もたれが倒れていて楽じゃないから一度最後まで上げてみてほしいと父に言った。びっくりした。この日透析中まであった痛みがなくなっていて、車イスに座れていた。
注射5~10回で痛みが和らぐ患者さんが多いそうだが、治りかけていたのではないかということだった。

嬉しくなって、父につかまる歩行練習もお願いしてしまった。やはり痛みは出なかった。
日曜日には、夫とチョコレートを買いに行くこともできた。

でも今週に入り、自分が取ることができない格好(極端に前屈みになる、極端に背筋を伸ばす、など)があるとわかった。全体的に自分の身体の動きは融通がきかない。すぐ動かそうとすると、かたく感じ痛くなる。しかしそのこわばったように感じる痛みは長くは続かない。動かされて拒絶反応のような痛みが出ても、動きをやめると痛みは一瞬でなくなる。

負傷した当初、3日間痛みに慣れさせようと痛い方に動かしていた。週3回透析での移乗の痛みに慣れておくためである。しかし痛みはよくなるどころか悪化している?、身体が動かしにくくなり、安静にせざるを得なくなり、移乗には必ず二人にお願いすることになってしまった。

今ある自分の身体の、臨機応変に動けず出るひどくはない痛み。
注射で回復がみられた痛みがあったのは1週間以上かかった。この間、身体が覚えてしまった痛み?なんてあるんだろうか。認知神経リハビリテーションっぽくつい考えてしまうが、今の自分は痛くはない動作を勝手に痛いと思ってはいないだろうか。

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整形外科受診

2017-02-07 18:16:14 | 日記
先週火曜日に背中を押されて起きた負傷?
今も痛みは変わらず座ることができない。
安静にした方が良さそうな気がしたので、車イスは以前に使っていたリクライニングに変え、常に背もたれは倒したままにした。

今週透析で痛みがとれていないということでレントゲン撮影、骨が変形しているかもしれないということで、先生は手紙と共に整形外科を予約してくださった。


いつも診察の前はポメラに自分が話しそうなことを入力しておく。
今日は今回負傷の原因?、骨密度測定は測定部位により10年前に骨粗しょう症と診断されたことがあある、透析歴は30年、骨の変形はどのように治療するのか、現在全治どのくらいかわかるものか・・・などである。

レントゲン7枚程撮り、MRIならもっと何かわかるかもしれないが、レントゲン結果からは骨の変形は認められないそうだった。
先生のお話はあとから母から聞いた。
先生の話している雰囲気を見ていたが、最後まで深刻そうな感じはなかった。
どちらかというと気さくな雰囲気の先生?

肝心の痛みは役ヵ月続くらしい・・・
整形外科で診てもらったらコルセットをつけてもらい、痛い格好がしにくくなり楽になると思っていたのに・・・

整形外科を受診して骨の変形の心配はなさそうなことはわかったが、重くなった移乗や着替えなどの介護はそのまま。座れないPCのやりにくさもある。
1ヶ月は長い・・・

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まさに私の脳の勘違い?

2017-02-01 12:20:03 | 考える
前回のブログでの、私の脳が理解できていない感覚について・・・
それが原因で救急外来にお世話になるとは思いもしなかった。

夕食中に海苔が口の億でつまり、呼吸が小さく感じ、まずそうだなあと思った。
この日は唾液の少なさを感じていたからである。
夫は何かを喉に詰まらせたと思い、私を前屈みにさせた。
そのとき、骨折れた・・?どこかわからないが脇腹に激痛が走った。
この激痛のせいか、口中にだ液で湿らせられて海苔を取り出すことができた。

そして恥かしいことに、1/2に続き、今月はまた救急外来にお世話になってしまったのである。

マヒのため、問診でも痛い場所を断定して答えることはできず、あちこち触ってもいろいろな場所が痛む。左腰付近が痛いとしか答えようがなかった。
レントゲン結果は骨折はなく診察は終了。
診察ベッドから車イスへ移譲してもらうと診察前以上のの痛みで、自分はわめいているのではないか、恥ずかしくなった。
再び診察ベッドに戻り、痛み止めの座薬を入れてもらうことで帰宅することができた。

その後透析でも主治医が「たたくので痛かったら教えてください」という検査があった。「肋骨は大丈夫だけど背骨が痛いみたいだね。」
「へ?視覚的に腰が痛いと思っていたの?」

確かにベッドにすわって食事中、急に前屈みになったら、押されている柔軟性のない自分の背中が痛くなる方が当たり前だよなぁ・・・・
こう思っていたら若干痛みが弱まった気がした。
このとき若干痛みが弱まったと感じたのも認知だろうか。
自分の痛みの確からしそうな原因を認めようと考えていて、自分の身体は実際どう感じているか知ろうと確認する最中だったから・・・

今痛いのは腰より背骨である。
シップを腰ではなく背骨に貼り替えたが、シップのヒリヒリ感は腰にはあって背骨にはない。背骨より腰に感覚はありそうな気はするのに、救急外来からずっとあった痛みは間違いのようにみえて、でも負傷した背骨はマヒが強く痛みで知らせることはできず、代わりに腰が痛みを
出し私は根骨が痛いとわかったのか。透析主治医の痛みの可能性がある背中全部たたいてチェックしてもらって本当に痛い場所が割る程度特定されたのでる。

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