市政をひらく安中市民の会・市民オンブズマン群馬

1995年に群馬県安中市で起きた51億円詐欺横領事件に敢然と取組む市民団体と保守王国群馬県のオンブズマン組織の活動記録

高崎高校センバツ出場と野球部後援会の使途不明金の光と影

2012-03-29 12:50:00 | 他の自治体等の横領事件とタゴ51億円事件
■31年ぶりに甲子園の土を踏んだ高崎高校野球部でしたが、残念ながら初戦突破の壁は破れませんでした。当初3月23日(金)午後2時からの第3試合の予定でしたが、予想外の降雨のため、当日の全試合が翌日に順延となり、さらに、24日(土)の第3試合となった再試合、3回裏の近江高校(滋賀)の攻撃中に雨で中断し、そのまま降雨ノーゲームとなりました。そして、25日(日)午後4時からの第4試合に組み込まれて、再再試合となりました。


高崎駅西口側のコンコースに飾られていた高崎高校甲子園選抜出場祝いの横断幕。2月8日撮影

 高崎は1回表、金子の適時二塁打で1点を先制。近江はその裏、藤原の適時3塁打で追いつき、3回裏にも藤原が適時二塁打を放って勝ち越しました。高崎は4回表、倉金の適時2塁打で同点に追い付きました。しかし、近江は4回裏、福井、橋本らの適時打など打者9人で6安打を集めて4点のリードを奪い、6回裏にも代打・宮北の犠飛で加点しました。高崎は5回以降、近江の村田から得点を奪えず、2対7で敗れました。

初戦敗退とともに撤去された高崎駅西口側コンコースの様子。

■敗れはしましたが、同校同窓生の悲願である31年ぶりの甲子園の夢をかなえてくれた選手らに拍手を送ると共に、これから夏の甲子園初出場に向けて目標を定め、気持ちを切り替えて再び活躍を期待したいと思います。また、高崎から出場したもう1校の選抜初出場の健大高崎は22日(木)の第2試合でセンバツ22度目出場の天理(奈良)を9-3で破り、初戦を突破しており、さらに27日(水)には九州大会の覇者である神村学園を3-1で退けて、引き続き活躍が期待されます。

一方、快進撃を続けてベスト8強入りを決めた健大高崎の横断幕は、高崎駅東口側コンコースに引き続き飾られている。3月28日撮影。

 ところで、高高のセンバツ甲子園は幕を閉じましたが、今回のセンバツ出場で奇しくも浮上した31年前の寄付金流出問題は、その後どうなったのでしょうか。2月2日付の東京新聞の記事はこの件を次のように報じました。

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センバツ出場 高崎高野球部 元役員ら500万円返済で和解 後援会の使途不明金問題
 31年ぶりに選抜高校野球大会への出場を決めた高崎高(高崎市八千代町)の野球部後援会で、過去に卒業生などから集めた寄付金で約2千万円が使途不明となり、元役員などから計約5百万円の返済を受けて和解したことが2月1日、分かった。現在の後援会関係者は「過去にけじめをつけ、甲子園に行くに当たり、理解と支援を得やすいようにしたい」と説明している。(菅原洋)
 後援会関係者らによると、野球部は1981年に同大会に初出場した際、約1億5百万円の寄付金が集まった。初戦で敗れたため、約8千万円が余り、一部を育英会資金などに充て、後援会が約3千万円を引き継いだ。
 その後、後援会は休眠状態が続き、2010年11月に復活させる際に約2千万円の使途不明が判明した。通帳や決算関係の書類は紛失したという。
 後援会関係者が3人の元役員に返済を求めようとしたが、既に2人が亡くなっていた。このため、元役員と遺族2組、後援会側の双方で弁護士を立てて交渉し、昨年末に計約5百万円を返済することで和解した。和解金は今回の出場資金として役立てる予定。
 後援会関係者は「二人は故人のため、全額返済を受けるのは難しかった」と話している。ある卒業生は「けじめがついたので、これからは気持ち良く支援し、部員たちには野球に専念してほしい」と語った。
(東京新聞2012年2月2日朝刊P26群馬版)
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高崎高の野球部後援会、使途不明2千万円…和解
 今春の選抜高校野球大会に2度目の出場を決めた群馬県高崎市の県立高崎高校の野球部後援会で、31年前の初出場時にOBなどから集めた寄付金に使途不明金が約2000万円あり、このうち約500万円を元役員らが後援会側に返済し、和解していたことがわかった。
 現任の後援会関係者の1人は「昨秋以降、選抜出場が有力になり、いつまでも未解決のままではいけないと思った。けじめをつけることで支援を受けやすいようにしたい」と話した。
 関係者によると、選抜大会に初出場した1981年に同校野球部の特別後援会が結成され、約1億500万円の寄付金が集まった。大会後、約3000万円が野球部後援会に引き継がれた。その後、野球部後援会は休眠状態となり、2010年11月の臨時総会で復活させる際に約2000万円の使途不明金が判明した。
(読売新聞2012年2月3日 )
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 また、この件については、群馬県立高崎高等学校野球部甲子園出場後援会のホームページhttp://www3.ocn.ne.jp/~tktkob/Baseballob/top.htmlにも経緯が記載されています。

