「一喜一憂」と「右往左往」、自分の気持ちを表現する適切な言葉がどちらなのか。息子や孫たちが、昨日と今日のブログを読んだ時、なんと受け止めるのか、興味深いところです。
昨日私は、8月15日の新聞を手にして、次のような感想を述べました。
・千葉日報社の記事を読む限り、かってのお祭り騒ぎがなくなり、終戦の日の穏やかな紙面になっています。「日常を取り戻した千葉日報」、とでも言えば良いのでしょうか。だから私も、忘れていた言葉を思い出しました。
・マスコミの鏡になれるか、千葉日報
8月16日の千葉日報を只今読み終え、早合点した自分に苦笑しています。
「終戦の日」が8月15日ですから、終戦の日の行事を伝えるのは、翌日の新聞です。つまり今読んだ千葉日報が、「終戦の日」の行事を伝える新聞でした。
16日の紙面は、例年通りの使い古された言葉が大きな活字となり、千葉県の各家庭に届けられていたということでした。
他の全国紙が千葉県民に届けた記事も、相変わらずの「平和」「平和」「戦争否定」だったと推察されます。
息子たちに言います。
私がなぜ、このように終戦の日の新聞にこだわるのか。それは、こういう、「一喜一憂」と「右往左往」が終わらない限り、日本の戦後が終わらないということを、知ってもらいたいからです。
戦死した軍人に対し、哀れみや同情心しか持てない国民は、世界広しといえども日本だけです。
「彼らは無残な戦争の犠牲になった。」
「むごたらしく死んでいった。」
とマスコミが書き、子供たちに
「戦争だけは、繰り返してなりません」
と言わせます。周囲の大人たちも疑問を抱かず、一緒に同じ言葉を述べています。
しかし戦死した軍人たちは、憐れまれるために戦ったのでなく、国と家族を守るため覚悟の上で戦死したのです。戦後の日本の発展は、こうした尊い献身の上に築かれています。命を捧げた人々に対し、感謝の一言も言わない戦後日本の式典は、私にに言わせれば全て「つくりごと」です。
このことを本気で考えさせられたのは、2年前のポルトガル旅行でした。家内と二人で行った、10日間の団体旅行でした。
場所も名前も忘れましたが、ポルトガルの独立戦争で亡くなった一人の兵士のために、立派な慰霊堂がありました。照明の落とされた堂内は、収容人員300人程度の広さで、観光客と団体の参拝者がいました。
なぜ一人の兵士がこのように丁重に扱われているのか、説明があったのでしょうが探す余裕がありませんでした。
慰霊堂では、バッキンガム宮殿で目にした儀仗兵と同じ正装の兵士が、24時間、交代で立っていました。
バッキンガム宮殿の兵士は多数でしたが、慰霊堂の兵士は二人で、慰霊碑の左右に捧げ銃で立ち、何時間置きかで交代していました。
たった一人の兵士のために敬意と感謝が捧げられているという事実に、私は心を動かされました。日本での慰霊は8月15日の1日だけですが、ポルトガルの慰霊堂では、一年中感謝と敬意が捧げられています。
儀仗兵が守らなくても軍人を祀った霊園は、どこの国でも大切にされ、敬意と感謝が捧げられる場所だと聞いていました。やはりこれが世界の常識だったかと、私は身をもって知りました。
日本では、戦いに散った軍人に感謝をせず、「哀れな犠牲者」として、年に一回同情されるだけです。ポルトガルの慰霊堂の兵士に頭を下げながら、私は東大の高橋教授の言葉を思い出しました。
「日本の軍人は全て侵略者です。」
「彼らの罪は、死んでも消えません。」
「彼らを祀る前に私たち日本人は、侵略したアジアの国の人々に謝る方が先です。」
戦後70余年者間、こうした反日・左翼学者の意見がマスコミで大事にされました。たまたま高橋教授の名前を思い出しましたが、進歩的文化人ともてはやされ、暴言を言い続けた人間が沢山いたのが戦後の日本です。
今になっても反日マスコミが姿勢を変えず、陛下のお言葉の中に「深い反省」という文字があるかないか、安倍総理の言葉の中に、「加害への反省」があるかなどと、いつまで経っても瑣末な意見で紙面を飾ります。
これでは亡くなった方々へ感謝の念が、生まれるはずがありません。国への誇りや愛が、育つはずもありません。本当にこんなことでいいのかと、私たち国民が目覚め、つまらない記事の氾濫を追放しなければなりません。
国民から愛国心と誇りがなくなることを願っている、反日・左翼のマスコミの相手は、もう止めにしましょう。
本日は、個別の記事を取り上げず、記事の見出しだけを順序不動に紹介します。100年後に日本が過去を取り戻した時、私のブログが「歴史的遺物」として見直されるk
かもしれません
「不戦の誓い、令和へ」「本県230人参列」
「最高齢94才笹沼環さん 戦争だけはしないで」
「印西小林小 黒沢兄弟 平和な世界をつくる」
「終戦74年戦没者追悼式」「戦後世代の天皇陛下」
「 " 深い反省 " を継承 」 「覚悟にじむ、お言葉」「世代超え、模索続く」
「陛下、非戦の祈りも」 「首相、今年も加害に触れず」
「参列の遺族 平和願う」 「戦争のない時代続けて」
「16才、空襲で同級生失う」「柴田泰子さん(90) 佐倉市」
「古里 何もなくなった」 「平和の誓い、時代に託す。」
本日は千葉日報に対し、「ねこ庭」から別の言葉を送ります。
「大丈夫か、千葉日報 ?」