かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

有田の陶器市

2006-05-06 02:20:48 | * 九州の祭りを追って
 佐賀のゴールデン・ウイークといえば、有田の陶器市である。この期間、九州各地からはもちろん、近年では全国から大勢の人がリュックサックやバッグを持って、この市にやってくる。
 しかし、この陶器市という表現は正しくない。有田といえば、陶器でなく磁器なのである。日本では、磁器も含めて焼き物をおしなべて陶器と言っていたので、こういう一般的な呼び方にしたのだろう。同じ佐賀でも唐津焼は、陶器である。
 かつて、なかなか磁器の作成方法がわからなかった日本で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、佐賀肥前藩が連れてきた李参平という朝鮮の陶工が、この有田で磁器の原料となる石山(泉山)を発見したのが有田焼の歴史の始まりである。以来、肥前鍋島藩は鎖国内鎖国のような厳重な秘密裏のうちに、磁器である有田焼を完成させ発展させた。それらは、伊万里港から積み荷発送されたので、伊万里とも呼ばれた。
 当時磁器は大変貴重なもので、各藩の大名はこぞって手に入れようとしたし、まだ磁器が作成されていなかったヨーロッパにも、オランダの東インド会社を通して輸出された。当時ヨーロッパでは、宝石と同じ価値で取引されたという。
 
 佐賀の田舎に帰っていた僕は、有田に出かけた。この時期、佐賀に帰っていた時はいつも陶器市に行って、何やら買って帰るので、家の中は焼き物がいっぱいである。もう、必要で買いたいものはない。今年は、ただ見物だけのつもりで出かけた。
 昼ごろ、有田駅を降りたら、もうすごい人込みである。延々と続く出店と人並み。見るだけでも大変な労力である。しかし、こうして一堂にあらゆる有田の品が見られるのは滅多にあるものではない。有田のほとんどの窯や問屋や小売の店が、有田駅から上有田駅までのほぼ3キロの道路の両側に出店を出すのだから、その量たるや圧巻である。1件ずつ丹念に見て回っていたら、1日で見終われない。
 何といっても、陶器市で楽しいのは、掘り出し物の発見である。20年ぐらい前までは、「ただ」とか「10円」などと書かれた品が、籠に入れられていた。傷物であるが、さすがに今日そんな品物は置いてない。
 いい物を高い料金で買うことは容易なことだ。金があれば、誰にでもできる。しかし、楽しいのは、いい買い物をした時である。ここで言ういい買い物とは、その価格にしては絶対買えない特別に安い物という意味と、自分がとても気に入った物、探していた物という両方の意味である。
 
 今回は、買うつもりはなかったが、いいコーヒーカップがあったら買おうと思っていた。有田駅から上有田駅に向かって、店をのぞきながら歩いた。3分の2ぐらいまで来たところで時刻を見ると、もう3時間を過ぎて夕方である。次の電車で帰ろうと決心した。
 あと30分しかないから、少し歩くのを速めようと思ったところで、ある店でコーヒーカップに目がとまった。ハーブの花が描かれたかわいい感じのもので、ジャスミンやラベンダー、カモミールなど何種類かある。カップの裏を見ると、底に「MADE IN JAPAN TOYO CERAMICS ARITA」と欧文で書かれている。こういうのも珍しい。
 店の人に、底を見ながら「輸出用なんですか」と聞いてみた。すると、年配のおばさんは、「いや、そういうのがここの社長が好きなんですよ」と笑いながら言った。そして、「ほれ、その人」とあごで示した。そのあごの先を見ると、苦笑いしている中年のおじさんがいた。夫婦のような印象を受けた。そうでなくとも、家内制手工業のような、この雰囲気は何だかほほえましい。
 そのカップを5種類(5客)買った。
 その店を出て、駅までの通りにある香蘭社で、足を止めた。ここと深川だけはいつものぞいている。しかし、今回は時間もないので、香蘭社だけ駆け足で見るだけのつもりで店内に入った。すると、すぐに、1つのコーヒーカップに釘付けになった。
 丈が高くスマートな見た目だが、容量が大きいのでマグカップといえるものだ。白磁に淡いブルーの丸みをおびた葉がいくつか、そこに小さな南天のような赤い実が数個。
 それも買わずにはいられなかった。
 
 小さな欲望であれ、人間の欲望は限(きり)がない。
 しばらくは、買ったコーヒーカップを眺めて楽しんでいる。
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