若いとき、オカルト的なものに興味惹かれた。糸井重里風に言えば、「不思議大好き」だった。
UFO、ネッシー、バミューダ三角海域(トライアングル)、イースター島、ナスカの地上絵、ストーン・ヘンジやストーン・サークル。少し後になって出てきたミステリー・サークル。
ユリ・ゲラーの超能力以来、日本にオカルトブームが蔓延した時期でもあった。実は当時、僕もメンズマガジン編集者の時代、UFOを追った時があった。もちろん、真剣にである。
当時は古代遺跡を含めてまだ答えが見つからない不思議なものは、宇宙人によるもの、過去に宇宙人がやって来た足跡・痕跡に違いないという、曖昧さを一気に解決するうまい逃げ道も用意されていた。
しかし後に、巨大な水中生物のネッシー(宇宙人ではないが)も、麦畑に一夜にしてできる幾何学模様のミステリー・サークルも、人為的な作り事というのが判明した。
イースター島のモアイ像もナスカの地上絵もストーン・サークルも、科学的な分析が進み、その制作過程も解明されつつある。これらが宇宙人の手によるものとは誰も言わなくなったし、今やバミューダ三角海域は話題にものぼらない。
一時期、宇宙人の乗り物というUFO、特にアダムスキー型円盤といわれているフライイング・ソーサーの目撃談や写真が雑誌やテレビで数多く出回った。
そもそも、アダムスキーという人物は、自分の著書(僕も当時読んだのだが)で、主に金星人だが宇宙人とコンタクトをしたと言って円盤の写真を公開し、宇宙船に乗って月を一周し、月の裏側の都市を見たり、金星にも行ったと主張していた。
今では、月はアメリカのアポロ計画などによって人間が土を踏んでいるし、その裏側の写真も撮られている。金星は、人間のような生物が住んではいないという科学的調査も行われている。
このように、時代の進展とともに、今はテレビやマスコミでUFOや宇宙人を本気で取り扱うこともない。このことは、科学的知識が広く浸透したということもあるが、僕は映画「E.T」の影響も大きいとみている。
1982年、スピルバーグ監督による、大ヒットした映画「E.T」によって、あまりにもリアルな円盤(宇宙船)や宇宙人(E.T)の映像が、世界中の人々の前に提出された。それまで出回っていた、少しぼやけていたり曖昧なUFO、宇宙人の写真や映像に比べて(それだからこそ本当らしかったのだが)、宇宙人(異星人)はあまりにも身近で、しかも優しく、決して恐ろしい生き物ではなかった。
僕が思うに、この映画によって、宇宙人は怖くない、それに想像による創作物だという心理が広く人々に浸透してしまったのではなかろうか。
それ以来、UFO、宇宙人から神秘性、想像性をなくさせたのではないかと思う。それ以後、曖昧な写真や何とも言えない映像は意味を持たなくなって、UFOブームは衰退し、宇宙人、異星人は全く想像の産物となった。
そして、「雪男」も、その不思議な世界の一つだった。
「雪男」に関しては、目撃談や足跡の写真はあるものの、なかなかその確たる写真や映像が出てこないので、ちょっとネッシーと同じ次元で扱われていたと言っていい。
僕もいくら「不思議大好き」といっても、ヒマラヤで探検隊によって撮られた足跡の写真や雪男の頭皮と言われる写真を見ても、雪男の存在を信じるほどのものではなかった。
写真が出回らないのは、UFOのように、いつどこででも出没するというものでないからだろう。たとえば雪男の写真を撮ったという人間が出てきたら、当然、いつ、どこでということになる。裏山でとか日本の何とか山でと言っても、すぐに捜索されればその真偽がばれるので、偽造写真が作れないのだ。
雪男らしい類人伝説は、北アメリカのロッキー山脈のビッグフットなど世界の各地にいくつかあるが、足跡を含めて実際に見たという確かな証言は、ほとんどがヒマラヤである。しかし、今まではっきりとした雪男を撮った写真や映像はない。
これだけ秘境や未開の山奥までカメラが進出するような時代になっても、ヒマラヤとはいえ実像の写真1枚出てこないのは、伝説の動物に過ぎないと思っていたし、今も思っている。
とはいえ、実際に見た人は何人もいるのだ。
*
「雪男は向こうからやって来た」(集英社)の著者角幡唯介は、2008年の高橋好輝率いるネパール雪男捜索隊に参加した人物である。
