岩国氏の著書を読んでいると、日米貿易摩擦が大問題となり、連日のように、新聞の大見出しとなっていた頃、を思い出す。
中曽根内閣以後、竹下、宇野、海部と続き、宮沢内閣でも終わらず、米国側もレーガン、ブッシュ(父親)、クリントンと大統領が交代しても、激しいやりとりがあったと記憶している。
当時は、新聞やテレビの報道しか見ていなかったので、「無理難題を押しつける米国に、日本がゴリ押しされている。」という思いだったが、氏の著作で、新たな面を教えられた。
いつも通り、氏は米国の意見を代弁し、日本批判に終始するが、日本人が考え直すべき点も指摘している。気分は悪いが、参考になる意見だ。
「世界の日本批判は、経済的成功に対する、やっかみであるとする論調が、」「日本の一部にある。」「居直りなのか、傲慢なのか、世界はそれほど、日本の経済的成長に尊敬を払っていない。」
「世界のマーケットを、わが物顔に荒らし回り、がめつく、」「テイク・アンド・テイクを、重ねてきた結果でないか、」「という軽侮と非難を込めて、エコノミック・アニマルというのである。」
どうだろう、これが日本を愛するが故の、辛口の批評と、果たして誰が聞くのだろう。日本人なら、氏の言葉を憎悪の攻撃としか受け取るまい。しかしそれでも、次の言葉は、我慢して聞くだけの価値がある。
「ちなみに、アメリカのマーケットにおける、主な日本製品のシェアーは、以下の通りである。」「自動車26%、コピー機械80%、工作機械30%、カラーテレビ30%、VTR95%、オートバイ95%である。」
「間違えないで頂きたい。」「これは日本のマーケットでなく、アメリカのマーケットである。」「アメリカの市場は、まるで、日本の市場の一部のようでないか。」
「それもこれも、アメリカのマーケットが、フリーだからである。」「牛肉・オレンジで、大騒ぎする国では、考えられないことである。」「この、貴方のものは私のものという、姿勢を改めない限り、」「日本は尊敬どころか、世界の爪弾きになってしまう。」
アメリカの企業を、倒産させてしまうほどの輸出を、一気にやった日本のがめつさは、確かに指摘される通り、エコノミックアニマルの醜さだ。
しかし私は、同時に氏が日本のマーケットでの、アメリカの製品、特に農産品や自衛隊の装備品、あるいは航空機についてのシェアーの大きさも語ってもらいたかった。確証はないが、米国からの輸出額を、日本製品の輸出額と比較したら、ここまで強気で攻撃できるのかと、疑問を持つ。
さらに氏が、次のように主張を捻じ曲げていくことに、不快感を覚える。
「いまアメリカが言いたいことは、日米どちらの経済政策が正しかったか、ということではない。」「かりにアメリカの、経済政策が誤っていたとしても、」「その誤りに乗じて儲けたのは、日本でなかったか。」「いまアメリカの感情を害するよりも、日本が今日あるのは、」「アメリカの軍事力に守られ、アメリカが、市場を開放してくれたお陰だ、」「という事実を、今一度思い起こし、その借りを返す時ではないかと、提案したいだけである。」
語るに落ちるとはこのことだろう。米国の経済政策の誤りで、貿易赤字が増えたとしても、日本は我慢しろという、身勝手な言い分でないか。自分は日本人だと公言しながら、アメリカの代弁をする氏の言葉を、私も、もう少し忍耐をもって聞こう。氏の意見でなく、アメリカの政治家や経済人が、日本をどのように見ているかが、分かるからだ。
「国際通の誉れ高い、ソニーの盛田氏が、」「アメリカも、譲歩を学ぶべきというのは、正論かもしれないが、」「盛田氏のアメリカでの苦労話は、すべて、儲けるための苦労ではなかったか。」「少なくとも、アメリカのように、世界の平和を守り、」「日本を守るための苦労では、なかったはずである。」
こうして氏は、経済問題の中に、次元の異なる防衛問題を持ち出してくる。こうなると私の目には、中国や韓国と、アメリカの類似点が目立ってくる。居丈高な中国は、ふたこと目には「歴史問題」を持ち出し、日本を攻撃する。
私から見れば、米中どちらが述べていることも、我田引水の屁理屈に過ぎない。防衛力のない日本を、軍事力で脅し、屈服させたがる論調が瓜二つだ。
「だいたい白人社会のなかには、"利巧すぎる人種"に対する警戒感がある。」「そのいい例はユダヤ人である。」「ユダヤ人は教育熱心だし、また非常に優秀で、とくに、マスコミ、流通、教育、金融関係を支配している。」「そういう優秀な人種に対しては、尊敬と同時に、非常に警戒心も強い。」「いま日本人も、アジアの中のユダヤ人と、見られつつあることを指摘しておきたい。」
そんな意見があるのなら、他人ごとのように「指摘しておきたい」と言わず、「誤解を解く努力をしたい」と、日本人なら言うのではないのか。だが、ちょっと待て。この調子で氏につき合っていたら、ブログが終われなくなってしまう。
よくもまあ、こんな偽物の日本人が日本へ戻り、民主党の副委員長にまでなったものだ。蓮舫氏の二重国籍だって、意に介していない反日民主党のすることだから、仕方がないと諦めるしかないのか。
だが、氏のような愛国心のない帰化人を、自民党の委員会の顧問に招聘した、石破氏には、疑問符がつく。
次々と怒りがこみ上げ、健康に良くないので、次の言葉を引用して終わりとしたい。
日米貿易摩擦と、何の関係もない話なのに、氏は性懲りも無く、こんな戯言を追加し、日本蔑視の言を重ねる。
このブログが終わったら、岩国氏とは、二度とかかわりたくない。きっと叔父も我慢して読んだのだろうが、その無念を晴らす意味からでも、ここでケリをつけよう。
「数年前、日本は、バングラディシュとともに、国連の安全保障理事会の、理事国に立候補した。」「結果は、バングラディシュの勝ち。」「バングラディシュといえば、日本が経済援助をしている国である。」
「さらにその前、オリンピック開催地として名乗りを上げた名古屋は、韓国に負けた。」「ことほどさように、日本は、国際社会において人気がないのである。」「西ドイツのシュミット元首相は、口を開けば、」「日本には友人がいないでないかと、批判する。」「そろそろ日本も、考えていいのではないか。」
反論したいことが山ほどあるが、キリがないから、ぐっと我慢する。我慢できない一部分だけ、少しだけもらそう。
「出雲市民も、知らなかったとはいえ、よくもこんな反日の人間を、市長に招聘しましたな。出雲大社の神主様に、お祓いでもお願いされたらいかがでしょう。」