■当会ではしばしば台湾からの客人を迎え入れる機会があります。先週末も台湾から5名のか
たがたが群馬県を訪れました。8月24日と25日にわたりお付き合いがてら近郊の観光地を案内しました。円安も手伝って、我が国を訪れる外国人の皆さんの数は史上空前となっています。平成25年7月に日本を訪れた外国人旅行者は100万3千人で、月間として初めて100万人を超えたことが8月21日、政府観光局の推計で判明したのです。これで福島の東電原発事故さえなければ、さらに加速していたことを思うと残念でなりません。
さて、群馬県知事が台湾で観光キャンペーンをする前から、群馬県にも足を運ぶ台湾の人たちは沢山居ました。台湾の皆さんはリピーターが多く、これまで訪れたことのない地域を訪問する傾向が強いことがその理由のようです。
観光庁の数字によると、全国の訪日外客数が過去最大となった2010年には、群馬県への外国人延べ宿泊者数が過去最高の7.3万人でしたが、東日本大震災や東電福島原発の影響等により2011年は4.9万人に減少しました。
この結果、2011年の群馬県の日本人延べ宿泊者数は全国16位なのに対して、外国人延べ宿泊者数は全国31位でした。国別にみると、全国的には韓国26.7%、中国16.8%、台湾16.0%、米国9.1%、香港5.9%ですが、群馬県では台湾がダントツの34.7%、中国15.4%、韓国13.5%、米国7.1%、香港4.5%の順となっています。いかに台湾の皆さんが群馬県に関心を持っていただいているかが分かります。
あいにく8月は猛暑となりましたが、東京駅のプラットフォームや山手線等の車内でも多くの外国人旅行者を見かけます。円安も続いていることから引き続き貿易外収支に貢献していただけるものと期待されます。
■わずか3泊4日の滞在でしたが、台湾からのゲストを群馬県内にご案内しました。5名のうち1組の御夫妻は、5月にもロータリークラブの関係で前橋を訪問したことがあり、来年は高崎のロータリークラブとも親交を深めるために来日する予定です。それ以外の皆さんは、群馬県はもとより日本に初めてこられました。
初日は榛名山とその周辺を案内しました。
↑手始めは水沢観音。↑
↑鐘撞堂では子どもたちが列を作って順番待ち。1回百円。↑
↑漢字が読めるから意味は大体理解可能。↑
↑日本の線香は台湾のものよりも小ぶりだ。↑
↑ナイスショット。↑
↑台湾の人は日本の果実が大好き。たまたま土曜日の朝市だったので新鮮な果実や野菜に目を輝かせた。↑
↑昼食は水沢うどん。日本食は素材の味を大事にするがなぜ汁は塩っぱいのかと質問あり。↑
↑丹次亭の庭にあった木。名前を聞かれたが不詳。↑
↑伊香保関所でパチリ。↑
↑もひとつパチリ。↑
↑取調べ石とお辞儀石。↑
↑伊香保の石段街。このあと足湯に浸かる。↑
↑旅館のカフェで一服。↑
↑榛名富士。↑
↑榛名湖。↑
↑湖畔でパチリ。↑
↑榛名富士山頂駅の前で。↑
↑榛名富士山頂まで徒歩で数分。↑
↑関東平野一望。↑
↑ロープウェイは往復820円。↑
帰路、榛東村のブドウ直売店では、店主が、この春、金門島を旅行したことがあるということで、大変話が盛り上がりました。台湾の人でもめったに行けないところですが、店の主人が金門島を訪れたのは、駐蒙軍司令官だった根本博中将らが蒋介石の以徳報怨に義を感じて、戦後、中共軍が台湾進攻を企てた際に、金門島の防衛に尽力した史実を本で読み、いてもたってもいられなくなったからなのだそうです。
二日目は、軽井沢とその周辺を案内しました。
↑早速撮影。↑
↑碓氷湖。↑
↑やや空間放射線量が高め。↑
↑歩道脇の石の上でも放射線を観測。↑
↑めがね橋駐車場。↑
↑峠の湯の火災による休館のしらせがここにも。↑
↑歩道脇の巨木に感嘆の声。↑
↑台湾の中部にも同様の眼鏡橋があるがアーチの中央部が損壊していて橋脚のみ。日本統治下で建設されたものだという。↑
↑この辺でパチリ。↑
↑碓氷峠案内図。 ↑
↑夏休みも最後とあって駐車にひと苦労。↑
↑アゼルバイジャンの目玉型のお守りと同じ、と思ったらイラン民芸品ショップ。↑
↑軽井沢銀座はものすごい人出。照射線量は低い。↑
↑懐かしい写真を並べた写真店の前で。↑
↑軽井沢避暑地発祥の礼拝堂。↑
↑三菱UFJリースの軽井沢山荘。↑
↑管理地となっている場所もある。↑
↑ごった返す軽井沢銀座。↑
↑人と車でいっぱいのロータリー交差点。↑
↑最後の夕食は高崎駅前のヤマダ本社5Fで軽く摂りその後客人らの希望で居酒屋へ。台湾の人たちは日本式の居酒屋が大好き。↑
■台湾の客人の話によれば、現在の台湾の政情は、国民党の馬英九総統が中国寄りの路線を突っ走っており、このままだと香港の二の舞になるという危険性が増大しつつあると言います。
せっかく根本中将が、当時の国民党の蒋介石の要請で台湾に渡り、金門島で中共軍を打ち破り、台湾への中共軍の侵攻をギブアップさせたにもかかわらず、現在の政権政党である国民党の総統が中共に対して尻尾を振っている状況を見るにつけ、なんともやりきれない思いがします。
一方、日本統治時代以前から台湾に住んでいる人たちは、戦後、日本人と同様に敗戦国民として肩を落としていたところ、突然蒋介石の率いる国民党軍に占拠され、内戦で抵抗した人たちは大量に粛清され、その後、1987年に至るまで長期にわたり戒厳令が敷かれ国民党による一党独裁政治が続いたことを思えば、さらに複雑な思いに違いありません。
【ひらく会情報部】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます