かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

◇ フラガール

2007-10-13 18:02:46 | 映画:日本映画
 *李相日監督 松雪泰子 蒼井優 豊川悦司 岸部一徳 富司純子 2006年

 「逃がした魚は大きい」とは恋に例えられるが、最近「フラガール」を逃して、探していた。最初はメダカのような小魚が、だんだん鯛のようになってきたのだ。
 
 来週後半、仙台、平泉に旅行しようと計画した。その帰りに福島県いわき市に寄って、話題のフラダンスでも見ようと思いたった。それに、常磐炭鉱が閉山した後の街の変容を見たかったのだ。

 1960年代後半、エネルギー革命によって石炭産業は衰退の一途をたどった。いわきの常磐炭鉱も大幅リストラと閉山の危機に見舞われた。
 炭鉱街のその後の復興を背負って、起死回生として受け継いだのが「東北で常夏のハワイ気分を」の謳い文句で1966年オープンした「常磐ハワイアンセンター」(現:スパリゾートハワイアンズ)である。売り物は、街の女性によるハワイアン・フラダンスであった。
 フラダンスを見に行くとしたらその前に、その経緯を映画化した「フラガール」(監督:李相日、主演:松雪泰子)はどうしても観ておきたいと思った。去年公開されたときは観なかったのだ。
 
 ところが、その後インターネットで調べたら、旅行予定日の週末はハワイアンセンターは満室であった。
 ということで、行き先を山形に変更して、フラダンスを見るのは別の機会にしようと思い直した。
 ところが、映画「フラダンス」を観ようという気持ちだけが強く残った。
 
 そんな僕の気持ちを察してか、先週の6日(土)に地上波テレビ(フジ系)で上映されたのだ。それなのに、こともあろうか、その日の夜は飲みに行ってテレビは観なかったし、録画すらしなかった。それどころか、上映されたことすら知らないで、何日かたって友人に、つい最近テレビでやったよと言われて、歯ぎしりしたのであった。
 こうなると、ますます観たくなる。
 11日(木)インターネットで「フラガール」を上映しているところがないか調べたら、1館だけ「上映中」というところがあった。
 「有楽町シネカノン2丁目」で、10月12日(金)夜7時より1回のみで、「プレイベント・ワンコイン(500円)上映」とある。去年公開されているのにプレ(前)とは何のことだろうと訝しく思った。

 12日(金)夜、有楽町に行くとすっかり風景が変わっていて驚いた。有楽町駅の東(銀座)側で、マリオンの裏は、2階建ての古い家並みの、パチンコ店や食堂や商店などが軒を並べていたのだが、それらの家並みはすっかりなくなっていて、駅前は広い空間ができて道も広くなり、お洒落なビルが建っているではないか(ただし、このお洒落なビルの1階にはパチンコ店が入っている)。
 映画館が入っている新しいビルであるIYOCiA(イトシア)に入ってみると、何だか係員がいたるとことに立っていて賑々しい。中にある食堂では、入口で並んでいる人もいる。
 係員に訊いてみると、このビルは本日オープンということだった。
 だから、映画は「プレイベント」だったのだ。

 「フラガール」は、思いのほか素晴らしい映画だった。テレビやDVDではなく、劇場で観てよかったと思った(負け惜しみではなく)。
 この映画は、実際もそうであるが、安っぽい町興しで終わっていないのがいい。 日本の産業構造の変化と個人の生き方、成長とが、1970年代という時代に象徴的に絡み合っているのだ。
 「ALWAYS三丁目の夕日」の昭和30年代の、次の時代の象徴的出来事(物語)と言える。
 
 映画では、炭住(炭鉱集合住宅)が再現されていて、ボタ山(石炭の残りの石を捨ててできた山)も当時のように聳えていた。ボタ山は、炭鉱跡に今も残っているのだろうか。おそらく、CGで再現したのであろう。
 トロッコで採鉱のヤマの中に入っていく場面もあり、炭鉱の姿がかなり忠実に再現されていた。豊川悦司のヤマの男も堂に入っていた。
 松雪泰子の熱演に、不覚にも涙が出そうになるのをこらえた。彼女のあえてさらけ出していた顔の細かい皺が、過去を語らない女の生き様を浮き彫りにしていた。
 強気一辺倒の彼女が、思わず崩れ落ちて涙を出そうとする場面がある。「優しくされるのは慣れていないのよ」と言う。
 この映画で、フラダンスの仕草が、手話と同じく感情を表現しているのを知った。単に手を揺らし腰を振っていたのではないのだ。
 フィナーレの、練習の賜物であるフラダンスの発表も学芸会の演技に終わらず、見せてくれた。これがヘタ(失笑もの)であれば、すべてが台なしになるところであった。
 
