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火伏せの神に火災予防と安全を祈願した北野殿峯組恒例の秋葉講が12月1日に開催

2013-12-04 22:58:00 | 国内外からのトピックス
■安中市岩野谷4区の北野殿峯組では、毎年12月の第一日曜日に「秋葉講」を開催するのが慣わしになっています。今年も12月1日(日)午後6時から、村の住民21名が公会堂に集いました。

北野殿地区の峰組にある防火用水槽の脇に並ぶ火伏せの神を奉った3つの祠。

 「秋葉講」開催に先立って、今年の当番を代表して午後4時頃、村の防火用水の脇に鎮座している3つある火伏せの神を祭ってある石祠に、秋葉神社デザインのお札を供え、お神酒をかけたあと、祠の前で、真言を唱えつつ、二礼二拍一礼をして、今年、村で火災事故がなかったことの御礼と、この年末から来るべき新年、そして春先にかけて、火災予防を祈願しました。

御札と御神酒を奉げたあとの石祠。

祠に納められた火伏せの神の御札。

■「秋葉講」は北野殿地区でも峯組だけしか行われていませんが、全国的に見ると、まだまだ各地で行われているようです。

 ネットで調べてみると、「秋葉講」について次のような記述があります。

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 江戸時代の庶民にとって遠州秋葉参りの旅費は経済的負担が大きかったので、秋葉講という宗教的な互助組織(講)を結成して講金を積み立て、交代で選出された講員が積立金を使って遠州大登山秋葉寺に各秋葉講の代表として参詣し、火防せ・安全を祈願して帰郷した。また、遠州秋葉参りできない人々を考慮して、地元に秋葉権現を勧請した。秋葉講の講社の数は、盛時には全国で3万余を数えるほどあった。
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 おそらく、この峰組で慣わしになっている秋葉講も、発祥は江戸時代と思われます。少なくとも、戦前までは、盛んに“講”として活動していたものと思われます。

 そのことが、3つの祠の裏側に刻んである文字からうかがえます。

祠の裏にある文字。「御大典記念 昭和三戊辰年 四月吉日建立」と読める。このことから、昭和3年(1928年)の昭和天皇の即位記念で建てた石祠が、その後、火伏せの神を奉るための祠として住民に引き継がれているようだ。

■さて、この秋葉講は、毎年2月の第1日曜日に開催される“春契約”と並んで、峰組恒例の行事となっています。

 集会の準備は、毎年、4つある班の各班長4人が手分けして行います。今年も1週間前に班長4名が集まり、担当を決めて分担を決めて、当日は午後3時に集合して、会場のセットや、飲食物の調達を行いました。

■そして午後6時開催を前に、峯組の住民の皆さんが夜道を歩いて三々五々集まりました。21名全員が午後5時57分に集ったところで、3分早めに秋葉講がスタートしました。

 最初に、班長のなかの司会担当者から、秋葉講の開始宣言と、開始に先立ち、村の防火用水脇にある火伏せの神の祠に御神酒と御札と祝詞を奉げて、村でこの1年間の火災事故のなかったことへの感謝と、今後1年間の火災予防と安全を祈願を行ったことが報告されました。

 続いて峯組を代表して、現・岩野谷4区区長から「寒い中、ご苦労さんです。区長からの連絡事項はありませんが、急に暑い夏から、いつもよりは寒い冬が押し寄せています。空気も乾燥していますので火を出さないことは勿論のこと、風邪などをひかぬよう、健康で新年を迎えていただきたいと思います。なお、老人会では来年春ごろに日帰りの入浴旅行を計画していますので大勢の方に参加していただければと思います。以上、簡単ですが、挨拶をさせていただいきます。ごゆっくり歓談してください」と挨拶がありました。

 その後、準備に携わった4人の班長のなかの会計担当者から、会計報告がありました。昨年からの繰越金13,607円、今回の開催に当たっての収入として区費から15,000円、公害対策委員会から5,000円、農協支部から3,000円、それぞれ芳志を賜ったこと。支出として、寿司折8,350円、刺身盛合せ10,458円、缶ビール4,480円、ソフトドリンク他2,164円の合計25,460円が報告されました。差額11,147円は次年度繰越ということで、参加者全員から了承を得ました。

 そして、村の長老から「それではご指名によりまして乾杯の音頭をとらせていただきます。これから非常に乾燥する時期となりますが、この峯組から火災をおこさぬよう、また、ご参加の皆様のご多幸をお祈りして、乾杯の挨拶とさせていただきます」と挨拶をいただき、長老の掛け声にあわせ、全員で「乾杯」の発声の後、歓談に移りました。

 歓談での話題としては、子ども会関係者から、夏の子どもたちの活動のために公会堂にエアコンを設置してもらいたい、という要望や、公会堂での会議等の際に現在は黒板がないので、ホワイトボードを用意してもらえるとありがたい、という希望が出されました。

 その他は、先日の東京ガスの生ガス排出問題で、事故の1週間後に、東京ガスが一部の住民宅に手ぬぐいを投げ込んだこと、区長宅には東京ガスの担当者が来て謝罪の言葉を告げて行ったことなどが話題に上りました。東京ガスの対応については、やはり事後報告ではなく、事前報告すべきだ、という声が圧倒的でした。また、再発防止のため、東京ガスと災害防止の協定の必要性についても語られました。

