記憶の不思議?

2019-10-02 23:23:23 | 考える
前回のブログの最後を読んでくださった方は、私は英語が好きだと考えるのではと思った。

学生のときの英語は嫌いでも好きでもなかった。

英語を話すことができた時期はなく、学生のとき読むことはあっても、その後読む機会がなくなると、記憶した単語の意味はボロボロと頭から落ちる。
四則演算もままならない時期があった1回目の脳出血では、かなりの脳の壊れ方をしていると思っていて、英単語の記憶は少ない。

でも前回のブログで書いた英単語comfortableは、意味もわからず頭に浮かんだ。 おそらく英単語の記憶が今よりあったとき意味もわかっていた単語を思い出したんじゃないかと思っている。 妙に書いているブログとしっくりくる気がして意味を調べたら、自分が思う以上にぴったりな意味だったのでブログに載せた。


英単語は使わないと、その意味は記憶法にもよると思うが、わりと消えやすいと思う。
だが見た記憶はあるのに意味を忘れている英単語は、英単語のもつニュアンスみたいな「しっくりくる感じ」は、感覚のように消え難い記憶として頭に残っていて想起されたものだったのだろうか。



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未熟な自分・・・

2019-10-02 11:09:58 | 考える
前回のブログは、二人の方からコメントをいただきヘルパーさんは読んでくださったらどうお感じになるのか知りたくなくなった。

前回のブログでは、車イスで話せない自分は、傍から見ればベビーカーで笑っている赤ちゃんに近いと感じていた。

ヘルパーさんは、うまく表現できないが今日は嬉しいとおっしゃった。
子供の笑顔を見てこちらの表情がほころぶことは私も感じる。
声を聴かず話したことがない大人?の笑顔でも、ヘルパーさんには嬉しいという感情があると知り私も嬉しくなった。


他人の笑顔を見るだけで感じる感情とはなんだろうか。
視覚だけで起こる感情で、見る側の安堵感とか好みでるものだろうか。


自分の経験では、声を聴いたこともなく話したこともないのに人を好きになった中学生のときのことは理由がわからない。その人の笑顔が自分の感情を動かしていた。


ヘルパーさんの表現しにくい感覚や自分の思春期のときの説明できない感覚。
人がどう自分を感じるか気がかりだが、その仕組みは複雑そうだ。


誰から見ても自分は重度の障害者だが、自分がどう見える存在なのかやはり気になる。

comfortable
なんでいきなり英語?という感じだが、自分が思う最終的に身体から醸し出したい雰囲気ってこんな感じがする。
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