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高崎高校野球部後援会使途不明金解決の経緯について
 31年前の選抜高校野球大会初甲子園出場の際、多くの方々の高崎高校並びに本校野球部への熱き思いが多額のご支援となりましたこと、改めまして関係の方々に対し御礼申し上げます。
 さて、その際寄せられた協賛金の残金の一部を高崎高校野球部後援会が引き継いだわけですが、昭和61年以降本会の総会、役員会は開催されず、決算報告も行われませんでした。
平成22年11月に臨時総会を開催し、実態の解明を決定し、弁護人を立て、相手方(前会長)と折衝しましたが、関係書類の提示、説明は全くありませんでした。
 平成23年5月事態打開のため、高崎簡易裁判所に民事調停申立を行い、調停を重ねましたが、長い年月が経過し又相手方が認知症という状況で事実の解明が困難でありました。平成23年12月相手方家族より債務550万円を返還するとの回答があり、これ以上の進展は望めないと判断し、不本意ながらこれを了承いたしました。
 事件が表面化して以来、多くの方々にご心配をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます。
 この教訓を生かし、これからは適切な会計計処理を行い、総会、役員会を毎年開催し、決算報告も適正に行いたいと考えておりますので、ご理解を頂きたいと存じます。
                     高崎高校野球部後援会
         会 長 若山 亨
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■当会では、高高野球部の31年ぶりのセンバツ甲子園出場が決定した今年1月27日以降も、大勢の関係者らからの聞き取り調査を続けて来ました。その結果、次の経緯が判明しました。

 まず、高高野球部の後援会を舞台に発生した事案ですが、多額の寄付金を流出させてしまった昭和61年以前の後援会を「旧後援会」、平成22年11月に24年ぶりに臨時総会を開催して、新たに立ち上げた後援会を「新後援会」と呼んで区別したいと思います。

 旧後援会の3人の元役員について、当会で調査したところ、いずれも高崎高校のOBで、卒業者名簿で確認すると次の3名の大先輩諸氏であることが判明しました。
①小山禧一氏(高高42期卒。前美峰酒類㈱会長、高高元同窓会長、高高野球部選抜甲子園大会出場特別後援会会長。2006年2月15日死去)
②中川保氏(高高52期卒。元㈲高崎刃物店社長、高高元野球部OB会会長。2009年7月頃死去)
③小森谷久氏(高高47期卒。現㈲小森谷商会会長、高高野球部後援会前会長)

■上記の通りいずれも地元の名士の方ばかりですが、このうち故人となったのは①②の大先輩で③の大先輩だけが存命です。新後援会の関係者が弁護士を立てて、昨年5月、高崎簡易裁判所に民事調停申立を行った際に、①②③の先輩諸氏の遺族或は家族もまた弁護士を立てて、本件について争う姿勢を見せました。

