片岡義男 スイッチ・パブリッシング刊
ものを書こうと思っている人間、もしくは書いている人間の最終地点はどこかというと、小説である。
エッセイやコラムをどのくらい書いていても、その手の本を何冊出版していたとしても、作家と自ら名乗るには憚られるのである。小説の本を1冊出版して、初めて作家と名乗れるといった暗黙の了解点が、この世界には存在する。
コラムや雑文で名を売って小説家に移行する幸運な人もあるが、大方は正面突破の小説家を目指す。後者の方が下積みが長いのは言うまでもないが、それだけ実力を蓄える期間を要しているとも言える。
片岡義男は、若いときからコラムなどを雑誌に書いて人気を得ていた稀少な人だ。やがて彼は小説を書いて作家となり、その後、小説とコラムを平行して書いてきた。
彼がデビューした1970年代は、五木寛之の全盛時代である。つまり、旧来の作家然としたイメージとは違って、ビジュアル系の作家の到来であった。
五木はルックスだけでなく、小説の中にも、ジャズを挿入したり(結局演歌に行ったが)、フランス五月革命を取り入れたり、当時多くが未知の世界であった東欧を舞台にしたり、新しい文学家(文学ではない)の旗手と目されていた。
片岡も、サーフィン、ハワイ、オートバイなどを書いてアメリカ通として若者に人気があった。
その片岡の、30数年前、つまり20代後半の時代の物語である。
すでに雑誌に物書きとして活動していた彼が、これから小説を書こうという時の話である。もちろん、小説であるから物語の主人公は片岡そのものではないかもしれないし、そうでないと言ってもいい。
彼は、これから小説を書くという状況の中の主人公を、4つの短編に散りばめた。
いずれも、編集者とのやりとりが喫茶店や酒場で行われ、彼らに促され、後押しされながら、小説を書く自分を見つめるのが、この短編集の基点である。
この本の中で、編集者が片岡とおぼしき主人公に、「小説を書け」と言う。
「評論でもノンフィクションでもいい。しかし君は小説だろう」
「なぜですか」という問いに、
「書くための材料はすべて自分の中にある。というタイプのようだから」
そうなのだ。資料を集めたり、足で書いたりという小説もあるが、材料は自分の中にあるというのが小説の本道だと、僕も思っている。
小説は、どうして生まれてくるか。
この本から、その例をあげてみよう。
この小説の中の一編「アイスキャンディは小説になるか」は、次のような話である。
小説を書こうと思っている物書きの若者がいる。ある日、にわか雨にあって、偶然出くわした女性の営む酒場に、雨宿りに入ることになる。そこで発した女性の言葉を、小説を書こうとしている青年は、創作ノートに記す。
「ほんとにまた来なくてはいけないのよ」
「私がいなかったら、母親と世間話をして、出直して」
「何度も来ればいいのよ」
「かならずまた来るのよ」
「アイスキャンディをいっしょに食べただけでは、小説にならないのよ」
こうして、彼はこの後、この店に通うことで愛が芽ばえるのであると続けば、単なる小説、というよりどこにでもある粗筋である。
作者は、創作ノートに、さらにこう記す。
「私たちは二度と会わない」
こう記すことによって、この物語は片岡のみの小説になったのである。
小説を書こうと思う主人公。彼の文は、30数年たってもなお瑞々しい。いや、ぎこちなく小説を書き始めた若者のような文章である。読んでいると、この主人公の若者のように、少し自分が宙に浮いているような錯覚に陥る。
片岡は、「後書き」で、自分の小説家としてのデビュー当時を振り返り、描かれたハワイの波乗りの物語が、当時の彼の日常生活と大きく乖離している、と回顧している。そして、自分の現実から思いっきり遠いところに自分の書く物語を設定しなければならなかったと述介している。
そう言えば、片岡義男は当初、テディ片岡と名乗っていた。これも、精いっぱい自分と乖離した表れかもしれない。
本の題名にある意味は、これから小説を書こうと思っている青年、おそらくもうすぐ自分は小説を書くのだと胸の中で頷いている青年、それこそ幸せだと言うのである。本当に、そうなのだ。その瑞々しい思いが、文学を成り立たせている。
そのことが分かるのは、当人にはずっと後になってのことだろうが。しかし、幸せなことである。
ものを書こうと思っている人間、もしくは書いている人間の最終地点はどこかというと、小説である。
エッセイやコラムをどのくらい書いていても、その手の本を何冊出版していたとしても、作家と自ら名乗るには憚られるのである。小説の本を1冊出版して、初めて作家と名乗れるといった暗黙の了解点が、この世界には存在する。
コラムや雑文で名を売って小説家に移行する幸運な人もあるが、大方は正面突破の小説家を目指す。後者の方が下積みが長いのは言うまでもないが、それだけ実力を蓄える期間を要しているとも言える。
片岡義男は、若いときからコラムなどを雑誌に書いて人気を得ていた稀少な人だ。やがて彼は小説を書いて作家となり、その後、小説とコラムを平行して書いてきた。
彼がデビューした1970年代は、五木寛之の全盛時代である。つまり、旧来の作家然としたイメージとは違って、ビジュアル系の作家の到来であった。
五木はルックスだけでなく、小説の中にも、ジャズを挿入したり(結局演歌に行ったが)、フランス五月革命を取り入れたり、当時多くが未知の世界であった東欧を舞台にしたり、新しい文学家(文学ではない)の旗手と目されていた。
片岡も、サーフィン、ハワイ、オートバイなどを書いてアメリカ通として若者に人気があった。
その片岡の、30数年前、つまり20代後半の時代の物語である。
すでに雑誌に物書きとして活動していた彼が、これから小説を書こうという時の話である。もちろん、小説であるから物語の主人公は片岡そのものではないかもしれないし、そうでないと言ってもいい。
彼は、これから小説を書くという状況の中の主人公を、4つの短編に散りばめた。
いずれも、編集者とのやりとりが喫茶店や酒場で行われ、彼らに促され、後押しされながら、小説を書く自分を見つめるのが、この短編集の基点である。
この本の中で、編集者が片岡とおぼしき主人公に、「小説を書け」と言う。
「評論でもノンフィクションでもいい。しかし君は小説だろう」
「なぜですか」という問いに、
「書くための材料はすべて自分の中にある。というタイプのようだから」
そうなのだ。資料を集めたり、足で書いたりという小説もあるが、材料は自分の中にあるというのが小説の本道だと、僕も思っている。
小説は、どうして生まれてくるか。
この本から、その例をあげてみよう。
この小説の中の一編「アイスキャンディは小説になるか」は、次のような話である。
小説を書こうと思っている物書きの若者がいる。ある日、にわか雨にあって、偶然出くわした女性の営む酒場に、雨宿りに入ることになる。そこで発した女性の言葉を、小説を書こうとしている青年は、創作ノートに記す。
「ほんとにまた来なくてはいけないのよ」
「私がいなかったら、母親と世間話をして、出直して」
「何度も来ればいいのよ」
「かならずまた来るのよ」
「アイスキャンディをいっしょに食べただけでは、小説にならないのよ」
こうして、彼はこの後、この店に通うことで愛が芽ばえるのであると続けば、単なる小説、というよりどこにでもある粗筋である。
作者は、創作ノートに、さらにこう記す。
「私たちは二度と会わない」
こう記すことによって、この物語は片岡のみの小説になったのである。
小説を書こうと思う主人公。彼の文は、30数年たってもなお瑞々しい。いや、ぎこちなく小説を書き始めた若者のような文章である。読んでいると、この主人公の若者のように、少し自分が宙に浮いているような錯覚に陥る。
片岡は、「後書き」で、自分の小説家としてのデビュー当時を振り返り、描かれたハワイの波乗りの物語が、当時の彼の日常生活と大きく乖離している、と回顧している。そして、自分の現実から思いっきり遠いところに自分の書く物語を設定しなければならなかったと述介している。
そう言えば、片岡義男は当初、テディ片岡と名乗っていた。これも、精いっぱい自分と乖離した表れかもしれない。
本の題名にある意味は、これから小説を書こうと思っている青年、おそらくもうすぐ自分は小説を書くのだと胸の中で頷いている青年、それこそ幸せだと言うのである。本当に、そうなのだ。その瑞々しい思いが、文学を成り立たせている。
そのことが分かるのは、当人にはずっと後になってのことだろうが。しかし、幸せなことである。