かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

北帰行③ 岩手・遠野

2007-10-27 18:37:16 | * 東北への旅
 今のようにメディアが発達していない時代、言葉や情報は、文化の中心地から周辺へ円を描くように広がっていった。それは、石を水に投げると水輪が円を描いて次第に遠く広がるようなものであった。近代以前の交通機関がない時代は、それは地を這うようにしか進まなかった。
 だから、古い言葉である方言は、都(京都もしくは江戸)から離れた北と南に多く残っている。
 これは、民俗学者の柳田国男の論である。
 これと同じく、古い民話は都から遠く離れたところに残存していたのだ。岩手の山間の村、遠野がそうだったように。

 10月20日、岩手・花巻の大沢温泉から遠野に向かった。
 言うまでもなく柳田国男が採集記録して有名になった民話の里である。
 花巻から日本海・陸中海岸の釜石に向かう鉄道釜石線に沿って道は延びている。なだらかな山間を道は進む。遠野近くになると、進む前方にも山がある。振り返れば、四方が山だ。伸びやかだけれども、山に囲まれると少し閉塞感がある。山の向こうも山なのだ。
 鉄道が走る以前は、陸の孤島だったのだろう。だからここでは、消えずに語り伝えの民話が残ったのだ。

 途中、この地の特色である南部曲り屋を今なお伝えるという千葉家に寄った。鍵型に曲がった造りが特徴の茅葺きの民家である。
 それは道の脇の高段に、石垣を設えて敢然と聳えていた。平屋なのに、下の道路から見上げるとまるで中世以前の城(砦)のようである。
 しかし上に登ってみると、大きな造りであるが、厩や農具入れの小屋もある普通の農家であった。かつてのこの地の豪農の家で、約二百年近く前に建てられ、それにまだ現役の住居であった。
 裏庭には、奥から水を引いてきた、石で造られた今で言う洗面所や洗濯場がある。

 千葉家の案内所(窓口)の女の子の勧めで、「遠野ふるさと村」に行った。
 曲り屋をはじめ、この地の古い民家を集めた公園である。朝ドラ「どんと晴れ」のロケ地になったということで人気らしい。テレビの力は大きい。
 古い民家の土間の真ん中に、大きな土釜があり湯気を立てている。風呂だろうかと思ったが人が入るには少し窮屈だし、場所が場所である。聞いてみると、ここで水を沸かして、飲み水や洗い水など様々な用途に使ったという。

 「遠野ふるさと村」から町の中心部に行く途中に「カッパ渕」があった。カッパがよく出没したところらしい。こんな寂しい川にカッパは出たのであろう。
 どの地方にもこんな川があるし、こんな話は伝わっているが、今は川もコンクリートできれいになり、カッパや妖怪の話も消えつつあるのだろう。

 町の中心部にある「遠野博物館」に行った。ここでは、柳田国男の「遠野物語」に関する資料が展示してある。また、スライドで絵を見せながら、遠野の民話の語りをやっている。
 そこで、この地の民話を何話か聞いたが、「おしらさま」の話は少し衝撃的だった。それが蚕のことだとは知っていたが、その物語の内容については知らなかったのだ。

 簡単に「おしらさま」の粗筋を記すと、次のようである。
 この地に可愛い娘がいた。その娘は飼っている馬が大好きで、親(父)が勧める縁談に耳も貸さずにいつも馬と一緒にいた。そして、ついに馬と一緒に寝るようになった。心配した親がそこを覗いてみると、娘と馬は抱き合っていた(夫婦になった)。
 驚いた親は、次の日娘がいないとき馬を連れ出し桑の木に吊して殺してしまった。馬を探した娘は死んでいるのを見つけると、馬と一緒に天に昇っていった。
 そしてしばらくたった日、娘は親に白い虫を授け、桑の葉を与えるように告げた。養蚕の初めである。
 「おしらさま」の話は、馬と娘の人獣愛の話であった。一緒に寝ているところは、娘と馬は夫婦になったと語られている。つまり、異類婚姻譚である。
 子どもは、この話をどんな思いで聞いているのだろう。

 異類婚の話は、他にも全国にいくつかある。
 その中でも、中国の「白蛇伝」は有名である。上田秋成は「雨月物語」で「蛇性の婬」として物語化した。
 しかし、総じて動物が女性に姿を変えて、人間(男)と関係を結ぶ話である。
 それは動物とは限らず妖怪である場合もある。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の再録した「怪談」の「雪女」はその例であろう。
 ところが、この「おしらさま」のように、そのままの姿(動物)で性愛する、つまり夫婦になるというのは珍しいのではなかろうか。
 有名な浦島太郎の話は、浮かれた相手は竜宮城の乙姫様である。しかし本当は、つまり元の話では、相手は亀であり、明治以降子どもの話にするため倫理上、今の話に作り替えたという。

 「おしらさま」が、変形することなく馬と娘の関係として残ったのは、「浦島太郎」の話のように地方から環流して再び町に戻ることなく、つまり全国区になることなく、地方に埋もれていたからであろう。
 しかし、疑問はまだ残る。
 なぜ桑の木に馬を吊したのか。桑の木はそう大きくなく枝はしなり、馬を吊すほど強くない。
 となると、まず馬と娘の愛の話があり、それをその地方の特産であった蚕の話に結びつけるための苦肉の策ではなかったのかと思うのである。
 「鶴の恩返し」のように、悲劇に終わらせた代わりに、何か見返りの話が必要であった。米以外の価値のあるものと言えば、当時は布、それも絹であったのだろう。それ故、蚕が食する桑の木にせざるをえなかったのではなかろうか。
 
 夕方、遠野から山形へ向かった。雨の予報であったが、雲はあるものの幸運にも雨は降らなかった。(写真)
 夜は将棋の駒で有名な山形・天童温泉泊。
 天童は、山形市の北にあるこぢんまりとまとまった街だ。天童温泉街と言っても鄙びた感じはなく、街の一角に旅館やホテルが集まっているのである。ここの利点と言えば、山形市にも山寺に行くにも、近くて便利だということだろう。
 「栄屋ホテル」では、高層階に露天風呂があり、ここから天童の街が一望できる。
 夜食時は、ホテルのダイニング処で、やはり杯を傾けることに。メニューの献立に、予想していなかったのに、牛(山形牛)のしゃぶしゃぶが出た。
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