著者の角幡は、雪男に関しては誰もが思っているように半信半疑だったが、朝日新聞社を辞めて事の成り行きで雪男捜索隊に参加することになる。そこから、彼は雪男に関係するあらゆる人間に話を聞いて回る。
そのなかで、意外な人物が雪男、もしくはそれらしきものを見たという証言を得る。
ヨーロッパアルプス3大北壁の一つマッターホルン北壁を日本人として初めて登った芳野満彦。
女性として初めてエベレストに登頂した田部井淳子。
ヒマラヤの8000メートル峰6座に無酸素登頂を果たした小西浩文。
そして、角幡が最も気にとめたのは、鈴木紀夫が雪男を見たという話を聞いた時である。
鈴木紀夫という男を覚えているだろうか。そう、1974年、ルバング島山中にいた残留日本兵の小野田寛郎さんを発見し、一緒に日本に連れ戻した冒険家である。
角幡は鈴木の著書「大放浪」を読んでいたし、鈴木が雪男を探しに行ってヒマラヤで死んだということも知っていた。しかし、鈴木に対してさほどいい印象を持ってはいなかった。誰もが抱いていたように、軽い気持ちで雪男を探しに行って、遭難したのではないかと。
角幡は、鈴木の妻や関係者の話を聞いているうちに、彼に対する認識が変わってくる。鈴木は、人に公言せず、いやむしろ隠すように6度もヒマラヤの同じところに雪男を捜索に行っていた。そして、最後の捜索中に雪崩にあって死亡している。まだ38歳の若さだった。
一人の人間が、これほどの回数で雪男を探しに行った例はない。何が、鈴木をここまで駆り立てたのか。角幡は思う。鈴木は雪男を見たにちがいない。
鈴木が雪男を撮った写真があるというので、角幡は鈴木の妻に見せてもらう。しかし、それはあまりにも豆粒みたいに小さすぎて、誰が見ても雪男と断定できる代物ではなかった。だから、当時もその写真は問題にもされなかった。そのことが、かえって鈴木の心に火をつけた。
「ふとしたささいな出来事がきっかけで、それまでの人生ががらりと変わってしまうことがある」
ふと出会った雪男は、鈴木に思わぬ方向を向けさせた。
雪男を信じていてもいなくてもこの本は、読む者を自然に雪男のなかに入っていかせる筆力がある。
雪男に出会ったら、そこからもう後戻りできる人間はいない、と角幡は思う。だから、彼は雪男に出会いたいとは思うものの、出会いたくないという気持ちも横切る、といった複雑な心理を吐露している。
雪男は、ヒマラヤの現地の言葉では様々な表現があるが、一般的にはイエティと呼ぶ。
角幡ら捜索隊は、ヒマラヤのダウラギリⅣ峰麓のコーナボン谷周辺で雪男、イエティの捜索を行い、鈴木が雪男を見たと思われる地点にも行く。そして、捜索が終わったあと一人でその地点に戻り、鈴木を知り、彼の遺体を発見したという地元の住民とも会い、彼の案内で鈴木が行ったであろうところでキャンプを張って、鈴木のように一人で雪男を待つ。
角幡は、鈴木の足跡を追って追体験する。鈴木がなぜここにやってきて、ここで命を落としたかを自分のなかで確認するために。角幡のなかでは、この作業をしないと雪男捜索は終わって帰れないという気持ちになっていた。
そして、角幡は山を下りる。肩の荷を下ろしたように。
この本によって、雪男より鈴木紀夫という人物の幻影が胸に残った。鈴木紀夫は、いわゆる雪男という生物を見たに違いない。この本によって、鈴木紀夫という人物がおぼろげながら浮かんできた。
鈴木紀夫の「大放浪 小野田少尉発見の旅」(朝日文庫)も読まないといけない。
*
12月14日の朝日新聞(夕刊)のスポーツ欄に、「北極探検史の謎追う旅 評価」と称して、「角幡、荻田さん2人に冒険家賞」という記事が載っていた。
19世紀半ば、北極海を運航していたイギリスのフランクリン隊の全員129名が行方不明となった。その消息をたどった2人の北極の旅が評価され、冒険家に贈られる「第3回ファウストA・G・アワード」の賞を受けたというものだ。
角幡は、この体験を作品にしたいと語っている。冒険家と言ってもいい、行動的な興味深いノンフィクション作家が出てきた。
UFO、ネッシー、バミューダ三角海域(トライアングル)、イースター島、ナスカの地上絵、ストーン・ヘンジやストーン・サークル。少し後になって出てきたミステリー・サークル。