 映画を見終わった後、機会をみて、本物のフラガールを見てみたいと改めて思った。「常磐」が「常夏」に変わった実際の姿を。
 

*炭鉱関係のブログについては、
http://blog.goo.ne.jp/ocadeau3/e/a63711392527e0975d293e4ce0492b30
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金木犀の木の下の小さな欲望

2007-10-12 12:41:42 | 気まぐれな日々
 このところ、金木犀が満開だ。
 窓を開けると、かすかにあの匂いが流れてくる。庭に1本植えてあるのだ。
 今週、枝々に白い豆粒のような蕾が付きだしたなと思ったら次の日は金色の小さな花になっていた。
 不思議であるが、金木犀は一斉に咲く。
 わが家の庭に咲いたと思ったら、外を歩くと、いたるところの金木犀も咲いている。匂いがそれを知らせてくれる。
 普通、花の咲くのは、同種の花でも木によって咲く時期は少しずれるものだが、金木犀は申し合わせたように同時に咲き、一斉に匂いを放つ。どうしてだろう。
 同じ地域だけだろうか? 九州も東北も一斉に咲いているのだろうか?
 九州の実家の庭にも1本あるので、母に電話で訊いたら、今年は咲いていないと言う。剪定で枝を切りすぎたのだ。

 金木犀は中国原産の雌雄異株で、日本にあるのは雄株だけだそうだ。だから、実をつけない。
 一斉に花をつけるのは、このことに関係があるのだろうか? どうせ実にならない雄だけだからという。
 しかし、もうすぐ花も散り、この季節を過ぎると、また何の変哲もない常緑樹に戻る。
 
 香りが、何かを呼び戻し、事件の解決の手がかりになるというミステリーはよくある。
 「時をかける少女」(筒井康隆原作)では、理科室で嗅いだラベンダーの匂いで少女は気を失う。そのことを契機に、タイムスリップを行うようになる。
 
 ある香り、ある匂いは、それに纏わるある記憶を呼び起こすことがある。一瞬にして過去の情景が甦ることがある。まるで、パブロフの犬のように。
 僕の場合、金木犀の花の匂いは、高校時代へ戻してくれる。
 高校の校庭に大きな金木犀があり、その横をセーラー服の女学生が歩いていたのだった。
 男子生徒と女子生徒がにこやかに会話を交わし、何事かが起きるというのは、小説や映画の中の出来事だった。ただ、例外の生徒はどこにでもいた。
 僕も含めた多くの男子は、遠くから女子のスカートをなびかせながら走り去る姿を見ているのみであった。
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◇ エディット・ピアフ~愛の讃歌

2007-10-04 19:00:03 | 映画:フランス映画
 オリヴィエ・ダアン監督 マリオン・コティヤール ジェラール・ドバルデュー 2007年フランス/チェコ/イギリス合作

 天才とは、そのような生き方しかできない人である。
 だから、その生き方で認められ、名声や富を得ようとも幸せとは限らない。なぜなら、幸せとは周囲や関わっている世界との関係で決まり、極めて個人的な価値観だからだ。

 エディット・ピアフはシャンソンの大御所的存在だった人で、シャルル・アズナブールやイブ・モンタンを見いだし、愛人関係にもあった恋多き人である。そして、彼女の歌には、いまだ歌い継がれている素晴らしい曲、有名な曲が数多くある。
 ところが、エディット・ピアフを僕はあまり好きではなかった。
 ピアフの代表的な歌の「愛の讃歌」や「バラ色の人生」を誰かが歌っているのを聴くと、何だかむず痒くなってくるのだった。そんなに、素晴らしい愛だ、幸せだと大声で訴えなくてもいいだろうという気持ちになってくるのだ。
 つまり、愛を熱唱する歌より、愛に傷ついた思いや、愛なんて何になるのといった、愛を哀しんだり、中傷したりする歌が好きなのだった。
 
 ところが、このピアフの映画を見て、この歌に対する思いが少し変わった。
この愛を滔々と讃える歌は、ピアフの哀しみと苦しみに彩られた人生の果てにたどり着いた思いを訴えたものであった。ピアフだからこその歌だったのだ。やはり、僕はピアフの上っ面しか知らなかった。
 「愛の讃歌」や「バラ色の人生」は、ピアフ以外の人が歌うと、特に素人が歌うと、往々にその重みに見合うことなく、俗っぽい歌に聞こえるのも道理である。

 ピアフは、子どもの頃に苦労して育ち、その天才的な歌唱力で、大スターの地位を築いた人間である。そして、晩年は孤独と薬に悩まされ、四十代で死んでいった。
 ピアフが舞台で倒れた場面は壮絶であった。
 「パダン、パダン、パダン…、このメロディーが追いかけてくる。…このメロディーが私を指…」と歌ったところで、突然彼女は倒れる。
 ピアフの歌の中では、個人的には、この「パダン、パダン」(Padam…padam)が一番好きな歌だ。だから、この歌が始まったときは身を乗り出して見入り(聴き入り)、突然倒れたときは、息を詰めた。
 ピアフが、息を引き取る前に流れる「水に流して」(Non,je ne regrette rien.)もいい歌だ。
 「いいことも、悪いことも、何も後悔してはいない…」
 こんな台詞を残して死ねたらいい。

 ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、ピアフになりきっていた。ジェラール・ドバルデューがプロデューサー役で出ていたのは愛嬌か。

 僕はずっと、ピアフと美空ひばりを何となく重ねていた。
 もちろん、まったく違う生き方であるが、どちらも天才である。その天才の持つ孤独と舞台への執念は、この映画を見て改めて共通していると感じた。
 ピアフとは、「雀」の意味である。
 フランスの「すずめ」と日本の「ひばり」。どう見ても、似ている。まるで、示し合わせたようである。
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□ 死顔

2007-10-02 01:49:18 | 本/小説:日本
 吉村昭著 新潮社

 吉村昭最後の著である。
 癌の手術を終えた著者が、入院中自分の点滴およびカテーテルポートの針を抜き取って、それで自分の延命の拒否を示し、家人もそれを認めたと後に発表して話題になった。家人とは、妻の津村節子である。吉村、享年79歳。
 
 本書は、表題作の他5つの短編を収めたものである。この本を手にして読み始めて、それからだいぶん間が空いて最後の「死顔」を読んだ。次兄の死に直面した著者と長兄のやりとりが主な内容である。死が身近に感じられる年代の、淡々とした心情と有り様を描いたものである。
 読んでいてすぐに、これはもう前に読んだという錯覚を起こした。いや、錯覚ではなくて、この本に収めてある「二人」が、この作品とまったく同じテーマであったのである。初出発表に約3年余の間隔があるが、こうも似ている作品を並べるのも珍しい。

 私は彼の読者でなかったが、その死についてはやはり関心を抱かざるをえなかった。
 彼の申し出である、延命治療の不望、自分の死期を覚りそれを実行する意志の強さは、潔いと思える。
 人生、後半に入ったら、どのように死ぬかが重要になってくる。家人に見守られて、惜しまれつつ、静かに死ぬのは理想であろう。
 しかし、私のように独り者はそうはいかないであろう。
 死は、入院中のそれでない限り一人で迎える可能性も高い。誰にも覚られることなく、何日も過ぎるかもしれない。一人暮らしの老人のそのような報道は、よくあることだ。
 
 私と同じく独り身だった友人は、入退院を繰り返し長く病に伏せていたが、毎日、新聞配達人に自分の生存の確認を頼んでいたという。そのことは、後に彼の妹に聞いたことである。
 ある日、その新聞配達人がいつもの通り声をかけても返事がないので、部屋に入って彼の死を確認したという。
 彼は、いつか自分は寝たままの状態で死を迎えるであろうことを予感していたに違いない。次の日の朝が来ない日が来るという確かな予感。その朝を告げるのは新聞配達人であり、彼の声で、その日を生きて迎えたと思える生存の認識はいかばかりだったろう。私は、彼の豪放磊落な性格からして思わぬ繊細な配慮だと感じ入った。

 死の準備を早くすることはないが、死の覚悟だけは持っていたいと思うのである。格好良くといかないまでも、無様な死に方は迎えたくないと思っていても、いざその時が来たらじたばたするかもしれない。
 様々な持病を持っていた吉行淳之介は、最後は肝臓癌になった。癌と分かったとき、家人は本人には伏せていたが、死期が近まったと分かったときに医師がうっかりと病名を告げた。
 吉行は、一瞬間をおき、こう言った。
 「シビアなことを、おっしゃいますなあ」
 まだ、自分が死ぬとは思っていなかったのだ。吉行、享年70歳。
 死の直前、吉行は、「あと2冊、書きたい本がある」と言った。死を自覚したとき、もし書く時間があったなら、吉行ならどんな本を書いただろうかと想像するのだけど、その想像は愉しくもあり惜しくもある。
 
 死は、誰にでもやってくる。その時期は、自分では決められない。ふいにやってくるかもしれないし、ゆっくりと来るかもしれない。
 自分は、それをどう迎えるのだろうか。
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