 新後援会が調停を申し立てる際に、弁護士に相談したところ、いろいろな問題が発生しました。それは、「誰が使ったのか分からない」「時効になっている」ということと、最も問題だったのは「法律的に被害者が居ない」ということです。これはどういうことかというと、多額の寄付金を管理していた旧後援会の団体そのものが消滅してしまっていたことです。

 勿論、旧後援会には3人の元役員の先輩がいたわけですが、寄付金を管理していた通帳や決算書類などが存在せず、旧後援会を運営する総会も全く開催されてこなかったため、旧後援会の存在を証明するものが何もない状態にあったということになります。

 当然、被告側として旧後援会元役員らも弁護士に依頼しているため、こうした状況については十分認識しているため、法的な責任を回避するための反論を準備してきたことは明白と考えられます。

■総会も開かず、通帳の管理もずさんだったため、そもそも旧後援会そのものの存在が法的に担保されている状態に無かったことになります。そのため、原告側(被害者?)の新後援会も被告側(加害者?)の元役員らにも、本来、調停を起こす資格がないため、新後援会が複数の弁護士に調停の代理人として要請しても、門前払いされたのは無理もありません。

 それでも、ようやく高崎高校OBの弁護士に無理やり調停代理人を依頼して引き受けてもらい、新後援会は旧後援会の3人の元役員を相手取り、高崎簡裁に調停を申し立てたのでした。

■寄付金を集めるために旧後援会という任意団体を形成したのはよいのですが、81年に甲子園が終わり、巨額の寄付金の分配を受けたあと、1986年までは旧後援会が存続していましたが、その後はうやむやになってしまいました。僅か5年間しか活動していなかったのです。

 旧後援会が実態として消滅してしまったため、通帳を預かっていた役員の皆さんとしては、残金や使途報告をする必要もなく、やがて報告義務のない使い勝手の良いカネだと錯覚するまでにさほど時間は要しなかったと推察されます。

 旧後援会が実態として消滅したため、残金が消滅しても、実態として「被害者」が存在しないという事態になったのでした。

■新後援会側が相談した法律の専門家である弁護士らは、「こういう状態だから訴訟適格が無いので勝ち目が無い」と後援会にアドバイスしたようですが、よく考えてみれば、被害者は道義的には寄付に応じたたくさんの高崎高校OBであり、この不祥事でイメージダウンをさせられた母校そのものであり、さらには甲子園出場を目指し野球に打ち込んできた現役の選手諸君です。

 もちろん、こうした不明朗な事態を憂慮していた野球部後援会関係者もいます。総会も開催せず、通帳の管理もされず、巨額の残金が使途不明となっていた問題をずっと引きずって来た高高野球部の旧後援会を「一刻も早く立て直し、きちんとやらなければ、高高OBの信頼を取り戻せない」と考えたのは、高高野球部の新後援会の現会長の若山亨氏です。

 若山現会長は、旧後援会で多少会計に関わっていましたが、当時の勤務先の都合で、時期的に地元から離れて東京に異動していた時期がありました。

 若山会長が、ひさしぶりに地元に戻ってきて、野球部後援会の様子を目の当たりにしたとき、総会も開かれておらず、通帳もどっかに消えてしまったことを知って大変憂慮されました。あとを引き継いでいた元役員のお歴々に、本来であれば「いったいどうなっているのか?」と質問したかったに違いありません。しかし、錚々たる重鎮の大先輩には、面と向かってなかなか切り出せなかったに違いありません。

 結局、真相解明は先送りとなり、2006年(平成18年)2月に小山禧一氏が物故し、2009年(平成21年)7月頃に中川保氏も物故したため、2010年(平成22年)11月に臨時総会を開催して関係者を招集し、本事案の実態解明を決定したのでした。

■ところが、前述のように、既に小山禧一氏も中川保氏も死去しており、実態の解明のカギを握っているのは、小森谷久氏のみとなっていたわけです。そこで、新後援会は小森谷前会長と折衝しましたが、前会長からは関係書類の提示や説明は皆無でした。