ユリ・ゲラーの超能力以来、日本にオカルトブームが蔓延した時期でもあった。実は当時、僕もメンズマガジン編集者の時代、UFOを追った時があった。もちろん、真剣にである。
当時は古代遺跡を含めてまだ答えが見つからない不思議なものは、宇宙人によるもの、過去に宇宙人がやって来た足跡・痕跡に違いないという、曖昧さを一気に解決するうまい逃げ道も用意されていた。
しかし後に、巨大な水中生物のネッシー(宇宙人ではないが)も、麦畑に一夜にしてできる幾何学模様のミステリー・サークルも、人為的な作り事というのが判明した。
イースター島のモアイ像もナスカの地上絵もストーン・サークルも、科学的な分析が進み、その制作過程も解明されつつある。これらが宇宙人の手によるものとは誰も言わなくなったし、今やバミューダ三角海域は話題にものぼらない。
一時期、宇宙人の乗り物というUFO、特にアダムスキー型円盤といわれているフライイング・ソーサーの目撃談や写真が雑誌やテレビで数多く出回った。
そもそも、アダムスキーという人物は、自分の著書(僕も当時読んだのだが)で、主に金星人だが宇宙人とコンタクトをしたと言って円盤の写真を公開し、宇宙船に乗って月を一周し、月の裏側の都市を見たり、金星にも行ったと主張していた。
今では、月はアメリカのアポロ計画などによって人間が土を踏んでいるし、その裏側の写真も撮られている。金星は、人間のような生物が住んではいないという科学的調査も行われている。
このように、時代の進展とともに、今はテレビやマスコミでUFOや宇宙人を本気で取り扱うこともない。このことは、科学的知識が広く浸透したということもあるが、僕は映画「E.T」の影響も大きいとみている。
1982年、スピルバーグ監督による、大ヒットした映画「E.T」によって、あまりにもリアルな円盤(宇宙船)や宇宙人(E.T)の映像が、世界中の人々の前に提出された。それまで出回っていた、少しぼやけていたり曖昧なUFO、宇宙人の写真や映像に比べて(それだからこそ本当らしかったのだが)、宇宙人(異星人)はあまりにも身近で、しかも優しく、決して恐ろしい生き物ではなかった。
僕が思うに、この映画によって、宇宙人は怖くない、それに想像による創作物だという心理が広く人々に浸透してしまったのではなかろうか。
それ以来、UFO、宇宙人から神秘性、想像性をなくさせたのではないかと思う。それ以後、曖昧な写真や何とも言えない映像は意味を持たなくなって、UFOブームは衰退し、宇宙人、異星人は全く想像の産物となった。
そして、「雪男」も、その不思議な世界の一つだった。
「雪男」に関しては、目撃談や足跡の写真はあるものの、なかなかその確たる写真や映像が出てこないので、ちょっとネッシーと同じ次元で扱われていたと言っていい。
僕もいくら「不思議大好き」といっても、ヒマラヤで探検隊によって撮られた足跡の写真や雪男の頭皮と言われる写真を見ても、雪男の存在を信じるほどのものではなかった。
写真が出回らないのは、UFOのように、いつどこででも出没するというものでないからだろう。たとえば雪男の写真を撮ったという人間が出てきたら、当然、いつ、どこでということになる。裏山でとか日本の何とか山でと言っても、すぐに捜索されればその真偽がばれるので、偽造写真が作れないのだ。
雪男らしい類人伝説は、北アメリカのロッキー山脈のビッグフットなど世界の各地にいくつかあるが、足跡を含めて実際に見たという確かな証言は、ほとんどがヒマラヤである。しかし、今まではっきりとした雪男を撮った写真や映像はない。
これだけ秘境や未開の山奥までカメラが進出するような時代になっても、ヒマラヤとはいえ実像の写真1枚出てこないのは、伝説の動物に過ぎないと思っていたし、今も思っている。
とはいえ、実際に見た人は何人もいるのだ。
*
「雪男は向こうからやって来た」(集英社)の著者角幡唯介は、2008年の高橋好輝率いるネパール雪男捜索隊に参加した人物である。
著者の角幡は、雪男に関しては誰もが思っているように半信半疑だったが、朝日新聞社を辞めて事の成り行きで雪男捜索隊に参加することになる。そこから、彼は雪男に関係するあらゆる人間に話を聞いて回る。