 あとは、現在話題の秘密保護法の問題点、TPPの功罪、あるいは身近なこととして、来年の市長選や再来年の市議選のことや、東邦亜鉛安中製錬所周辺の汚染土壌除去のための土地改良事業の見通しや、街路灯が暗いので省エネタイプのLED式に変えるべきだという提案、さらには太陽光発電パネルを付けて独立型にするなどして、街路灯をもっと増やして配備し、省エネと維持費の節減を図るべきだという提案が出されるなど、活発な論議が交わされました。

 村の住民のみなさんが、身の回りのことについて、世界情勢との関連から、非常に深く問題点を掘り下げて把握していることがよくわかります。

 かくして、時間があっというまに経過し、午後7時に中締めを行った後も、男性陣による論議はますます活発化し、気が付いたら午後8時を過ぎようとしていたので、区長から締めの挨拶をしてもらいました。

■このように、冬場、乾燥する上州西部の気候の特長に合わせて、昔からこの時期に行われてきた秋葉講は、住民への防火・安全意識の高揚はもとより、住民相互の親睦向上に資するものであり、今後も引続き継続して行うべきだという一致した意見が確認されました。また、こうした慣わしの行事について、そのルーツを調べ、意義を再認識する大切さも語れました。

 かくして、恒例の秋葉講を無事終えた住民の皆さんは、師走の夜道を家路に就いたのでした。

■なお、峯組の秋葉講と春契約では、平成16年までは、地元政治家による芳志と清酒の寄贈が続いていましたが、公職選挙違反ではないかということで当会が告発したことがあります。それ以降、この悪しき慣習は表面的にはなくなりました。
詳細は当会ブログ
http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/41.html http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/42.html http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/43.html http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/44.html  http://pink.ap.teacup.com/ogawaken/45.html
を参照。

【ひらく会情報部】

※参考資料(Wikipediaなどより)
【秋葉権現】
秋葉権現(あきはごんげん)は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。秋葉三尺坊大権現とも呼ばれる。観音菩薩を本地仏とし、75の眷属を従える。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、遠州大登山秋葉寺(しゅうようじ)から勧請された全国の秋葉社、秋葉宮で祀られた。
【由来】
秋葉山の山岳信仰に、信州出身の修験者である三尺坊を歿後に秋葉三尺坊大権現として御前立ちとして祀ったことが起源である。三尺坊は、越後の長岡蔵王権現の十二坊の第一である三尺坊に篭って修行したのがその名の由来であり、観音菩薩の化身とされた。遠州大登山秋葉寺から勧請された秋葉社が全国に広まった。
【秋葉信仰】
寛永2年(1625年)蘆月厳秀(ろげつげんしゅう)が住持の時、 遠州大登山秋葉寺で内部対立が生じ、厳秀派は曹洞宗の可睡斎に、反対派は当山派修験道の二諦坊に助力を仰ぎ、寺社奉行の裁定を受けた。徳川家康の判物を厳秀派が所持していたことにより、厳秀派の勝訴となり秋葉寺は曹洞宗に帰属し、可睡斎の末寺となった。
貞享2年(1685年)の貞享の秋葉祭り以降、秋葉三尺坊権現は火難除けの神として広く知られ、全国各地に秋葉講が結成されて、遠州秋葉参りが盛んになった。安永7年(1778年)には後桃園天皇の勅願所となった。
秋葉講
江戸時代の庶民にとって遠州秋葉参りの旅費は経済的負担が大きかったので、秋葉講という宗教的な互助組織(講)を結成して講金を積み立て、交代で選出された講員が積立金を使って遠州大登山秋葉寺に各秋葉講の代表として参詣し、火防せ・安全を祈願して帰郷した。また、遠州秋葉参りできない人々を考慮して、地元に秋葉権現を勧請した。秋葉講の講社の数は、盛時には全国で3万余を数えるほどあった。
【三大誓願】
秋葉三尺坊大権現の三大誓願は、以下の通り。
第一我を信ずれば、失火と延焼と一切の火難を逃す。
第二我を信ずれば、病苦と災難と一切の苦患を救う。
第三我を信ずれば、生業と心願と一切の満足を与う。
【真言】
オン ヒラヒラ ケンヒラケンノウ ソワカ
【神仏分離・廃仏毀釈】
慶応4年(1868年)の神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道の神である秋葉権現は廃された。明治6年(1873年)遠州大登山秋葉寺は廃寺に追い込まれ、秋葉神社に強制的に改組された。秋葉社の多くは、火之迦具土大神を祭神とする神道の秋葉神社となっている。
【秋葉権現を祀る寺院】
少数ではあるが、廃仏毀釈を免れて現在でも秋葉権現を祀る寺院は存在する。
秋葉総本殿可睡斎(静岡県袋井市)
秋葉山秋葉寺(静岡県静岡市清水区)
※群馬県にある秋葉神社:渋川市寄居町、みなかみ町日向
【秋葉神社御札デザイン】

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