田舎に住んでる映画ヲタク

「映画大好き」の女性です。一人で見ることも多いけれど、たくさんの映画ファンと意見交換できればいいなぁと思っています。

ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館(the woman in black)

2012年12月21日 00時41分49秒 | 日記

 

 「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフが主演するゴシックホラー。19世紀末のロンドン。愛妻を亡くし、失意のどん底にいた若き弁護士アーサーは、事務所の所長に命じられた仕事のため、ひとり息子をロンドンに残し、とある田舎町に赴く。その町で最近他界した老夫人の遺言状を見つけ出さなければならないアーサーは、老夫人が住んでいた館に足を運ぶ。しかし、沼地に建つ館には異様な雰囲気が漂い、謎めいた黒衣の女がたびたび出没。やがて館の忌まわしい過去と、町の子どもたちが相次いで変死している事実を探り当てたアーサーは、恐るべき呪いの連鎖に巻き込まれていく。(映画。comより)



 久々に正統派ゴシックホラーを見ました。お話にヒネリはありません。さすが老舗のハマー・フィルムなだけあって、血や肉が飛ぶことなしに場の雰囲気や気配だけで怖がらせる、という特徴はあるものの、大体予想できるお話ですし、鮮やかなからくりもありません。本当に恨みがなせる技だったのです。

ハリー・ポッター君は優男全開で、妻が恋しくて立ち直れない男を熱演。なかなかハマってます。しかし、落ち込んでばかりいては生活が成り立ちません。幼い息子もいることですし、上司に「これが最後のチャンスだ。これができなかったらクビだ」などと言われ、背水の陣で気色の悪い館へ赴きます。

しかし、本当に薄気味の悪い館でした。そこへ通ずる道は一つしかなく、しかも満潮時、その道は水没するのです。水が引くと渡れます。だから常にジメジメしていて、館の主の幼い息子が沼で溺死したと聞いても「さもありなん」って感じです。

そりゃ他の土地を買って家を建てるとなると、莫大なお金が必要となるから、思い立ってできることではないのでしょうが、なんで引っ越さなかったのかと思いました。先祖代々の土地だったのかなぁ。

ともかく、その女主人の遺書を探し、遺品を整理するために奮闘するダニエル君。


<ここからネタバレ>

その調査の過程で、亡くなった7歳の息子は実は女主人の子ではなく、その妹の子であったこと、またその妹は精神鑑定を受けていたため、愛しい息子を取り上げられたこと、そして姉が思うように会わせてくれなかったことを恨んでいたこと、などがわかってきます。

そして、沼に車輪を取られて溺れたとき、姉だけ助かって息子が溺死したことで「息子は見殺しにされた」と恨みmaxになっていたこと、「絶対に許さない」と記して自分も姉の死後、首を吊って自殺していたこともわかります。

そして、村人が口にしてた通り、その黒衣の女の姿を見ると子供が一人、また一人と彼女に導かれるようにして死んでゆくのです。それはダニエルが来る前から起きていたことなのですが、彼が再び館を開け放ったことで、また頻繁に起こるようになります。

ホラー映画って、いつもそうなのですが、まったく関係のない人まで巻き込みますよね。もっとも最近では「スペル」とか、全然悪いことしてない人まで平気で巻き込む傾向ってありますよね。これって、本当にそんなものなんでしょうか。自分が思うに、多分恨みを持って死んでも、その恨みのある人に復讐することはあっても、関係ない人に手は出さないと思うんですけど・・・。

ともかく、「次は自分の息子かも」と思ったダニエル君、俄然強くなります。なんとか彼女の恨みの元を断とうと、沼に少年の遺体を捜しに潜ります(!)。そしてすぐに「足元になにか感じる。あるぞ」とか言って、車(多分馬車)ごと引っ張り上げます。そして、協力してくれている町の富豪と一緒に泥だらけの少年の遺体を上げるのです。

こんな浅いところにあったのなら、なんでちゃんと捜して埋葬しなかったのでしょう。ずっと「遺体はあがってない」って言われ続けていたのに。女主人もさ!自分の子として育てていたのなら!

