天橋立の民宿の2階の窓から、朝の日が差してきた。
旅の宿での目覚めだ。「浴衣の君」がいないのは寂しいが、そんな旅は慣れっこだ。
9月12日のこの日も、窓の外の空を見ればカンカン照りの暑い日だ。まだ夏は居座っているようだ。
1階の小さなテーブルが3つある食堂で食事をする。僕が最後のようで、1人きりだ。おばさんは、「腰を痛めてからきつくてねえ」と言いながら、せっせと動き回っている。
「1人でやっているのですか? 毎日の食事作りも大変ですね」と僕が言うと、「ここだけでなくて、畑仕事もあるからねえ。畑も1人でやってるから」と言いながらも、決してつらそうでない。
「昨日は何人泊まったんですか?」と訊いたら、「5人」と言った。そして、「この人数が限界だね」と付け加えたので、僕は、「最後の僕が1人余計だったかな」と言って笑った。
「ご主人は手伝わないの?」と訊いたら、「もう、お父さんは全くノータッチだ」と、あてにしていないといった感じだ。
昨晩、外風呂温泉から帰って、1階で食事しようと下りて、食堂の部屋の戸を開けたときのことだ。部屋を間違えたらしく、暗く大きな座敷に1人の中年というか初老の男が、座り机の前に座っていた。その男性は、白い紙を前に置いて、朱肉に何やら印を押していた。僕は「部屋を間違えたようで」と言ってすぐに戸を閉めたが、その男はちらと僕の方を振り向いただけで黙ったままだった。頑丈な体つきでまだ働けそうだったが、その男がおそらくおばさんの旦那である、お父さんなのだろう。
そして、「この辺の畑もイノシシが出てね、被害があるんだよ。うちの畑もやられてしまった。お父さんは猟友会の理事で、朝から会議に出て行ったよ」と、おばさんは言った。お父さんは隠居といっても、何かはやっているんだ。
昨晩間違えた部屋で見たあれは、朱肉も印も大きかったので、印章を彫る篆刻(てんこく)だったのかもしれない。篆刻が隠居後の趣味なのかもしれない。
それにしても、九州もイノシシの被害で大変らしいが、このあたりもイノシシが出るということを知った。
*
食事をしたあと民宿を出て、駅の裏手の小高い丘の上の展望台があるビューランドへ行くことにした。そこからの天橋立の眺めは絶景らしい。多くの絵や写真がそこからのものだ。
観覧車のような小さなモノレールで頂上に上る。
見晴らしの開けた頂上から、海を見ると、空には少し雲が出ているが、それに繋がる海の中を松林がうねって進んでいる。
これが、天橋立だ。絵に描いたようだ。いや、写真で見るのと全く同じだ。この景色は、他に類を見ないという意味で、「日本三景」と言ってもいいだろう。
「日本三景」は、日本の美しい三大景色を指すのだろうが、あとの2つは「宮島」と「松島」である。
世界遺産にも登録されている広島の「宮島」は、海に浮かんだ朱色の鳥居に見られる厳島神社のことと言っていい。鳥居や厳島神社の社殿は、景色ではなく建造物である。「三景」の景色は自然の美しさを適合させるべきで、建造物を中心とした「宮島」は三景に当てはまるとは思えないのだが。
いっそ、この「宮島」(厳島神社)に、「室生寺」(あるいは「法隆寺」)、「日光東照宮」を加えて、「日本3建」とでもしたらどうだろう。
また、「松島」は仙台の東沖の海に点在する島の景色で、確かに美しいのだが、日本にはこれに相当する海の景色はもっとあると思うのだが。
この「日本三景」は、江戸時代に言われ始めたことだから、まだ日本全国隅々の名勝が知られていなかった時代のものだ。だからか、のちの大正時代に、実業之日本社が新しく全国応募により「新日本三景」を公表している。
それによると、北海道の駒ヶ岳を借景とした「大沼」(ポロトー)。静岡県の富士山を借景とした「三保の松原」。大分県の「耶馬渓」である。しかし、この「新日本三景」は、広く流布しないでいる。
丘の上のビューランドの展望台には、その天橋立に向かって「股のぞき」の台がある。そこから後ろ向きになって、自分の開いた股の間から天橋立を見ると、まるで龍が天に昇っていくように見えるというものだ。若い女の子も、平気でスカートの間から頭をのぞかしている。僕もやってみて、逆さまに映った写真を撮ってみた。(写真)
ローマのトレビの泉で、誰もが後ろ向きにコインを投げるようなものだ。謂われのあるものは何でもやった方が面白い。
下りは、一人乗りのリフトで下りる。
あの海に続く橋立の松林を歩こうと思い、その出発地に向かった。
すると、その場所に人が何人も立ち止まっていた。カメラを撮っている人もいる。その先は橋のようだ。
そうか、うねっている松林は、すべて繋がっているのではなくて、ここで途切れていて、橋が架かっているのだ。それにしても、どうしてみんな動かないのだろうと、思った。
近くに行くと、赤い橋の胴体がすぅーと動いているのだった。そして、瞬いている間に、普通の橋になった。
案内マップを見ると、この橋は「廻旋橋」と書いてある。そうだ、この橋はその名の通り、船が来たら中心を軸に90度回るのだった。僕がそこへ来たときは、最後の50センチぐらい回って、ちょうど元の位置に納まろうとしている寸前だったのだ。
橋を回している係の人に訊いたら、今は1時間に1回、定期的に回していると言った。時計を見たら11時を回ったところだ。この松林を歩くと1時間ぐらいかかりそうだから、次は見ることはできないようだ。
海の間に続く細長い松林を歩いた。
日が真上に上がっている。すでにシャツに汗が滲む。この日も気温は30数度あるのだろう。この夏は、記録的かもしれないが、記憶にも残る暑い夏になるだろう。
松林には、途中、様々な名前の松がある。
最初「廻旋橋」を通ったところに、「日本三景の松」というのがあった。おい、おい、この景色全体が日本三景ではないのかい?
人名である、「式部の松」や「(与謝野)晶子の松」。「夫婦松」や「見返りの松」。さらに「羽衣の松」というものまである。
おい、おい、「羽衣の松」は、三保の松原にあるのではないのかい?
やっと1時間ぐらいかけて松林を渡ったが、疲れたので帰りは船で戻ることにした。
船から長い松林を眺める。龍が海に横たわっている図だ。
船は、出発点の「廻旋橋」の横の船着き場に着いた。すぐ近くに智恩寺がある。
これで、「日本三景」は全部行ったことになる。
*
天橋立駅に行った。13時近い時刻だ。
ここから北近畿タンゴ鉄道で南に下りて福知山に行き、そこからJRの山陰線で京都に出ることにした。そして、京都から新幹線で東京に帰ることにした。
窓口で福知山、京都経由、東京までの切符を頼んだ。ここ天橋立駅は北近畿タンゴ鉄道だが、JRも続きで切符が買えるのだ。
出された切符を見ると、天橋立から京都までは、JR乗り入れの特急だった。ここから京都や大阪行きの特急列車があるのは時刻表で知っていたが、地方の旅は各駅停車に限る。僕は、窓口の駅員に京都までは各駅停車で行くからと言って、すぐに特急券抜きの乗車券に換えてもらった。
誰もが速くて便利な直通の特急に乗るとは限らないので、切符を発券するときは、駅員はその旨確認しなければいけないはずだ。心の中で怒りながら乗車券を受けとり、構内のキオスクで昼食用の駅弁を買った。
13時03分、北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅を出発して、次の宮津駅で乗り換えて、13時27分発の福知山行きに乗った。
山間をゆく車窓を楽しみながら、駅で買った「笹寿し」(鮭と鰯のにぎり寿しを笹の葉で包んだもの)の駅弁を堪能。旨い。
福知山に14時25分に着いた。そこでJRに乗り換える。
福知山14時50分発の園部行き各駅停車に乗り、園部駅に16時12分着。
園部16時15分発に乗り京都駅へ。のどかな山間を走っていたのが、京都市街地の嵯峨嵐山に入ったあたりから車窓の風景が変わった。急に家並みが乱立してくる。しかも家と家の間が狭いのだ。それでいて等間隔に計ったようだ。いわゆる京都の町屋を思わせる家並みだ。 その家並みからビル並みを通り過ぎて、列車は京都駅に入った。
京都駅に16時51分着。
京都駅17時09分発、新幹線東京行きの「のぞみ」に乗り、東京駅19時30分着。
旅の宿での目覚めだ。「浴衣の君」がいないのは寂しいが、そんな旅は慣れっこだ。
9月12日のこの日も、窓の外の空を見ればカンカン照りの暑い日だ。まだ夏は居座っているようだ。
1階の小さなテーブルが3つある食堂で食事をする。僕が最後のようで、1人きりだ。おばさんは、「腰を痛めてからきつくてねえ」と言いながら、せっせと動き回っている。
「1人でやっているのですか? 毎日の食事作りも大変ですね」と僕が言うと、「ここだけでなくて、畑仕事もあるからねえ。畑も1人でやってるから」と言いながらも、決してつらそうでない。
「昨日は何人泊まったんですか?」と訊いたら、「5人」と言った。そして、「この人数が限界だね」と付け加えたので、僕は、「最後の僕が1人余計だったかな」と言って笑った。
「ご主人は手伝わないの?」と訊いたら、「もう、お父さんは全くノータッチだ」と、あてにしていないといった感じだ。
昨晩、外風呂温泉から帰って、1階で食事しようと下りて、食堂の部屋の戸を開けたときのことだ。部屋を間違えたらしく、暗く大きな座敷に1人の中年というか初老の男が、座り机の前に座っていた。その男性は、白い紙を前に置いて、朱肉に何やら印を押していた。僕は「部屋を間違えたようで」と言ってすぐに戸を閉めたが、その男はちらと僕の方を振り向いただけで黙ったままだった。頑丈な体つきでまだ働けそうだったが、その男がおそらくおばさんの旦那である、お父さんなのだろう。
そして、「この辺の畑もイノシシが出てね、被害があるんだよ。うちの畑もやられてしまった。お父さんは猟友会の理事で、朝から会議に出て行ったよ」と、おばさんは言った。お父さんは隠居といっても、何かはやっているんだ。
昨晩間違えた部屋で見たあれは、朱肉も印も大きかったので、印章を彫る篆刻(てんこく)だったのかもしれない。篆刻が隠居後の趣味なのかもしれない。
それにしても、九州もイノシシの被害で大変らしいが、このあたりもイノシシが出るということを知った。
*
食事をしたあと民宿を出て、駅の裏手の小高い丘の上の展望台があるビューランドへ行くことにした。そこからの天橋立の眺めは絶景らしい。多くの絵や写真がそこからのものだ。
観覧車のような小さなモノレールで頂上に上る。
見晴らしの開けた頂上から、海を見ると、空には少し雲が出ているが、それに繋がる海の中を松林がうねって進んでいる。
これが、天橋立だ。絵に描いたようだ。いや、写真で見るのと全く同じだ。この景色は、他に類を見ないという意味で、「日本三景」と言ってもいいだろう。
「日本三景」は、日本の美しい三大景色を指すのだろうが、あとの2つは「宮島」と「松島」である。
世界遺産にも登録されている広島の「宮島」は、海に浮かんだ朱色の鳥居に見られる厳島神社のことと言っていい。鳥居や厳島神社の社殿は、景色ではなく建造物である。「三景」の景色は自然の美しさを適合させるべきで、建造物を中心とした「宮島」は三景に当てはまるとは思えないのだが。
いっそ、この「宮島」(厳島神社)に、「室生寺」(あるいは「法隆寺」)、「日光東照宮」を加えて、「日本3建」とでもしたらどうだろう。
また、「松島」は仙台の東沖の海に点在する島の景色で、確かに美しいのだが、日本にはこれに相当する海の景色はもっとあると思うのだが。
この「日本三景」は、江戸時代に言われ始めたことだから、まだ日本全国隅々の名勝が知られていなかった時代のものだ。だからか、のちの大正時代に、実業之日本社が新しく全国応募により「新日本三景」を公表している。
それによると、北海道の駒ヶ岳を借景とした「大沼」(ポロトー)。静岡県の富士山を借景とした「三保の松原」。大分県の「耶馬渓」である。しかし、この「新日本三景」は、広く流布しないでいる。
丘の上のビューランドの展望台には、その天橋立に向かって「股のぞき」の台がある。そこから後ろ向きになって、自分の開いた股の間から天橋立を見ると、まるで龍が天に昇っていくように見えるというものだ。若い女の子も、平気でスカートの間から頭をのぞかしている。僕もやってみて、逆さまに映った写真を撮ってみた。(写真)
ローマのトレビの泉で、誰もが後ろ向きにコインを投げるようなものだ。謂われのあるものは何でもやった方が面白い。
下りは、一人乗りのリフトで下りる。
あの海に続く橋立の松林を歩こうと思い、その出発地に向かった。
すると、その場所に人が何人も立ち止まっていた。カメラを撮っている人もいる。その先は橋のようだ。
そうか、うねっている松林は、すべて繋がっているのではなくて、ここで途切れていて、橋が架かっているのだ。それにしても、どうしてみんな動かないのだろうと、思った。
近くに行くと、赤い橋の胴体がすぅーと動いているのだった。そして、瞬いている間に、普通の橋になった。
案内マップを見ると、この橋は「廻旋橋」と書いてある。そうだ、この橋はその名の通り、船が来たら中心を軸に90度回るのだった。僕がそこへ来たときは、最後の50センチぐらい回って、ちょうど元の位置に納まろうとしている寸前だったのだ。
橋を回している係の人に訊いたら、今は1時間に1回、定期的に回していると言った。時計を見たら11時を回ったところだ。この松林を歩くと1時間ぐらいかかりそうだから、次は見ることはできないようだ。
海の間に続く細長い松林を歩いた。
日が真上に上がっている。すでにシャツに汗が滲む。この日も気温は30数度あるのだろう。この夏は、記録的かもしれないが、記憶にも残る暑い夏になるだろう。
松林には、途中、様々な名前の松がある。
最初「廻旋橋」を通ったところに、「日本三景の松」というのがあった。おい、おい、この景色全体が日本三景ではないのかい?
人名である、「式部の松」や「(与謝野)晶子の松」。「夫婦松」や「見返りの松」。さらに「羽衣の松」というものまである。
おい、おい、「羽衣の松」は、三保の松原にあるのではないのかい?
やっと1時間ぐらいかけて松林を渡ったが、疲れたので帰りは船で戻ることにした。
船から長い松林を眺める。龍が海に横たわっている図だ。
船は、出発点の「廻旋橋」の横の船着き場に着いた。すぐ近くに智恩寺がある。
これで、「日本三景」は全部行ったことになる。
*
天橋立駅に行った。13時近い時刻だ。
ここから北近畿タンゴ鉄道で南に下りて福知山に行き、そこからJRの山陰線で京都に出ることにした。そして、京都から新幹線で東京に帰ることにした。
窓口で福知山、京都経由、東京までの切符を頼んだ。ここ天橋立駅は北近畿タンゴ鉄道だが、JRも続きで切符が買えるのだ。
出された切符を見ると、天橋立から京都までは、JR乗り入れの特急だった。ここから京都や大阪行きの特急列車があるのは時刻表で知っていたが、地方の旅は各駅停車に限る。僕は、窓口の駅員に京都までは各駅停車で行くからと言って、すぐに特急券抜きの乗車券に換えてもらった。
誰もが速くて便利な直通の特急に乗るとは限らないので、切符を発券するときは、駅員はその旨確認しなければいけないはずだ。心の中で怒りながら乗車券を受けとり、構内のキオスクで昼食用の駅弁を買った。
13時03分、北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅を出発して、次の宮津駅で乗り換えて、13時27分発の福知山行きに乗った。
山間をゆく車窓を楽しみながら、駅で買った「笹寿し」(鮭と鰯のにぎり寿しを笹の葉で包んだもの)の駅弁を堪能。旨い。
福知山に14時25分に着いた。そこでJRに乗り換える。
福知山14時50分発の園部行き各駅停車に乗り、園部駅に16時12分着。
園部16時15分発に乗り京都駅へ。のどかな山間を走っていたのが、京都市街地の嵯峨嵐山に入ったあたりから車窓の風景が変わった。急に家並みが乱立してくる。しかも家と家の間が狭いのだ。それでいて等間隔に計ったようだ。いわゆる京都の町屋を思わせる家並みだ。 その家並みからビル並みを通り過ぎて、列車は京都駅に入った。
京都駅に16時51分着。
京都駅17時09分発、新幹線東京行きの「のぞみ」に乗り、東京駅19時30分着。
えっ、ここが?
という感じでした。
そうですね、股のぞきしなかったからかも。
次に行った鳥取砂丘は
見渡す限りの砂丘、風紋なんかあって
印象にすごく残ってます。
日本海側の風景は郷愁をそそりますね。
ここをさらに特異なものにするには、長い道に橋など架けるべきではないのです。
もう一方の先の方も陸と分断し、細長い松林道は、海の孤道にします。
そして、その道の真ん中に、五重の塔の寺を建てます(移築でもいい)。
海が引(干)いたときだけ、陸と松林道の端が繋がり、寺に行けるようにするのです。
するとどうでしょう。
「東洋のサン・ミッシェル」の出現です。
なんてすてきな!
時間限定のお参りコースですね。
期間限定、時間限定に弱いわたしなので
そのアイデアに一票。
五重の塔のライトアップはいかがしましょうか。
三日月の夜だけ、オレンジ色にライトアップされ、おぼろげに松並木を浮かび上がらせる。
あたかも、何かの間違いで、海に落ちた、三日月のように。
それは、28日に1度、繰り返されるのだった。
三日月というのがいいですね。
海に落ちそうな三日月~
幽玄の世界を跳び越して
わびさびの領域でしょうか。
いやバロックの香りも。
でも、9月は特別に、
仲秋の名月もお祝いしたいです。
月、見て一杯。
龍頭船でも浮かべたい気が。。。。
そうですねぇ、お酒は、やはり、
京都のお酒でしょうか。