 そこで業を煮やした新後援会の野球部OBたちの間には、「訴訟を起こして断固戦おう」という機運が高まり、2011年(平成23年)5月に高崎簡裁に調停を申し立てたのでした。

 「訴訟も辞さない」という野球部OBの皆さんの気持ちは十分想像できます。

 「なぜ貴重な募金を、多くの同窓生らから集めた浄財を、あろうことか母校のOBであり野球部OBでもある大先輩たちが使っちゃって戻ってこないのか?それは絶対におかしい」

 こう思うのは極めて当然なことです。ところが、裁判所で調停という形での裁判に着手したのですが、3人の役員のうち2人はもう亡くなっており、残る1人からは痴呆症という診断書が弁護士を通じて提出されたのでした。

 このため、原告の新後援会が依頼した高高OB弁護士も「これ以上戦えない」というほどの事態に陥ってしまったのでした。一方で、冒頭の新聞記事にもある通り、時を同じくして、高高野球部が関東大会ベスト4となり甲子園出場がほぼ確実視されることになったため、急遽、和解の方向に動き出し、2011年12月に、相手方の家族から550万円を返還するとの回答があったため、この条件で手打ちをすることにしたのでした。

■実際に使途不明金として流出した金額は約2000万円ですから、550万円の返還ではまだ約1450万円ほど不足することになります。新後援会側は、裁判所に調停を申し立てる前に、若山会長自ら相手方の家族に対して交渉し、一生懸命説得を試みたようですが、相手方の家族は「家族としては何も事情は分からない」というばかりで、全然埒があきませんでした。

 「それでは仕方が無い」ということで、裁判に踏み切ったわけでしたが、相手方の家族は、元役員本人が認知症であるとの医師の診断書を弁護士を通じて裁判で提出してくる有様で、新後援会としては、着手金を支払い、高高OBの弁護士を起用して、トライしたものの、結局、中途半端な結末で幕が引かれることになりました。

 この結果に、新後援会の関係者の間には、不満が鬱積しており、悔しがる声が多数聞かれます。

■新後援会としては、31年前に初戦敗退したため、集まった約1億500万円の浄財のうち、経費として支出した残りの残金約8000万円のうち約3000万円を振り分けられ、その一部は確かに野球部が強くなるためのマシンだとか、ネットを整備する際の足しに費消されました。ただし、その分をひいても、まだ約2000万円残っているはずであり、これを基盤にして、新たに必要な資金を募金で集めるつもりだったに違いありません。

 しかし、旧後援会の収支を記録した台帳も銀行口座の通帳もなく、銀行に問い合わせても預金・支払いの状況や経緯は不明でした。総会が開催されなかったため、会計報告もなく、その後のフォローアップもありませんでした。

 若山現会長は、当初は自ら旧後援会の会計を見ていました。ところが当時の勤務先だった井上工業㈱の都合で東京方面に転勤を余儀なくされました。その間に、会計処理がいつのまにか、うやむやになってしまっていたのでした。

■既に鬼籍にある小山禧一氏は、かつて旧後援会の会長として、1981年のセンバツ出場の時の特別後援会をつくったほか、高高野球部が関東大会に出場したときも特別後援会を作っていました。また、小山禧一氏は高高の同窓会長にも平成2年~9年にかけて就任しており、政治的には福田派の総帥として知る人ぞ知る存在でした。

 同氏は、経済人として著名であり、美峰酒類㈱のほか、群馬酒造㈱(2007年3月末事業停止)、トヨタカローラ高崎、電算センター、スポーツジムなどを経営を手掛けていた事業家でもありました。1981年の高高野球部のセンバツ初出場の時、急遽特別後援会を結成し、短期間に1億500万円の浄財を集めた手腕はもう誰も真似できないでしょう。しかし、結果的にこうした結末になった事は、本人はどの程度認識されていたのかどうかは分かりませんが、晩節を汚した格好になってしまい、誠に残念です。

 同様に、2年半前に物故された中川保氏も高崎市鞘町で刃物店を営んでいました。高崎高校野球部OB会長を務めた方です。これ以外には、当会では、中川氏の情報はあまり持ち合わせていません。