そのなかで、意外な人物が雪男、もしくはそれらしきものを見たという証言を得る。
ヨーロッパアルプス3大北壁の一つマッターホルン北壁を日本人として初めて登った芳野満彦。
女性として初めてエベレストに登頂した田部井淳子。
ヒマラヤの8000メートル峰6座に無酸素登頂を果たした小西浩文。
そして、角幡が最も気にとめたのは、鈴木紀夫が雪男を見たという話を聞いた時である。
鈴木紀夫という男を覚えているだろうか。そう、1974年、ルバング島山中にいた残留日本兵の小野田寛郎さんを発見し、一緒に日本に連れ戻した冒険家である。
角幡は鈴木の著書「大放浪」を読んでいたし、鈴木が雪男を探しに行ってヒマラヤで死んだということも知っていた。しかし、鈴木に対してさほどいい印象を持ってはいなかった。誰もが抱いていたように、軽い気持ちで雪男を探しに行って、遭難したのではないかと。
角幡は、鈴木の妻や関係者の話を聞いているうちに、彼に対する認識が変わってくる。鈴木は、人に公言せず、いやむしろ隠すように6度もヒマラヤの同じところに雪男を捜索に行っていた。そして、最後の捜索中に雪崩にあって死亡している。まだ38歳の若さだった。
一人の人間が、これほどの回数で雪男を探しに行った例はない。何が、鈴木をここまで駆り立てたのか。角幡は思う。鈴木は雪男を見たにちがいない。
鈴木が雪男を撮った写真があるというので、角幡は鈴木の妻に見せてもらう。しかし、それはあまりにも豆粒みたいに小さすぎて、誰が見ても雪男と断定できる代物ではなかった。だから、当時もその写真は問題にもされなかった。そのことが、かえって鈴木の心に火をつけた。
「ふとしたささいな出来事がきっかけで、それまでの人生ががらりと変わってしまうことがある」
ふと出会った雪男は、鈴木に思わぬ方向を向けさせた。
雪男を信じていてもいなくてもこの本は、読む者を自然に雪男のなかに入っていかせる筆力がある。
雪男に出会ったら、そこからもう後戻りできる人間はいない、と角幡は思う。だから、彼は雪男に出会いたいとは思うものの、出会いたくないという気持ちも横切る、といった複雑な心理を吐露している。
雪男は、ヒマラヤの現地の言葉では様々な表現があるが、一般的にはイエティと呼ぶ。
角幡ら捜索隊は、ヒマラヤのダウラギリⅣ峰麓のコーナボン谷周辺で雪男、イエティの捜索を行い、鈴木が雪男を見たと思われる地点にも行く。そして、捜索が終わったあと一人でその地点に戻り、鈴木を知り、彼の遺体を発見したという地元の住民とも会い、彼の案内で鈴木が行ったであろうところでキャンプを張って、鈴木のように一人で雪男を待つ。
角幡は、鈴木の足跡を追って追体験する。鈴木がなぜここにやってきて、ここで命を落としたかを自分のなかで確認するために。角幡のなかでは、この作業をしないと雪男捜索は終わって帰れないという気持ちになっていた。
そして、角幡は山を下りる。肩の荷を下ろしたように。
この本によって、雪男より鈴木紀夫という人物の幻影が胸に残った。鈴木紀夫は、いわゆる雪男という生物を見たに違いない。この本によって、鈴木紀夫という人物がおぼろげながら浮かんできた。
鈴木紀夫の「大放浪 小野田少尉発見の旅」(朝日文庫)も読まないといけない。
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12月14日の朝日新聞(夕刊)のスポーツ欄に、「北極探検史の謎追う旅 評価」と称して、「角幡、荻田さん2人に冒険家賞」という記事が載っていた。
19世紀半ば、北極海を運航していたイギリスのフランクリン隊の全員129名が行方不明となった。その消息をたどった2人の北極の旅が評価され、冒険家に贈られる「第3回ファウストA・G・アワード」の賞を受けたというものだ。
角幡は、この体験を作品にしたいと語っている。冒険家と言ってもいい、行動的な興味深いノンフィクション作家が出てきた。
武田さんの番組とは、どのような番組なのでしょうか?
そこで、どのような話がなされたのか、聞きたいものです。
最初興味津津でしたが、読み深めていくうちに、ロマンを感じ、どんどん引き込まれるような感覚です。