今井正監督・脚本 石坂洋次郎原作 井出俊郎脚本 原節子 杉葉子 池部良 伊豆肇 小暮美千代 1949年東宝
戦後に限らなくとも日本を代表する女優というと、誰を思い浮かべるだろうか。
年齢によって違うのはもちろんだが、無作為に選んだ映画好きの人間による投票をしたとする。
散々悩んで、あれやこれやと消したり加えたりして、結局はトップ(あるいはそれに次ぐ順位だとしても)には原節子が残るのではないだろうか。リアルタイムで原節子の映画を観ていなくとも、今ではリバイバル映画館でなくとも、ヴィデオやDVDで観ることができる。
実際、原節子の映画をリアルタイムで観た人は現在では極めて少数であるに違いなく、その数は減る一方である。私も彼女の映画を観たのは、後の名画座とかテレビ放映でである。
現在、平成19年だが、少なくとも昭和の時代の代表的女優は原節子だったに違いない。
そして、戦後の青春文学というと、戦後すぐに石坂洋次郎の「青い山脈」が登場する。こちらは、文学の世界からはすっかり消え失せてしまい、映画の中で生き続けているのみである。
この「青い山脈」は、戦後、小説はベストセラーとなり、1949年、映画、音楽も大ヒット。三冠王と言っていい。
この「青い山脈」の女学生役でデビューしたのが杉葉子。当時としては163センチという大柄で、溌剌とした容姿で一躍スターとなった。彼女の男子学生と親しくした行動が、女子生徒の間で問題になる。
その彼女を擁護し学校の民主化を唱える先生役が、原節子である。
映画の中で、杉と原の二人が野原でダンスを踊る場面があるが、どちらも遜色ない背格好なので、原節子も当時としてはかなり大柄であることがわかる。
2代目が、1963年封切りで、女学生役が吉永小百合で、先生役が芦川いづみだった。
1988年にも映画化されていて、工藤夕貴、梶芽衣子主演である。何と第1回目に男子学生役で主演している池部良が、40年目に特別出演している。
杉葉子は、その後何本かの映画に出演したが、62年にアメリカ人と結婚して米国へ移住してしまった。
さて、原節子の話に戻る。
発売中の12月号の「PLAYBOY」(日本版)は、「最もセクシーな世界の美女100人」の特集である。日本人が1人も入っていないからであろうか(ちなみに中国人はチャン・ツィイー、コン・リーの2人が入っている)、「艶のある日本女優30人」を付録に付けている。
この日本女優を選んでいるのは芝山幹郎で、団塊の世代である。だから、リアルタイムに原節子を知っているわけではない。しかし、「映画一日一本、DVDで楽しむ見逃し映画365」ほか、映画の著作がある映画好きだ。
彼はこの付録の小誌で、「日本の女優は艶やかだ。日本の女優は面白い。日本の女優は官能的だ。と書きながら、私はちょっと憂鬱になる。艶やかだった。面白かった。官能的だった。とすべて過去形で書きそうになるからだ」と、書きだしている。そして、日本の女優をワインに例えて論じているのは興味深い。
ボージョレー・ヌーボーに例える若い女優が登場しないのは惜しいが、かつての女優に比べると小粒なので致し方ないということだろう。
ここでは、「原節子や京マチ子の艶姿は、ボルドーのグランヴァンを思い出させる」と記して、原節子をボルドー系の女優のトップにあげている。そして、「陰影のなかで底光りした豪華な花」と形容している。
手元に1990(平成2)年発行の「大アンケートによる、わが青春のアイドル女優ベスト150」(文藝春秋)なる本がある。その前年、つまり20年前に週刊文春のアンケートにより、映画好き249人が選んだものである。
それによると、ベスト10は、何と、①久我美子、②高峰秀子、③吉永小百合、④原節子、⑤桂木洋子、⑥芦川いづみ、⑦桑野道子、⑧若山セツ子、⑨有田紀子、⑩桑野みゆき、である。
今でも現役は、吉永小百合だけである。いや、高峰秀子も引退はしていないかもしれない。
20年という時代を感じさせるが、「わが青春の」という形容詞を付けずに、日本女優とだけしたら、現在でも登場するであろう女優は、吉永小百合、原節子であろうか。
ちなみに、この時杉葉子は19位である。
「青い山脈」第1作を観て、その後に続く青春スター、女優を思い浮かべた。
原節子は、引退後決して人目に曝されないという伝説のもと、戦後の女優の象徴となった。
戦後に限らなくとも日本を代表する女優というと、誰を思い浮かべるだろうか。
年齢によって違うのはもちろんだが、無作為に選んだ映画好きの人間による投票をしたとする。
散々悩んで、あれやこれやと消したり加えたりして、結局はトップ(あるいはそれに次ぐ順位だとしても)には原節子が残るのではないだろうか。リアルタイムで原節子の映画を観ていなくとも、今ではリバイバル映画館でなくとも、ヴィデオやDVDで観ることができる。
実際、原節子の映画をリアルタイムで観た人は現在では極めて少数であるに違いなく、その数は減る一方である。私も彼女の映画を観たのは、後の名画座とかテレビ放映でである。
現在、平成19年だが、少なくとも昭和の時代の代表的女優は原節子だったに違いない。
そして、戦後の青春文学というと、戦後すぐに石坂洋次郎の「青い山脈」が登場する。こちらは、文学の世界からはすっかり消え失せてしまい、映画の中で生き続けているのみである。
この「青い山脈」は、戦後、小説はベストセラーとなり、1949年、映画、音楽も大ヒット。三冠王と言っていい。
この「青い山脈」の女学生役でデビューしたのが杉葉子。当時としては163センチという大柄で、溌剌とした容姿で一躍スターとなった。彼女の男子学生と親しくした行動が、女子生徒の間で問題になる。
その彼女を擁護し学校の民主化を唱える先生役が、原節子である。
映画の中で、杉と原の二人が野原でダンスを踊る場面があるが、どちらも遜色ない背格好なので、原節子も当時としてはかなり大柄であることがわかる。
2代目が、1963年封切りで、女学生役が吉永小百合で、先生役が芦川いづみだった。
1988年にも映画化されていて、工藤夕貴、梶芽衣子主演である。何と第1回目に男子学生役で主演している池部良が、40年目に特別出演している。
杉葉子は、その後何本かの映画に出演したが、62年にアメリカ人と結婚して米国へ移住してしまった。
さて、原節子の話に戻る。
発売中の12月号の「PLAYBOY」(日本版)は、「最もセクシーな世界の美女100人」の特集である。日本人が1人も入っていないからであろうか(ちなみに中国人はチャン・ツィイー、コン・リーの2人が入っている)、「艶のある日本女優30人」を付録に付けている。
この日本女優を選んでいるのは芝山幹郎で、団塊の世代である。だから、リアルタイムに原節子を知っているわけではない。しかし、「映画一日一本、DVDで楽しむ見逃し映画365」ほか、映画の著作がある映画好きだ。
彼はこの付録の小誌で、「日本の女優は艶やかだ。日本の女優は面白い。日本の女優は官能的だ。と書きながら、私はちょっと憂鬱になる。艶やかだった。面白かった。官能的だった。とすべて過去形で書きそうになるからだ」と、書きだしている。そして、日本の女優をワインに例えて論じているのは興味深い。
ボージョレー・ヌーボーに例える若い女優が登場しないのは惜しいが、かつての女優に比べると小粒なので致し方ないということだろう。
ここでは、「原節子や京マチ子の艶姿は、ボルドーのグランヴァンを思い出させる」と記して、原節子をボルドー系の女優のトップにあげている。そして、「陰影のなかで底光りした豪華な花」と形容している。
手元に1990(平成2)年発行の「大アンケートによる、わが青春のアイドル女優ベスト150」(文藝春秋)なる本がある。その前年、つまり20年前に週刊文春のアンケートにより、映画好き249人が選んだものである。
それによると、ベスト10は、何と、①久我美子、②高峰秀子、③吉永小百合、④原節子、⑤桂木洋子、⑥芦川いづみ、⑦桑野道子、⑧若山セツ子、⑨有田紀子、⑩桑野みゆき、である。
今でも現役は、吉永小百合だけである。いや、高峰秀子も引退はしていないかもしれない。
20年という時代を感じさせるが、「わが青春の」という形容詞を付けずに、日本女優とだけしたら、現在でも登場するであろう女優は、吉永小百合、原節子であろうか。
ちなみに、この時杉葉子は19位である。
「青い山脈」第1作を観て、その後に続く青春スター、女優を思い浮かべた。
原節子は、引退後決して人目に曝されないという伝説のもと、戦後の女優の象徴となった。