そして、館で少年の遺体と黒衣の女性(妹ね)を引き合わせたダニエル君、彼女と同じお館に少年を埋葬し、一件落着。もうこりごりだったダニエル君は、せっかく会いに来てくれた息子とも現地で過ごさずに、すぐにロンドンに連れて帰ることにします。なんだか安心しちゃってるダニエル君は、富豪と談笑したりしています。

でも、ここで終わらないことは、うすうすわかります。日本の「リング」を思い出して下さい。かの主人公たちも、「これで霊は成仏した」な~んて、生きてるものの思いこみに過ぎないんだ、ってことを証明してましたよね。

その通りなんです。彼女は、まだそこにいます。
そして、最終的には・・・息子共々、助けに入ったダニエル君も連れて行ってしまいます。

でもね、その先で、彼は愛しい妻に再開します。母の顔を知らない(出産で死亡したため)息子は「パパ、あれはだあれ?」と問います。パパは「君のお母さんだよ」と言って、3人、手をつないで同じ方向に歩いてゆくのです。ダニエル君の幸せそうな笑み。the end.

これは私の持論なのですが、「私の中のあなた」でも、アビゲイル・ブレスリンが病気の姉に「わかるようにして待っててね」というと「わかった。○○の看板のそばにいるね」と言う意味の答えをしていたように、向こうで愛しい人に再会できて、みんなで一緒に暮らせるのなら、死ぬこともそう悪いことではないと思うのです。もちろんこんな考え、間違っているかもしれません。ただ私が個人的にそう思っているだけですから。

でも、そういう意味では、怖いだけの映画ではなかったように思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボス その男シヴァージ(sivaji-the boss)

2012年12月17日 23時55分14秒 | 日記

 


 インド映画界を代表するスター俳優ラジニカーントが主演を務め、インドで記録的ヒットを叩きだしたアクション・エンターテインメント。アメリカで成功を収めたインド人実業家シヴァージは、南インドの故郷チェンナイに無料の病院を建設することに。しかし、病院ビジネスを独占する悪徳企業家アーディセーシャンの妨害にあい、シヴァージの病院は建設中止に追い込まれてしまう。そこでシヴァージは、自らも裏工作を繰り返して計画を進めようとするが……。(映画com.より)


 本編だけでざっと185分。久しぶりに意気込みました。水分を控えたりしてね(笑)。

あらすじは上に書いてある通りで、あとはあり得ない話がぶっ続けで表現されるだけです。もちろん、歌と踊りはてんこ盛り。しかし、ラジニカーント、60歳もまわっているというのに、本当に本人が踊っているんだろうか。なかなかにキレのある動き。そう思って見れば、時々ずれてることもなくはなかったけれど、それにしてもすごいダンス。やっぱりすごい。まぁ、若い頃からずっとやってますものね。

インドにはそろそろ彼を凌ぐスターが出て来てもいい頃だと思います。だってね、アメリカで成功した息子がインドに帰ってくる、って設定なんだけど、お迎えに来ている母親がどう見てもラジニカーントより若い。「おじさん」になるという親戚もすごく若い。まぁ、若いおじさんというのはよくありますけど。

そして、「万年青年」のラジニは、生粋のタミル女性を捜して恋をするのです。いくつになっても求婚する役をこなすあたりは、まるでジャッキー・チェンみたい。

ともかく、あり得ないけれど楽しくて華やかなお話が、勧善懲悪で進みます。しかし、今回は「目には目を、悪には悪を」の精神で作られたらしく、ラジニもリベンジする時点でかなり悪いこともします。「この国って、なんでもアリ?」って感じです。

まぁ、賄賂の額ですべてが決まる、というのはどこの国でもある程度は真実でしょうし、学校や病院を無料で開放できれば、国民は喜ぶでしょう。そういう意味で、今までの映画とは趣を変えたのかもしれませんが、なんかこう・・・違うんですね、期待していたものと。

もちろん、映画は楽しかったですよ、華やかでしたし。無意味なスキンヘッドも笑えたし。でも、個人的には(予告しか見てないけれど)「ロボット」のほうがおもしろかったんじゃないかなぁ・・・と思います。