■3名の旧後援会役員のうち、唯一存命されている小森谷久氏は、高崎市下豊岡町で保険代理業を営んでいる方です。この方の家族が、小森谷氏本人が認知症だとする医師の診断書を裁判で提出したのでした。

 「認知症だから、旧後援会の通帳のありかも、多額の残金の使途も記憶にない」という論理で、小森谷氏側が応訴してきたため、新後援会側も結局、流出した残金全額の回収を諦めて、550万円で手打ちをしたのでした。

 こうして、3名の旧後援会の役員の方々は2名が物故され、残る1名の方も認知症による痴呆症状のため、民事責任の追求に必要な「意思能力」が欠如している状況であることが判明したわけです。

■もしも今回の多額の残金の流出問題が着服、すなわち刑法第252条に定める横領罪に該当する刑事事件として取り上げられるという場合に相当すると判断されますと、刑事訴訟法第250条に定める「公訴時効5年」という壁が立ちはだかります。実際、刑事事件として提起しようという動きもあったようですが、会えなく時効の壁に阻まれて断念せざるを得ませんでした。

 一方、民事の場合、民法第709条に定める不法行為を行った当時、加害者が精神的に正常な状態であったならば民事責任を追究することは可能です。しかし、痴呆症のような「意思能力」を有しない人に対して民事訴訟をするためには、痴呆症の本人ではなく、本人の「法定代理人」(通常は成年後見人)を被告にして訴訟を提起する必要があることを民事訴訟法第31条では定めています。今回、本人の認知症の診断書が出ていることから、家族が法定代理人として応訴してきたと考えられます。

 民事の場合の公訴時効の観点からみると、民法第724条の「不法行為による損害賠償請求権は、被害者または被害者の法定代理人が、損害と加害者を知った時から3年間行使しないときには消滅する。不法行為の時から20年を経過したときにも消滅する」という定めがあるため、昭和61年(1986年)以降、6年以内にもし残金流出にかかる不法行為が行われていたとすれば、これもやはり公訴時効に該当することになります。

 他方、1993年以降に、不法行為があれば、それは時効扱いにはされないことになります。

■今回の騒動では、原告側から相談を受けた弁護人は、こうした「横領」という刑事罰のくくりではなく、民事事件としてどう扱うかという点で、いろいろ検討し考えあぐねた末に、一番問題なのは、「旧後援会が総会も開かず」「通帳も紛失してしまい」「銀行で収支の経緯を調べても分からない」という事情だったため、「被害者が存在しない」という状態のため、民事事件として俎上に載せるというより、道義的問題として調停に持ち込むのが精一杯だったと結論付けたことです。新後援会から依頼を受けた弁護人としては、最終的に加害者側から譲歩を引き出した結果、550万円を回収できたことを成果として強調したいところでしょう。

 しかし、約2000万円のうち550万円を回収できたと言っても、第3者から見れば損害額の27.5%しか回収できていないことになり、また弁護士費用もかかっているわけですから、正味の回収率はもっと低いことになります。

■ところで、小森谷久氏は現在も会長として、家族経営同然の有限会社形式の保険代理店業を営んでいます。同社のホームページhttp://komoriya.biz/guide/sut.htmlをチェックしてみると、「スタッフ紹介」欄に「こんなスタッフです。どうぞよろしくお願いいしたします。」として「小森谷 久(会長)」のことについて、次のように記載されています。

 「その独特なキャラで小森谷商店の基盤を作り上げました。現在、営業活動は息子に任せ、事務所の奥座敷に鎮座?しています。同じく一線を退いた方、是非遊びにいらしてください。う見えてお酒は飲めません。う煙草はすってません。っ食パーティでも座っています。さいも肉も大好きです。が昇る前から起きています。むさが体に堪えます。ょう和一桁生まれです」

 また、別のページhttp://komoriya.biz/archives/210には「谷課長の社内アンケート」と題して、同社のスタッフのアンケート結果として、小森谷久会長のことが次の通り掲載されています。

