がっかり。リハビリ通院中止。

2020-04-24 11:34:53 | 通院リハビリ
私、やっぱり悪いことしていたんだよなあ。
リハビリ通院。
外出自粛の世の中においては・・・
通院は認められていても、リバビリは世間ではどうとらえられているか考えるべきだった。

今週訪問看護師さんから指摘を受けたことだった。
びっくりしたが、院内感染がではじめたことらしい。
通院リハビリを続けていた私は、リバビリのために病院へ行くというよりも、かなりリスクを冒して病院に行くように訪問看護師さんからは見えたのだろう。
それくらい病院には感染者増え、余程の理由がない限り行けない場所になってしまったらしい。

現在のリハビリは、脳の病気の治療だと思っているが、目的は「移植ができるには車イスでは無理だから立って歩きたい」。 無謀なことで、ひとりでできるリハビリではない。 リハビリ通院をやめてどうするか、思いつかない。 リハビリ療法は変えないし、訪問看護師さんからリハビリ通院ができない間、リハビリに協力してくださるとおっしゃってくれた。 何か考えないと。
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▲メールでブログ

2020-04-13 12:05:15 | 通院リハビリ
先々週はリハビリの記憶はあまりなく、短いメールを出した。
これでは意味がないかも・・・と先週は気合を入れて、リハビリは40分だし、全部覚えられる気がした。

片麻痺のとき、中里瑠美子さんの指導のもと、失語症回復の意味のため、リハビリレポートとしてリハビリが終わるといつもリハビリで何をやったか思い出し、書くことを続けていた。
最初は数行足らずのレポートだったが、最終的に何をやっただけじゃなくどう感じたのかが増え、主観的が多いレポートになった。
このレポートを書くことにより、記憶力がアップした。
1回目の脳出血後は、自分は覚えることが難しかった。
暇なので、自宅サーバを作ろうとしたが、昨日作ったところまでを全く思い出せなかった。
今なら作った手順を記録すればよかったのにと思うが、そう考えることができず、でも自宅サーバはできたのは記憶力が回復したおかげがあったからと思っている。
現在自宅サーバはない、使用したのはAnhttpdとDynDNSサーバだった(当時2004年頃?無料)。

その経験もあって、今の認知神経リハビリテーションというリハビリ療法は、記憶力を利用してみたくなった。 リハビリ中に出た感覚を、その場で消してしまわずに長く持つにはそれを書いたらと思った。
でも主観たっぷりの感覚の記述は飽きていることもあり、誰が読んでも納得できる感覚の変化の記述ができたらいいのだが。


先週は、体調が良かったのか、リハビリが覚えやすかったのか・・・頭には順序よく映像のように残っていた。
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▲リハビリの言語化はメールで(試行)

2020-04-05 14:22:51 | 通院リハビリ
今までリハビリの記事は、リハビリ終了後48時間以内に書いてみた。
理由は、何かを学んだら48時間以内にブログなどに書き留めると身につく、と何かの本で読んだからやってみただけだった。
でも48時間以内に書き続けても、学んだことが身についた実感がないことに気付いた。

書くことは面白いし、リハビリとしてブログを活用していると思ってきたのだが、本当にこれを続けて効果あるものなのか不安になってきたのである。

書くことは、頭の中で整理したり、書いた後にさらに考えることもできたり、重要だと思っている。
でもリハビリ終了後に書くことは、これまでのブログをみると、よく理解して書いているのか。理解していれば、もっとわかりやすい表現になる気がした。

こんなことを思うのは、懲りずにまたブログ(昨年の分)を先日書籍化したこともある。
ブログがネット上でなく本になることはいいが、後から読む記事は、なおしたくなるところばかり見つかり、でもそれは面倒でそのまま印刷してしまう。。。
(今回は「2WAYスマホリング」プレゼントキャンペーンであった。それにつられたのである。)

書くことでリハビリに効果があることはないか。
リハビリ中にリハビリ療法士さんに話したいことはいつも多々ある。
おもしろい変わった感覚があったらすぐリハビリ療法士さんに伝えたい。
私がそれを伝えることで、リハビリ療法士さんは、治療の戦略を考えたりしてくれるかもしれない。
話したかったが話せなかったことを、リハビリ療法士さんにメールで伝える。
リハビリ療法士さんとは、そのメールについてメール交換は不要だと思っている。
メールを利用したブログみたいだが・・・
今回このメールを書いて送ってみた。書いた内容はどうでもいいことだったかもしれない。
自分でリハビリを診てくださったリハビリ療法士さんだから、ブログでは不特定多数に読んでいただこうとしても、自分の文章力では無理だった感覚の変化などを伝えられる気がしている。

月1回の診察では、リハビリの推移をわかっていないとだめだと思い、この記事は続けたい。
月1回の診察の記事を集中して書くというよりは、現在のリハビリ療法士さんによる今までの私の困難なリハビリを、できるだけ俯瞰したい。

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▲近頃の自分、気合い入ってる?

2020-03-21 23:04:02 | 通院リハビリ
リハビリは、車で片道40分程かけて朝9時から、夫付き添いで週1で通っている。
2018年秋頃から通っていて、当初私は朝5時台に目が覚めて空腹だった。
ところが最近は、夫に起こされ、お腹はすいていないので朝食をとらずにリハビリを受け、帰宅するとお腹はぺこぺこだ。

リハビリは運動である、運動イメージの研究ではイメージは運動したときの脳と似た部位を活性化して筋力を増強する実験結果があり、朝食は抜いても、リハビリ後においしくたべられればいいか、と思ってしまう。 高校の頃、体力維持になぜか早朝走っていたが、朝食前だった。
気になるのは、早く起きられなくなった自分のやる気のなさではないかということだ。
広い意味だと、40歳代でコレステロールが高く運動しない緑内障末期の夫のことを考えると、自分の病気のことばかり考える場合でもない気もする。
でも自分にとってリハビリは、生きる上で透析のように重要になっていて、リハビリのやる気のなさに気づいたら、何かおもしろそうなことを考えてみようと思っている。
やる気のなさの原因は、自分の場合は生活のマンネリ化でどんよりした気分のときが多い。

今回リハビリで、立ち上がって足裏に踏んだ小さな絨毯の切れ端で、平均台のイメージをしたかったができず、麻痺の右足はじっとせず滑っていた。 先週は少しできたのになあ。
リハビリを指導してくださる三上さんに失礼なのでは、と思われそうだが、リハビリ中、頭は霧がかかったようにぼんやりしていた。
でも頭がぼんやりしていると、あれこれ考えられず、必要最小限に考えていたような・・・
リハビリ後の車中は右足がひどく痛かった。
帰宅後には知らないうちに痛みは消えていて、リハビリの痛みだったんだなと思った。

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▲ちょっと体調不良?複雑な足裏感覚もイメージで回復?

2020-03-15 10:33:46 | 通院リハビリ
最近胃が不調で腰痛もある。一種のストレスじゃないかと思う。
自分の場合、腎不全1つ考えると、食事のコントロールがある程度できていれば、体調は楽で、リハビリに集中できる。こどもの頃から制限食を経験したせいだろうか、食べる良し悪しは身体で勝手に判断している。
痛ければ泣くような出来損ないの人間の自分でも、食べられるものからチョイスして、それで満足できる味覚が出来上がっているのは、こどもの病気であったおかげで、食のストレスから解放されているところがある気がしている。

でも食にストレスがなくても。痛みや悩みがあると、リハビリにおける痛みに打ち勝てない自分がいるなと思った。
足裏は痛くて感じるのを勝手に避けようとしてしまう。

今行っているリハビリ療法は、痛みに似た不快感を、本当に自分は不快感を感じているのか、言わば自分の感覚に自問自答するみたいなことをおこなったことがある。
つまるところ、脳が脳出血で引き起こした痛みは麻痺の身体にいっぱいあり、ちょっとさわっただけで痛みに感じたりするが、その痛み方は尋常でない痛さだったりするので、明らかに脳は自分に間違った感覚を教えていると判断できるから、尋常でない痛み(不快感、電気っぽいしびれ、など)をよく感じて本来脳から伝わる感覚を探すことだと思うが。。。



リハビリ最後に、足裏のほぼおさまる長方形の絨毯をふんで、平均台に乗るイメージで立ち上がった。
それまで地面の感覚がうすかった麻痺の強い右足裏には、べっとり吸い付く感覚があった。

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▲リハビリの考え方に変化

2020-03-08 12:27:38 | 通院リハビリ
今回おこなったリハビリでは、すごいことを教わったのではないかという気がしている。
現在自分は脳障害(脳出血)が原因で、リハビリを目指していると思っていた。
そのために、動かないところは、ここを動かしたり感じたり、「考えて」きた。


三上さんは、「関節のこと考えていない?」などとおっしゃり、
私は、「考えてはいけないのでしょうか?」と質問すると、
三上さんは、「それも1つ(の考え)」「動けた時を思い出して」などとおっしゃる。

思うに、三上さんは、ひとつの関節だけでなく、複数の関節を同時に動かす考え方が必要だとおっしゃっていて、それを可能にするのは、自分が動けていたときの、身体の感覚の記憶を思い出すことではないかと。

とはいっても、その記憶は、昨日の食事を思い出す記憶とは毛色の違う記憶である。
においや触れた感触などの記憶は、動きの感覚の記憶に近い(気がする)。

今回は足の裏の感覚を確認していて、イマイチ「わかった」をいえる状態ではなかった。
三上さんのお話を伺って、「股関節の感覚がする」「膝関節の感覚がする」という外野の声のボリュームを落とし、声のない、静かに感覚を感じると、最終的に残った感覚が自分の本当に感じるべき感覚だったようだが・・・

今回教わったリハビリでの考え方は、身体の動きのごく一部を考えても考えたことにはならないと思ったことだった。
筋肉は全部つながっているし、脳ともつながっている。
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▲歩く意志

2020-02-29 18:58:55 | 通院リハビリ
◆リハビリで、車イスとマット間を、方向転換して立ち上がってから歩いた。

歩くときは、麻痺が強く不安定な右足で歩き始めることはやったことがなく、右足を軸に左足を振り出すのが楽だと思っていた。
最後の確認では、右足は軸になっていない歩きが続いていたので、右足を意識しながら振り出し歩いた。
すると左足をリードして、麻痺が強く不安定な右足が歩いていた。

今回これができるまでに行ったのは以下のようなものだった。

  • ◆を行ったが、自分はサポートしてくださっている三上さんに運ばれていると感じた。→サポートされた三上さんと私の身体の動きは同じのものだったらしい。

  • 自分の身体に抵抗を感じた?なんでこんなことを言ったか忘れました・・・

  • 私の身体の動きの説明で、準備とは自分がどういうときか、わからなかった。→それは意志ではないかと三上さんはおっしゃった。

  • 右足裏の確認。靴を脱ぎ、つま先・かかと・足裏全体の選択肢で、大まかな感覚の違いはわかることを確認。


最後に動かないと思っていた重度の麻痺の右足が、左足のように歩いた原因はわからない。
わずかな動きしかなかった右足を、意識的に動かそうとし、そのとき右足には歩く意志があったということなのだろうか。
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▲教わったことを日常生活で活用/右脚の役目

2020-02-22 11:09:45 | 通院リハビリ
◆リハビリで習ったものは、日常では難しそうと思わずに工夫して使おうとすることが大事?
リハビリは日常生活で生かせていますか?という質問に「いえ・・・」と答えてしまった。
大反省である。
◆向かい合わせに置かれたイスで、一方に座っているイスからもう片方のイスに向かって立ち上がり、歩いて座る
歩いている時、右脚をどう感じていましたか?質問され、「歩いている左足によって(マヒの強い)右足は動かず引きずられていました・・・」と答えた。
三上さんはえ?っと不思議そうな顔して、私の左足を、マリオブラザーズ風にジャンプしてやって見せてくれた。
私の左足はそのように動いていないし、左足が歩けていたのは、右足が支えてくれただったのかと気づいた。

立ち上がり・歩くが多い最近のリハビリは、自宅で活用できないだろうと思っていた。

  1. ベッドから車イスへの移乗は、抱っこされることが多いが、まず日常最も移乗回数が多い夫にお願いして、地面に足をつけ、方向付け立ち上がり、

  2. 軸足である右脚を意識して、向かい合わせに置かれたイスに座るため歩く

  3. 慣れたら、シャワー入浴の着替えで、向かい合わせのイス(車イスとシャワーキャリー)でヘルパーさんにお願いしたい。

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▲脳出血前にできた、自分の身体の動きを思い出す

2020-02-16 02:02:44 | 通院リハビリ
これ(今回のタイトル)は三上さんから今まで何度か指示があっても、リハビリ生かすことができなかったものである。

今回は熟睡できなかったが体調は良く、立ち上がりは軽くできた。
でも方向転換する立ち上がりは難しく、脳出血前に振り返ったことを覚えていないか聞かれた。
思い出したのは、歩きながら「バイバーイ」と手を振る自分である。
車イスをマットから少し離れた場所に置き、マットから方向転換する立ち上がり後に、車イスまでサポートされて歩いた。

できたとは思えなかったが、歩きながらの自分を思い出していたようで、いつもより左足は歩けていたが、マヒの重い右足は思い通りに動かなかった。

歩いているとき感じたことはないかを聞かれ、私は左足と比べて右足のことばかり答えていた気がする。
左右の足の違いは、右足の方がマヒは重く、敢えて答える必要はないように思え、願望の確認のように思った。

自分にある、治して楽になりたい部分は、自覚して、どうすべきか考えたいなと思った。
とかく私の楽になれない部分は、マヒなどにより、うやむやになり考えにくい。

リハビリ後、足首からつま先がじんわりと感じていた。
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▲体調不十分で、できたことができなくなるものか

2020-02-09 01:49:47 | 通院リハビリ
食欲はずっとあるが、先週終わり頃から、飲みこみが悪くなり、食べたいが疲れて高カロリー流動食で食事を済ませることがわりとあった。
  • 座位から立ち上がり、付け根が伸びる、本日も成功
  • なぜかうまく行かなかった左から後ろ見ること
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    • 前回、左から後ろを見た記憶はあるのに、左横にも途中まで見えず、左腰が痛かった(痛みは一時的だった)
    • 右からも左からも、自宅では後ろは見えていた
    • でも付け根で胴体を動かせたのは右だけだった
    •   
  • 行きたい方向に向かって立ち上がる
    • あ後ろ見るときのように、付け根を動かし、足に体重をのせる

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