しまったなぁ、「ロボット」を見とくんだったな(笑)。

もうすぐシャー・ルーク・カーンの「ラ・ワン」も来ると聞いてます。この人たちって、よっぽどスーパースターなのね。

そろそろ第二のラジニカーントを渇望します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砂漠でサーモン・フィッシング(salmon fishing in the yemen)

2012年12月11日 23時30分40秒 | 日記
 
 
 英国で一大ブームを巻き起こしたポール・トーディの小説「イエメンで鮭釣りを」を、「スラムドッグ$ミリオネア」のサイモン・ビューフォイ脚本、「ギルバート・グレイプ」のラッセ・ハルストレム監督で映画化。無謀な国家プロジェクトに巻き込まれた主人公の学者が奔走する姿や、プロジェクトにかかわる人間たちの恋や友情をユーモラスに描く。英国の水産学者ジョーンズ博士のもとに、砂漠の国イエメンの大富豪から、鮭釣りがしたいのでイエメンに鮭を泳がせてほしいという依頼をもちこまれる。そんなことは不可能と一蹴したジョーンズだったが、中東との緊張緩和のためにと外務省が支援を決め、首相まで巻き込んだ荒唐無稽な国家プロジェクトに展開してしまう。ジョーンズ博士役にユアン・マクレガー。共演にエミリー・ブラント、クリスティン・スコット・トーマスら。(映画.comより)


 これはよくできた娯楽作ですね。適度にイケメンを配して、適度に政治風刺があって、イギリスっぽいブラックユーモアも適度にあって。楽しめました。

それにしても、冴えない男をやらせたらユアン・マクレガーは本当にうまいですね。なんだったか、随分前に見たアシュレイ・ジャッドとの共演作を思い出しました。魔性の女アシュレイに密かに目を付けたユアンは、彼女のいない間に訪ねていって大家さんにあれこれ聞くのです。帰宅してからそれを教えられたアシュレイは、「どんな男だった?」と問うのですが、大家の女性は「さぁ~、普通の男としか言いようがないわ」と答えるのです。言い得て妙、とすごく納得したものでした(笑)。

ともかく、「普通の男」ユアンはしかし、優秀な水産学者です。独自のルアーを考案した実績もあり、白羽の矢が立ったのです。

彼を説得するエミリー・ブラントがまたすごい。とても理論的で、どんな難題にもひるみません。またイエメンの富豪の経済力もすごい!単位がポンドだったので、「まずは5000万ポンドの資金を」と言われてポンと出すシーンのすごさがわからなかったのですが、換算すると約65億円ですよ!あとからびっくりしました。それが手付金なのですから。

中東に派兵しているイギリス政府は、その情勢悪化のニュースをごまかすため、ほのぼのニュースを所望。そのため、こんな荒唐無稽なプロジェクトが強力に推し進められることになるのです。

しかし、エミリーの彼氏が兵士だったために、中東で消息がわからなくなったとか、そんなサイドストーリーも盛り込まれ、あれだけ理論家でユアンを言い負かしていたエミリーが、その辺の女よりも取り乱します。これには驚きました。人にあれだけ言っておいて自分のその態度はどうよ、とも思ったけれど、
そこはそれ、若い美人ですからユアンも優しく慰めます。

ともかく、そんなこんなで一大プロジェクトが進んでいくわけです。しかし現地でも、西欧化をいやがる勢力もあったりして、一筋縄ではいきません。

政治家のいやらしい魂胆も微妙に絡みながらも、物語は収束してゆきます。要は、みんな、あるべき位置に戻るのです、というか立つのです。誰も(ってこともないけど)悲しまないし、傷つかない。傷ついたであろう人も、立ち直りオーラ出てるし、大丈夫。そんな物語です。
 
そうそう、この原題、「Yemen」って国名だと思うのに、なんで「the」が付いてるんだろ。

監督 ラッセ・ハルストレム。(でも、私はやっぱり「ギルバート・グレイプ」が一番好きかなぁ・・・)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローマ法王の休日(habemus papam)

2012年12月09日 19時57分46秒 | 日記
 
 
 『息子の部屋』でパルムドールを受賞したナンニ・モレッティ監督が、新ローマ法王に選ばれた枢機卿の苦悩を描いたハートフル・コメディー。法王逃亡という衝撃的な展開や、ローマ法王が選出される選挙(コンクラーヴェ)の様子などをシニカルに描写し、第65回カンヌ国際映画祭で好評を博した。法王就任という重圧から街へ逃げ出すものの、街の人々との交流を通して信仰心や法王の存在意義を見つめ直していく主人公を、フランスの名優ミシェル・ピッコリが哀感を漂わせながら演じ切る。(シネマトゥディより)


<ネタバレあり>


 地方の「サロンシネマ」に降りて来た映画。こういう類の映画は、上映館が少ないので、降りてくると「やった!」という気分になります。案外に満席近く埋まってました。

予告で見る限り、もっとコミカルなものかと思っていたのですが、そうでもなくて、主人公たちが年輩者だからか、あるいは取り扱うものが法王やコンクラーヴェという重厚なものだからか、テンポの遅い、ゆっくりした映画でした(隣のおじいさんは最初からぐっすり居眠ってました・笑)。

原題はラテン語で「法王が決まった」とかいう意味らしいです。邦題のほうがずっとコミカルですね。これは日本で人気の「ローマの休日」に掛けてあるのか。でも、結論はアン王女とは全然違います。

さて、こういうことは、まま起こるとは思うのですが、コンクラーヴェにて、有力視されていた枢機卿たちが過半数を取れずに、何度もやり直しているうちに、誰もが驚くダークホースが選ばれてしまうのです。それが今回の主役、ミシェル・ピコリ。

そんな大それたこと、本人は予想していませんでしたし、周りもそうです。やるべきこと、やらなければならないことは頭では重々わかっているのですが、やがて重圧につぶされ、わけがわからなくなります。

大勢の信者たちが待ち続けているのに、肝心の法王が皆の前に出てくれません。アセる取り巻き。セラピストを呼んだり、一時的に教会の外へ連れ出したり。そんなとき、一瞬の隙をついて法王が逃げてしまいます。と言うか、取り巻きが見失ってしまうのです。

街中でこっそりと一人の老人(法王)を見つけるなんて、至難の業。かたや、民衆は待ち続け、その期待に答えるために背格好のよく似た人物をカーテンの陰で歩かせたり、教会では取り繕うのに必死です。また、コンクラーヴェが完全に終わるまでは外出できない枢機卿たちとセラピストも、暇を持て余すようになり、カードゲームをしたり、しまいには出身地対抗でバレーボールの試合をしたり。これが結構盛り上がるんですね(笑)。普段は睡眠薬や精神安定剤なんか飲んでる枢機卿たちも、生き生きし始めたりします。

さて、徘徊(?)に成功した法王は、若い頃役者志望だったことを思い出したり、街中の人々の親切に遭遇したり、教会では出来ない経験を重ねます。

でも、だからと言って、そんな短い期間に一回り大きく成長して帰ってくるわけではありません。

映画なのに、こんな終わり方でいいの?そう、ピコリは「やっぱりできないものはできない。私は指導するべき人間ではなく、指導される側の人間だ」とはっきり悟り、あろうことかバルコニーで、信者たちに向かってそう宣言してしまうのです。そして、退場。ジ・エンド。

え?え?これで終わり?って凡人な私は戸惑いました。

しかし、人にはそれぞれ器というものがあります。よく、成功した人が「諦めないでがんばれば、夢は必ずかなう」とか言いますが、それはあなたに才能があったから。誰にも同じだけの才能と運があるわけではないのです。

そんなこと、庶民ならみんな知ってますよね。だから、こういう結末もアリなのでしょう。果たしてバチカンで許されるのかどうかは別として。

コンクラーヴェと言えば、ほん数年前にありましたね。日本でも放送されてましたよね、煙の色とか(笑)。解説もされてました。ちょっとそんなことも思い出したり。

あと、監督のナンニ・モレッティがセラピスト役で出ずっぱりでした。今までこんなに出てたかな?と思うくらい。シャラマン監督かと思いました(笑)。

コンクラーヴェも選挙ですから、もっと陰謀渦巻いてるのかと思ったのですが、案外みんな優しくて仲良く、誠実でした。まぁ、篤い信仰心を持ってますものね、当たり前か・・・。

ピコリさんも、いい具合に歳取ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トラブル・イン・ハリウッド(what just happened)

2012年12月08日 12時17分21秒 | 日記

 

 『アンタッチャブル』『ファイトクラブ』などのプロデューサーの回想録を映画化した、ハリウッドの内情を描いたシニカル・コメディ。ワガママで横暴な大物スターや、何よりも興行収入を重視する映画スタジオ社長、自分のこだわりを通そうとする映画監督らの姿を自虐的に描いている。プロデューサー役を演じるロバート・デ・ニーロは、実際に本作でプロデューサーを務めている。マイペースでワガママな大物映画スター役でショーン・ペンやブルース・ウィリスが実名で出演しているのも話題。監督は『バンディッツ』のバリー・レヴィンソン。一度の失敗ですぐに地位が危うくなるハリウッドのパワーバランスを、ユーモアたっぷりに皮肉って見せている。(gooより)

 

 この作品、公開されたのかなぁ。私はwowowで見つけておもしろそうだから録画したんだけれど、あんまり記憶にないんですよね・・・。

さて、この映画、よくある業界モノです。内情をリアリティたっぷりに描く、なんて聞きあきたセリフですが、ロバート・デ・ニーロやショーン・ペン、ブルース・ウィリスと聞くと、「これはまた違うのかも」って思いますよね。

結論から言うと、違いませんでした(笑)。大物俳優が揃って出てるわりには、売れっ子俳優の超ワガママぶりなど、既視感が強く、会社で言うと”中間管理職”にあたるデ・ニーロの奔走ぶりのみに焦点が当てられている感じです。

そうはいっても、デ・ニーロだって“円満離婚”するためのセラピーをロビン・ライトと受けてるし、その前に離婚した妻との間にはクリスティン・スチュワート演ずるかなり大きな娘がいるし、あれもこれもと奔走する姿に悲哀はあるのですが、自ら撒いたものもあるようで・・・。

「世界の大物プロデューサー30」に選ばれるほどの名プロデューサーでも、結局はどうってことない・・・そんなことが言いたかったのかも。

しかし、こんなに俳優や出資者の板挟みになる姿を見ていると、日本の小売業の世界を想起しました。もっとシンプルに、間に何人もの人を挟まずに物事を進められたら、こんな複雑なことは起きないはずです。

売れっ子は忙しいから、エージェントがいるのは仕方がないのでしょうが、実際にお金を出す人が「こうするように」と言ったものを何人もの人を経て、エージェントへ。しかし、俳優は「いやだ。これは俺のこだわりなんだ」と言う。すると、エージェントも率のいい給料を失いたくないから、俳優に強く言えず、「ダメだと言ってる」と返す。するとそれをまた、何人もの人を経て出資者に伝える。そんなことを何度もやってるうちに「何度言ったらわかるんだ」「こちらの言うことを聞けないのなら、製作を打ち切って訴訟を起こすから覚悟しろ」となる。

これが現実なんだろうけれど、なんだかアホらしい。出資者と俳優が直接会話できれば、話は早いはず。こだわりを捨ててでも出たいと思えば出ればいいし、逆にお金を出す方が「なるほど」と納得すれば俳優の言うようにやればいい。

監督と出資者との確執も描かれるのだけれど、こちらも同じこと。プロデューサーと呼ばれるデ・ニーロのような人たちが、あちらでもこちらでも機嫌取りをするから、話がこじれる。もっとも、この監督(演ずるはマイケル・ウィンコット)には、デ・ニーロもお金を出すキャサリン・キーナーも一杯喰わされるわけですが(しかし、この展開は予想できる)。こんなことして、この監督、次はないんでしょうね。それとも、業界にはこういうエキセントリックな人が好みのプロデューサーもいるのが現実なのかな。

ともかく、「この中間層(?)に払うギャラがもったいないよなぁ」と思った次第でした。

普通~~の映画です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする