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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

茂木誠氏の『超日本史』 - 3 ( 「秀吉と伴天連」 )

2020-04-05 15:18:16 | 徒然の記

  第14回の動画は、「秀吉と伴天連」という表題でした。両氏の対話を、記憶の中から呼び戻し紹介してみます。( 注:バテレンとは、ポルトガル語で宣教師の意味  )

  茂 木・・ 秀吉の「バテレン追放令」て、知ってますか。

  神 谷・・ 歴史の時間に習いました。秀吉が禁止したのは、キリスト教の平等思想が入ってくると、封建

     制の秩序が壊れるから、反対したのだと教わりました。

  茂 木・・ しかし当時のヨーロッパは、封建制で、身分制もガチガチですよ。むしろキリスト教と封建制

     は、矛盾しないんです。

  神 谷・・ そうなんですよね、おかしな話です。 

  茂 木・・ なんで日本でだけ、そんな話になるのか。説明がないんですよね。そんな時は、元の資料を読

     めばいいんです。

 茂木氏は、「バテレン追放例」が出された前提条件として、九州の状況から説明します。この時秀吉は、「本能寺の変」後に山口と九州を平定し、福岡に滞在していました。彼は二つの話を聞き、大いに驚きます。

   1. 長崎が、イエズス会の領地になっていたこと。

   2. 宣教師が、ポルトガルの貿易商人と結託し、日本人を奴隷として売買していること。

 こんな話を初めて聞きましたので、秀吉より私の方がびっくりしました。『九州御動座記』という文書には、秀吉の「バテレン追放令」だけでなく、次のような記述があります。

   1. バテレンらは、種々の宝物を山と積み、キリスト教繁栄のための計略を巡らせている。

   2. 五島、平戸、長崎では、日本人を数百人、男女を問わず黒船が買い取り、南蛮船に、手足に鉄の鎖を

  つけ、船底に追い込み、連れ去っている。

 信長の無念を晴らし、天下人となったばかりの秀吉は、この話を聞き即座に「伴天連追放令」を出します。分かりやすいように、茂木氏が現代文にして読んでくれました。

   1. 日本は神国であるのに、キリシタン国から邪宗を持ち込むとは、怪しからぬことである。

   2. 領民に近づき、門徒とし、神社仏閣を打ち破らせるとは、前代未聞のことである。

   3. キリシタン入信は、個人の自由だとしても、大名の入信は許可制とする。大名は、領民への改宗を強

  制してはならない。

   4. 黒船については、商売だけ許している。仏教の妨げをしない限り、キリシタン国との往還は許す。

   5. 伴天連 (  宣教師 ) については、日本滞在を許さない。本日より20日の間に帰国すべし。

   6.  南蛮、中国、朝鮮へ、日本人を売ることを禁ず。

 「追放令」が出された時の、日本の状況がどうであったのか。説明を聞きますと、怒りの念さえ湧いてきます。これを踏まえた上で「追放令」を読めば、天下人としての秀吉の気概と矜持が、理解できます。

  茂 木・・ 秀吉の「バテレン追放令」て、どうですか。真っ当なことばかりですよ。どこがおかしいん

      ですか。

  神 谷・・ 書かれていることは、当然じゃないですか。しかしなんで、教科書でこれを教えないんで

      しょうね。

  茂 木・・ 理由が二つあります。宣教師の文書は、ラテン語で書かれていますから、日本の歴史学者

      は、読める人が少ないんです。・・これが一つ。読める人は、クリスチャンの歴史学者です

      が、彼らは「日本にキリスト教が入ったのは、良いことだ。」と、考える人たちです。

      だとしたらこんな話は、教科書に載せません。・・これが二つ目の理由です。

 茂木氏の説明は「眼から鱗 ( うろこ ) 」の話です。歴史が正しく伝えられないのは、朝鮮や中国ばかりでなく、日本も似たようなお粗末さであると知りました。戦前と戦後の歴史教科書が、どのように変化したのか。いつかそれを勉強してみたいと思います。

  茂 木・・ 大阪は、秀吉の地元ですが、大阪での人気はどうですか。

  神 谷・・ 昔は太閤さんと呼ばれて、すごい人気だったと聞きますが、今はまあ、普通ですね。むしろ

      朝鮮出兵などして、悪い人のイメージの方が強いんじゃないですか。

  茂 木・・ 秀吉の朝鮮出兵を、大東亜戦争の時の、大陸侵攻と重ねる学者もいますからね。戦前褒めら

      れていた人物が、戦後はダメになるという例が、たくさんあります。「好戦的な人間を、

      美化しするのはけしからん。」と、リベラルな歴史観が広まった結果なんですね。

 「超日本史」の動画は、このスタイルで語り続けられます。

 ネットで検索しましたら、私の見つけた、秀吉の「バテレン追放令」の原本は、『九州御動座記』からではありませんでした。だから茂木氏の説明とは少し違っていました。

 だがこれは、引用した文献の差で、捏造や嘘には該当しないと思いました。むしろ茂木氏の広範な知識と、反日左翼への反証と反論の精神に共感を覚えました。

 田中英道氏のような学者と、両氏が共有しているのは「国を大切する心」です。田中氏も、神谷・茂木 両氏も、ついでに加えるのなら「ねこ庭」のブログも、手段が違っていても、目指しているのは「愛国心」です。

 私は無名である両氏に、心から声援を送りました。

 「超日本史の動画」の紹介は、本日で終わります。あとは興味のある方が、それぞれで見られることをお勧めします。私の拙いブログより、本物の講義の方が面白くて為になりそうです。

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秀吉公の禁教政策は、国防の教科書になる (HAKASE(jnkt32))
2020-04-06 21:46:04
今晩は。今回貴記事は、左傾した巷の歴史教科書に載る
事のない史実だと心得ます。

長崎の地が 当時の巨大キリスト教組織・イエズス会に占拠
されていたとか、キリスト教関係者が貿易商と組んで日本
人の人身売買に関与していた事共は、教科書に載った記憶
のない事共です。

キリスト教関係者のラテン語による文書を日本人が読
めないのを好い事に、読めるキリスト教寄り学者勢力
が、歴史教科書に載せぬ様圧力の挙に出た可能性を
、拙者も感じます。

6項目に亘る「伴天連追放令」の内容は、国家の独立
と固有文化を守る為の、当然の要諦だったと心得ます。
又、秀吉公の様な知将だったからこそ、西欧列国の不良
な意図を見抜く力もあったのではとの想いもする所です。
これはまぁ、信長公の遺産という側面もあったかも知れませんが。

一部だけの取り上げで恐縮ではありますが、今回の動画
に携わった各位は、貴指摘の「国を大切にする心」を
強く持ち、研鑽されていると感じます。この所を、我々
も学ぶべき所ですね。好連載を有難うございました。
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国際社会の中の日本 (onecat01)
2020-04-06 23:03:26
 HAKASEさん。

 メキシコのアステカ帝国が、スペイン軍のため滅亡させられたのは、1521年でした。

 当時の大国はスペインとポルトガルで、共にカトリック教国です。彼らが後進国を征服した方法は、上陸したのちキリスト教を広め、領土を確保し、陣容を整え、一気に武力で破壊するというものです。男は皆殺しにされ、女は凌辱され、慰み者になります。

 弓矢しかない軍を、鉄砲で攻撃するのですから、勝利するのは当たり前です。

 スベイン人サビエルが、日本へ来たのは、1549年です。ポルトガル王の依頼だと言います。メキシコを征服した、18年後です。

 「超日本史」の茂木氏の説明によりますと、この時日本が征服を免れたのは、メキシコと異なり、日本の武士たちが、鉄砲で武装した強力な集団だったからだと、言いいます。

 1543年に、種子島に漂着した南蛮船の者たちから、鉄砲を見せられ、途方もない高額で買い入れますが、日本人のご先祖のすごいところは、たちまちその鉄砲を自国で作ってしまう、努力と学習力です。

 たった2年で、製造技術と操作方法をマスターし、たちまち大名たちが取り入れたと言います。このおかげで、日本は、メキシコの二の舞をせずに済んだというのが、茂木氏の説明でした。

 要するに、国を守るには、強い軍が必要だという教訓です。昔も今も、現実はこうですが、日本の反日・左翼だけは、これを認めようとしません。

 信長や秀吉や家康が、カトリックと対立していたプロテスタントの国から、こうした情報を得て、政治に生かしていたことも、私は他の本で読んだことがあります。

 プロテスタントの国は、オランダです。ポルトガルを追っ払った後で、彼らは出島でだけ、貿易を許されましたが、世界の動きは、かなり正確に日本へ伝えていたはずです。

 日本に君臨していた武将たちは、文字通りの独裁者ですから、嘘の情報を伝えれば、即座に斬り殺されますので、オランダ人もうかつなことは言えなかったはずです。

 この辺りは、「超日本史」の知識でなく、「温故知新」の読書からのものです。自分の頭の整理のためにも、この動画は役に立ちます。あなたは忙しい方のようですが、少しずつでも、動画を見られたら、眼から鱗の驚きがあるのではないでしょうか。

 余計なことを述べましたが、コメントを有難うございます。

 「武漢コロナ」の、1日も早い収束を祈りましょう。
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