「お題:あえて聞きます! 将来の夢は?」
 ・仕事に復帰!会長
「お題 :思わずお上に代わって成敗しそうになる! ?? コレだけは許せないものってなーに?」
 ◇禁煙禁煙の世の中(会長)
「お題 :なぜか許しちゃうものってなーに?」
 ◇食べすぎること(会長)
「お題 :最近おこった自分事件は?」
 ◇ちょっとだけ痩せた!?(会長)・・食事の量が1人前程度に減ってきたようです。
「お題 :もしも自分が独裁者だったら?」
 ◇寝ていたい(会長)
「お題 :もしも3億円の宝くじが当たったらどうする?」
 ◇小森谷商店のために働いてくれている人たちに全部さしあげたい。(会長)

■こうしてみると、まだまだ認知症の症状は軽度であるという感じがします。当会は、実際にご本人と面談して、事情をヒヤリングしようと考え、同社のホームページを通じて、先日、質問をしてみました。

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(3月2日)
高崎高校野球部後援会の資金流出について
 前略 突然のお問い合わせで大変恐縮です。
 私は高崎高校の第69期の卒業生で、安中市に在住しており、市民団体の代表をしている者です。
 1981年春、高崎高校野球部が最初に選抜甲子園出場のときは、先代の父親(高中第35期卒)の分と合わせて2万円を寄付させていただいた経緯があります。
 このたび、31年ぶりに母校野球部が選抜に出場するに当たり、新聞で当時の寄付金の剰余金のうち野球部後援会にまわった約3000万円のうち約2000万円が行方不明になったということ報道に接して心を痛めている卒業生のひとりです。
 この件で、貴社の前会長が野球部の後援会の役員をされていたことを知りましたが、行方不明になった余剰金の行方や経緯について教えていただければ幸いです。
 この件がどうしても心に引っ掛かり、今回の31年ぶりの母校野球部の選抜甲子園出場に対して、不祥事の顛末がわからないと、安心して寄付をしたいという気もちになれないためです。
 このメールあてで構いませんので、本件についてご存じの範囲で教えていただきたくよろしくお願い申し上げます。草々
安中市野殿980 小川賢
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 すると自動返信で次のメッセージが折り返し、発信されてきました。

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(3月2日)
件名: 小森谷商店お問合せ控え高崎高校野球部後援会の資金流出について
小川賢 様
 小森谷商店へお問合せいただきありがとうございます。
内容を確認させていただき担当者よりお返事させていただきます。
 なお、弊社に無関係と思われる内容、個人のプレイバシーにかかわるご質問にはお答えできない場合がございます
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 そこで当会から、次の返事を発信しておきました。

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(3月2日)
小森谷商店 谷様
 さっそくのご連絡ありがとうございます。
表記に関しては、縷々高崎高校野球部の関係者ら(OBらを含む)から説明を聞いておりますが、貴社前会長様が役員をされていたということで、ぜひコメントを戴きたく存じます。
 できるだけ多くの関係者の皆様のコメントを戴いた上で、今回の母校の選抜出場に向けた寄付行為を判断したいと考えております。
 お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
安中市野殿980 小川賢
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 その後、しばらくして、次のメッセージが同社の代表取締役の方から送られてきました。

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(3月7日)
小川様
 この度はお問い合わせを頂いたにも関わらずお返事が遅くなりもうしわけありませんでした。
 私はN学園の出身であり、当時小学生だった事もありその時の記憶はほとんどありません。
 当時の高高野球部後援会の関係者はほとんど他界しているとお聞きしており、私の父親も現在認知症を発症しており2年以上入院したままです。
 私が申し上げる事ではないかもしれませんが、おそらく当時の事を憶測で言う方は多いと思われますが正確に知る方は皆無だと思われます。
 ただ、地元の人間として高崎高校野球部のご活躍をご祈念申し上げます。
有限会社 小森谷商店 代表取締役 小森谷 剛
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 そこで、最後に、本件について当会が把握した経緯が正しいかどうかを確認していただくため、次の内容について連絡を同社代表取締役のかたに差し上げました。

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(3月8日)
有限会社 小森谷商店
代表取締役 小森谷剛 様
件名:高崎高校野球部後援会をめぐる事件の真相解明と責任所在明確化と再発防止について
 ご返事深謝申し上げます。
 本件については、憶測の部分を最小限にしようと各方面の関係者からヒヤリングをしてきました。
 これまでのヒヤリング結果では、当時の役員の方々が3名本件に関係されて、そのうち後援会長をされていた小山大先輩と、市内で刃物店を営んでいた大先輩は他界され、存命されておられるかたは小森谷大先輩のみとお聞きしております。
 2010年11月に野球部後援会があらためて活動を再開しようとしたところ、31年前に後援会に渡った3000万円のうち野球部の練習用具を整備したのこりの約2000万円くらい残っていたはずの通帳が見当たらず、当時の役員をしていた関係者およびその遺族にも確認したところ、行方不明となっていることが判明したため、小森谷大先輩にいろいろと聞いたところ、それでも事情がよくわからないため、結果的に後援会が当時の役員のみなさんを相手取り訴訟を起こしたと聞いております。ところが、通帳がない為、何人か弁護士に掛け合って相談しても取り合ってくれず、ようやくOBの弁護士がなんとか引き受けたので、地裁に提訴したところ、小森谷大先輩を含む元役員ら関係者がやはり弁護士を立てて応訴したということをお聞きしております。
 故人となった2役員の遺族は「事情をしらないので」と主張され、小森谷大先輩からは「認知症のため記憶がない」ということでその根拠となる医師の診断書を提出されたということで、そもそも使途が不明という状況の中で証拠提出も互いにままならない状況で、まさかの高崎高校野球部の活躍があり、ズルズルと裁判を続けていると週刊誌の格好のネタにされかねないとして、最終的に後援会と役員らとの間で約550万円で和解となったというふうに聞いております。また、この件に関連して、ある遺族が責任を感じて、かなりの金額を後援会の口座に入れておいたが、それがいつのまにか消えてしまったという情報もあります。
 また、2000万円の使途については、後援会の役員が、あぶく銭という感覚で後援会の集まりなどで飲食に使ってしまったのではないか、という見方や、あるいは個人的な目的で費消してしまったのではないか、という見方もあります。これらについて、憶測が憶測をよび、事実とかけ離れた情報が独り歩きをすることだけは避けたいと念じて、このたびこのようなぶしつけなかたちでお願いをしたものです。
 いずれにしましても、小森谷大先輩からコメントを戴きたかったのですが、やはり認知症で2年も入院中ということですと、私の願いもかなえられないことのようです。
 貴殿は地域の中で信用を大事にされて事業を営んでおられるわけですが、こうした事件にお父様であり貴社の会長である大先輩が関与していたことはまことに残念でなりません。
 また、貴殿の兄弟のかたも母校の同窓生で、貴社と同じ業界の大手企業にお勤めだときいております。この事件のことも当然ご存知だと思います。顧客の大切なお金を取り扱う保険・損保業界において、信用第一がモットーということは、申し上げるまでもなく、皆様は十分に認識しておられることと存じます。
 私は、この高崎高校野球部後援会をめぐる事件の真相解明と責任所在明確化と再発防止についてきちんと総括をしなければならないと思う一念で、これまでいろいろな関係者からヒヤリングをしてきました。最後に小森谷大先輩の言い分を聞かなければ不公平だと思い、ざっくばらんなコメントを得たいと思った次第です。
 ご子息である貴殿からの説明が得られた為、これ以上、この件でお問い合わせすることはありませんが、依然として憶測の域を脱しきれないままの状態で、本件の総括を行わざるを得ないことは本当に残念です。
 なお、もしも、私のヒヤリングした上述のなかに、なにか間違いや誤解などがあれば、ご指摘いただければ幸いです。
 乱筆乱文ご容赦ねがいます。
 最後に貴社のますますのご発展を祈念しております。
安中市野殿980 小川賢
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■以上の通り、旧後援会の残金流出問題の顛末を調べてみましたが、次のことを感じざるを得ませんでした。

 ご承知の通り、高崎高校は、総理大臣を2名輩出しておりますが、そのため、福田系と中曽根系という2つの大きな政治パワーの影響を受けて、同窓会を起点とする人脈ネットワークが構築されているのが事実です。

 前回、1981年の甲子園センバツ出場の際に、寄付金集めの旗振り役をした小山禧一氏は福田系の総帥だった人物でした。そのため、同氏のネットワークをフルに活用して旧後援会にあっというまに1億500万円もの浄財が集まったのでした。

 そうした雰囲気の中で、なんとなく選挙のときの政治資金のような感じで、関係者の間には“掴みガネ”といった気持ちが無意識の中にあったのではないでしょうか。また、きちんとした経理処理がなされていないことが気になった若山亨氏のような良識ある方でも、やはり地元政界に太いパイプを持つ小山氏に対して、直接意見を具申する勇気はさすがに持ち合わせていなかったようです。

■また、次のエピソードも当時ささやかれていました。

 1981年(昭和56年)の春、高崎高校が甲子園選抜大会に出場した時、旧制第一高等学校時代に硬式野球部にいたという福田赳夫は喜んで寄附に応じたが、中曽根康弘は「たかが高校野球」とか何とか言って、いい顔をしなかった。たちまち、高崎高校の同窓生から猛反発が出たため、慌てた中曽根康弘は、高崎高校野球部のチームが出発する日、高崎駅へ激励に駆けつけた。

 今回、今年の1月28日(土)に高崎ビューホテルで開催された第110回高崎高校同窓会新年総会には、大勲位の中曽根康弘氏が自ら登場して祝辞を述べたように、高崎高校の同窓生にとって、野球部の甲子園出場は歴史的快挙であり、その愛校心を刺激するまたとないイベントであることが分かります。31年前は、政治的な集票ネットワークをも駆使して、それに便乗した格好で、巨額の資金がたちまちのうちに集まったのでした。

 その結果、皮肉にも今回のような不透明な事案が発生し、その後処理で、誇り高い同校野球部OB関係者は、一昨年の秋頃から今年にかけて振り回され続けたのでした。

■これに懲りた新後援会は、再発防止策として次の対策を掲げて、高崎高校OBに対して募金を必死に呼びかけたのでした。

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甲子園出場募金の管理について
 日頃より皆様方から暖かいご支援ご厚情頂きまして、誠にありがとうございます。
 さて、本会は皆様から寄せられた貴重な協賛金を適正に管理するため、以下のような会計制度で運用していることを報告いたします。
①会計処理を複数人で行うこと。
②口座名義人とは別のところで通帳・印鑑を管理すること(学校の金庫で保管、管理する)
③支出決定事務と支払い事務を峻別し、別人で行うこと。
④弁護士・公認会計士・税理士等で構成する資金管理委員会を設け、臨時監査、検査を行うこと。
       群馬県立高崎高等学校野球部甲子園出場後援会
           会 長    原 浩一郎
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2月当初に全同窓生に発送された「群馬県立高崎高等学校 第84回選抜高等学校野球大会出場募金趣意書」。

 当初の募金目標額は6000万円を設定していたそうですが、一体どの程度の浄財が今回寄せられたのかは定かでありません。残念ながら高高は初戦敗退したため、今回、費消した金額はさほど大きくはなかったものの、雨で2日間も予定を狂わされた多数の同窓生OBや学校関係者らの熱意はたいへん大きかったのは事実でした。

 そしてなによりも、甲子園出場の夢を実現してくれた現役野球部の選手たちに、感謝の気持ちを伝えたいと思います。

■春のセンバツでは残念ながら今回も初戦突破の夢は果たせませんでしたが、まだ夏の甲子園大会や、秋の関東大会と、引き続き目標は続きます。ぜひまた高高同窓生のために、夢をふたたび実現できるよう、選手諸君の活躍を祈念します。

【ひらく会情報部】


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